「広宣流布は大地を的とする」特集号が出来しました
顕正会の令和5年2月度総幹部会を特集した顕正新聞3月5日号が出来しました。その名も「広宣流布は大地を的とする」特集号!
浅井先生より、開目抄に示された御本仏日蓮大聖人の重大な御境界と、その大聖人様の絶大威徳によって広宣流布は必ず成ることを指導頂いては全身が熱くなり、「広宣流布は大地を的とする」との大確信に立たせて頂きました!
それではさっそく見ていきましょう。
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
浅井先生は、2月は「開目抄」の月であるとして、佐渡雪中において開目抄を著わし給うた大聖人様の大慈大悲の御心について諄々と指導下さいました。
この開目抄がどれほど重大な御書かは、大聖人様ご自身が次のように仰せられています。
「去年の十一月より勘へたる開目抄と申す文二巻造りたり。頸切らるゝならば、日蓮が不思議とどめんと思ひて勘へたり。
此の文の心は、日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬へば宅に柱なければたもたず、人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり。
平左衛門既に日本の柱を倒しぬ。只今、世乱れてそれともなく夢のごとくに妄語出来して此の御一門同士討ちして、後には他国より責めらるべし」と。
浅井先生はこの御文について次のように指導下さいました。
いいですか。
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」とは
日蓮大聖人を信じ奉るか、背くかによって、日本国の有無も、人類の存亡も決する――ということであります。
大聖人様の御存在は、これほど重く、かつ大であられる。これ大聖人様が、十方三世の諸仏の根源たる久遠元初の自受用身にして、末法下種の本仏であられるからであります。
「広宣流布は大地を的とする」特集号
いかがでしょうか。御本仏の重き重き大境界を伺っては、ただ大感動が込み上げます。
御本仏に敵対すれば国も人も必ず亡びる
大聖人様の絶大威徳は、あの竜の口の大法難のとき、国家権力が御頸刎ねんとしてかえってひれ伏してしまった厳然たる大現証を拝すればよくわかります。
さらに浅井先生は、この御本仏に敵対すれば国も人も亡ぶことを、御在世の日本の姿を通して指導下さいました。
まず国家に現われた罰をみれば、平左衛門が大聖人の御頸を刎ね奉らんとした大逆罪の3年後とその7年後、2度にわたる大蒙古の侵略となって現われました。当時ユーラシア大陸を征服した史上空前の大帝国が日本を侵略してきたのです。なんと凄まじい大罰でしょうか。
このとき亡んで当然だった日本が亡びなかったのは、「御頸刎ねて刎ねられず」の御本仏日蓮大聖人の冥々の御守護によるのです。
次に個人に現われた罰をみれば、当時幕府随一の権勢を誇った最高実力者・平左衛門は、熱原の法難(大聖人を信じる農民たちに無実の罪を着せ、退転を迫り、ついには中心者の頸を刎ねたという法難)より14年後、なんと謀叛の罪が発覚して父子ともに誅戮されてしまいました。なんとも恐ろしい限りです。
このように、日蓮大聖人に背き奉るならば、国も人も必ず亡びます。
そして、もし一国が三大秘法を持てば国は盤石のごとく安泰となり、個人が持てば、その人は必ず一生成仏の大仏果を得ることができるのです。
「末法下種の主・師・親」をお示し下さる
しかし、国家権力による絶体絶命の竜の口大法難のとき、門下は大きく動揺しました。それは、大聖人様は竜の口からそのまま佐渡流罪となって生死不明、いつお還りになるかも全くわからない中、この法難のあまりの恐ろしさに、信心うすき者たちがたちまち疑いを起こし、続々と退転したからです。
ここにおいて、大聖人様の大悲やまず。
いま佐渡雪中にまします日蓮大聖人こそ、実に日本及び一閻浮提の人々を現当二世にお救い下さる久遠元初の自受用身にして、末法下種の主・師・親であられることを御示し下された。それが開目抄なのです。
「開目」とは、目を開かせ見せしむること。何を見せしめ給うたのかといえば、まさしく日蓮大聖人こそ、末法の一切衆生が帰依すべき「人の本尊」であられることを見せしめ給うたのです。
雪降り積もる一間四面のあばら家で、飢えと寒さと暗殺の危険渦巻く中、凍える御手に筆を執り給い、あの膨大な開目抄をお認め下された大聖人様の尊き御尊容を偲び奉れば、そのあまりの大慈大悲に、ただ低頭合掌のほかありません。
