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正信会の足立淳正住職が「声明文」を発表!

「ここに私は、冨士大石寺の源流に立ち帰り、本日以降、「冨士大石寺正信会」と名乗り、冨士大石寺顕正会とともに、広宣流布・国立戒壇建立を見つめて共闘させて頂くことを宣言するものであります」
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諫臣・争子

諫める臣下が国にあればその国は正しくなり、親の誤りを諫める子があればその家はついには曲がらない―ということです。顕正会は、日本国に在っては「諫臣」、正系門家に在っては「争子」であります。
顕正会

「冨士大石寺顕正会」のYouTubeチャンネルが!

個人的には、「誑惑の正本堂崩壊す!!」の動画をぜひオススメしたいです。この動画を視聴すれば、顕正会と創価学会と日蓮正宗の関係を、より深く、より正確に理解することができるからです。
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いかなる世の乱れにも

不可能な状況でも、それを可能とするような強き一念を以て諸天に申し付け、各々をば守るであろう―と仰せられている。これ大聖人様の強き御約束であります。
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実は「日蓮大聖人」を信じていない日蓮正宗の人たち

彼らは偽戒壇・正本堂の建立を機に、大聖人一期の御遺命である「本門の戒壇」の教義を改変し、今なお改悔なく背き続けています。親の遺言を改竄する子がどこにいるでしょうか。だから彼らは大聖人の御心に背き、功徳を失い、現世に罰を受け不幸を味わうだけでなく、死後、無間地獄に堕ちていくのです。なんとも不憫ですね。
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いざ広宣流布の決戦場へ

有羞の僧が続々と現れ、時の貫首が「国立戒壇の正義」を宣示し、宗門が日淳上人以前の清らかな正系門家に立ち還る日も遠からず、と確信してやみません。
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本年の2つの意義(2)

「広告文と遥拝勤行で広宣流布は成る」の確信がいよいよ全顕正会にみなぎって来ました!
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本年の2つの意義(1)

御遺命守護の戦いがようやく最終章に至りました!
創価学会・宗門破折

「国立戒壇は御書にない」の謀りを破す

いま日蓮正宗の坊主たちが言う「国立戒壇は御書にない!」という論法は、あの池田大作の受け売り、二番煎じなのです(笑)すでに池田創価学会を破門し、偽戒壇・正本堂も崩壊したにもかかわらず、未だにこの幼稚なたばかりにしがみついているとは、なんとも惨めな連中ですね。
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ついに出てきた!有羞の僧

足立淳正住職「正信会には、様々な考えを持つ僧侶がおるのも事実ではありますが、私は「国立戒壇」こそが日蓮大聖人の御遺命であると強く確信しております」
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道念も節操もなかった2人の貫首

細井日達、阿部日顕の2人は、大聖人の御眼を恐る道念がなかったために、池田大作にへつらい、御遺命に背いてしまったのです。その結果、ついに入阿鼻獄となってしまいました。
創価学会・宗門破折

「国立戒壇」の四文字に込められた意味

三大秘法抄の御文を要言すなわち肝要部分を要約すれば、一期弘法付嘱書の「国主此の法を立てらるれば」との御文になり、さらにこの御文を約言、つづめて言えば、「国立戒壇」になるのです。
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広告文の発行部数が4150万枚に達しました!

いま日本全国で配布されている「日蓮大聖人の仏法」の広告文。その発行部数が、なんとこの10月で4150万枚に達したそうです!いやはや、すごい数ですね。
顕正会

どうして顕正会は弘通が進むのか?

答えはただ一つ。遥拝勤行に大功徳があるからです。いま学会も宗門も、第六天の魔王にたぶらかされて、大聖人唯一の御遺命たる「国立戒壇」を捨ててしまった。大聖人様の御心に背いては、登山しても勤行しても、大聖人様には通じない。だから功徳がないのです。
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やっぱり悲惨だった阿部日顕の最期

阿部日顕が重い腎臓の病気で、いつも顔が黒ずんでいたと聞いては、御遺命違背の大罪の重さ、深さに、思わず身震いしました。
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台風19号(ハギビス)を見て思うこと

NHKのニュースでは、79人が亡くなり、11人が行方不明、堤防の決壊は59河川の90か所にも上ったそうです。
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「御遺命守護」特集号6が出来しました!

冨士大石寺顕正会の令和元年9月度総幹部会を特集した顕正新聞10月5日号が、「御遺命守護」特集号6として出来しました!
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法華講員の「未来予想図」

昭和39年以来の長きにわたった御遺命破壊のたばかりもいよいよ最終章となり、いま宗門は大きな転換期を迎えています。
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御遺命破壊に加担した5悪人

「御遺命破壊の悪事に加担した5悪人」とは、池田大作と、彼にへつらった二人の貫首の細井日達・阿部日顕と、さらにこの二人の貫首に取り入った「寄生虫」とも言うべき山崎正友と大草一男であります。
日蓮大聖人の仏法

大聖人のお題目と私たちのお題目の功徳に違いはあるか?

では、何もわからない私たちがお題目を唱えるだけで、どうして大聖人と同じ功徳を頂けるのでしょうか?浅井先生の「『松野殿御返事』を拝し奉る」の一節を拝してみましょう。
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