広宣流布は大地を的とする
いま広宣流布が近づくにつれて、顕正会の折伏に対する反応が徐々に変化してきました。これまで目先の安逸におぼれて仏法を無視し、あるいは反発してきた人々も、日本に危機が迫るにつれて「顕正会の言うとおりになって来た」と口にする人が増えてきました。
そして、ついには日蓮大聖人の絶大威徳により、必ず日本一同が一時に信ずる時が来るのです。
浅井先生は、大聖人様が「広宣流布」についてご教示下された5つの御金言、すなわち上野抄、諸法実相抄、減劫御書、撰時抄、報恩抄の御文をお引きになり、「広宣流布は御本仏日蓮大聖人の絶大威徳によって必ず一時に成る」「その時はもう近い」「日本の広宣流布こそ世界広布の鍵である」との重大事を指導下さいましたが、広宣流布への燃えるような情熱が全身に湧き上がりました。
浅井先生のご指導を拝してみましょう。
上野殿御返事には
「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし。爾の時、我も本より信じたり我も本より信じたりと申す人こそ、多く在せずらんめとおぼえ候」と。
「梵天・帝釈等の御計いとして」とは、大聖人の御申し付けを受けた梵天・帝釈等の諸天の働きにより、他国の責めが起こるということ。このとき日本国が一時に信ずるのです。
―その時には、それまで反対していた者まで「我も本より信じていた、我も本より信じていた」というような者が多く出るであろう――と仰せ下されている。
もう先は決まっているのです。広宣流布は「大地を的」として絶対に成るのであります。
だから折伏のとき、たとえ逆縁であっても少しもガッカリするには及ばない。むしろ勇み立ってほしい。
相手が逆縁であろうと順縁であろうと、折伏をする功徳は全く同じです。そして今は逆縁であっても、後には必ず全員が目ざめて入信するのであります。
いいですか。
大聖人御在世の日本国は、逆縁と謗法の者で充満していたではないか。この逆縁・謗法の者を、大聖人様は「逆謗の二人」と仰せられている。この「逆謗の二人」をお救い下さるのが、下種の御本仏の大慈大悲・絶大威徳であられる。
ゆえに教行証御書には
「濁悪たる当世の逆謗の二人に、初めて本門の肝心・寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種と為す」と。
また法華初心成仏抄には
「当世の人、何となくとも法華経に背く失に依りて地獄に堕ちん事疑いなき故に、とてもかくても、法華経を強いて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし。謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」と。
―当世の人々は、そのまま行けばみな南無妙法蓮華経に背く失によって地獄に堕つること疑いないゆえに、とにもかくにも南無妙法蓮華経の大法を強いて説き聞かすべきである。信ずる人は仏に成る。たとえ謗る者があっても、毒鼓の縁となって成仏することができるのである――と。
この「毒鼓の縁」とは、逆縁ということです。折伏されても反対し続け、ついには悪相を現じて死んだ者でも、折伏され耳から聞いた縁により、未来には必ず仏に成ることができるということです。
だから折伏には絶対に徒労がないのです。そしてついには、日本国一同必ず南無妙法蓮華経と唱え奉るにいたるのであります。
ゆえに諸法実相抄には
「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり。
日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へ伝うるなり。未来も又しかるべし。是れあに地涌の義に非ずや。
剰え広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は、大地を的とするなるべし」と。
何とも有難い御文ですね。
―末法において南無妙法蓮華経と我も唱え人にも勧める者は、男子・女子の別はない、みな地涌の菩薩である。地涌の菩薩でなくして、どうして南無妙法蓮華経と唱えることができようか――と仰せ下さる。有難いことですね。
次いで
―日蓮大聖人ただ御一人が、日本国において始めて南無妙法蓮華経と唱え出だされた。そして二人・三人・百人と次第に唱え伝えるようになった。未来もまたそうなるのである。これこそ地涌の菩薩が続々と出現する姿である――と。
そして最後にこう仰せ下さる。
「剰え広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は、大地を的とするなるべし」と。
いいですか。
大聖人様が「大地を的とする」と御断言下さったことが、どうして虚しくなりましょうか。日本一同に南無妙法蓮華経と唱え奉る広宣流布は絶対なのであります。
しかもその時はもう近い――。
なぜか。広宣流布の瑞相たる「大悪」がすでに現われているからです。
大聖人様は減劫御書に
「大悪は大善の来たるべき瑞相なり。一閻浮提うちみだすならば『閻浮提内広令流布』はよも疑い候わじ」と。
―大悪は大善の来たるべき瑞相である。もし一閻浮提(全世界)が大戦争によって打ち乱れるならば、一閻浮提の広宣流布は疑いない――と仰せられる。
いま世界は、米国を中心とする自由主義陣営と、中国を中心とする独裁の全体主義陣営が対立して、世界の覇権を賭して勝負を決せんとしている。もしこの対決が核兵器を使用するに至ったら、これほど大規模そして悲惨な戦争は曽てない。
これまさしく撰時抄に御予言の「前代未聞の大闘諍」そのものです。そしてこのとき、一閻浮提に広宣流布するのです。
そのことを撰時抄には、次のごとく御予言下されている。
「前代未聞の大闘諍 一閻浮提に起こるべし。其の時、日月所照の四天下の一切衆生、或いは国を惜しみ或いは身を惜しむゆえに、一切の仏・菩薩に祈りを懸くともしるしなくば、彼の憎みつる一の小僧を信じて、無量の大僧等、八万の大王等、一切の万民、皆頭を地につけ掌を合せて、一同に南無妙法蓮華経ととなうべし」と。
すなわち―前代未聞の大闘諍が一閻浮提に起こるとき、全世界の人々は国亡び命を失う恐怖から、救いを求めてあらゆる仏・菩薩に祈りを懸ける。しかしその験がなければ、ついには「彼の憎みつる一の小僧」すなわち日本に御出現の日蓮大聖人を信じて、みな頭を地につけ掌を合わせて一同に南無妙法蓮華経と唱えるであろう――と。
この御文は、一閻浮提の広宣流布と日本の広宣流布、さらに御在世の逆縁広宣流布と未来の順縁広宣流布、この四つの広宣流布を一つの御文で仰せ下されている。それは原理が共通だからです。
すなわち、国中が仏法に背く、諸天の怒り、天変地夭、前代未聞の大闘諍、大罰による帰依、これが広布の共通原理です。
よって一つの御文で、この四つの広宣流布を教えて下さったのであります。
いいですか。
一閻浮提に広宣流布するとき、まず最初に広宣流布する国は、日蓮大聖人御出現の国であり、「本門戒壇の大御本尊」まします日本であることは言うまでもない。このことは「彼の憎みつる一の小僧を信じて」との御文からも明らかです。
日本国は大聖人御出現の当時 第六天の魔王の働きにより、邪法の悪僧ども、さらに国家権力者、そして民衆一同に、大聖人様を憎み奉った。
だが大蒙古の侵略が事実となったとき、日本一同は、国亡び我が命を失う恐怖から、ついにはそれまで憎んでいた日蓮大聖人の偉大さに始めて目ざめ、心中に改悔を生じ、未来に仏に成るべき種を植えて頂いた。これが大聖人御在世の逆縁広宣流布であります。
そして順縁広布の時にはまず日本に広宣流布する、次いで中国・インド、さらに全世界に広宣流布するのです。
ですから報恩抄には
「日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智・無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」
と仰せられている。まず日本から広宣流布するのです。
だから日本の広宣流布こそ一閻浮提広宣流布の鍵なのです。
「広宣流布は大地を的とする」特集号
三百万の仏弟子の大集団
私自身、今回の御講演を拝して思うことは、いま顕正会だけに日興上人・日目上人の御時の「広宣流布 朝夕近し」の大情熱がたぎっている不思議です。
広布前夜の第六天の魔王の働きにより、創価学会の池田大作は大聖人の唯一の御遺命である「国立戒壇」を否定して偽戒壇・正本堂を建て、これを「御遺命の戒壇」とたばかりました。
宗門は池田大作にへつらって「日蓮正宗・責任役員会」の議決を以て「国立戒壇の否定」と「正本堂が御遺命の戒壇に当る旨」を公式に決定し、未だにこの議決を取り消していません。
このような師敵対・無道心の学会・宗門に、どうして不惜身命の折伏弘通ができるでしょうか。できるはずもありません。
思えば、大聖人に背き奉った五老僧などは、きっと日興上人門流の「広宣流布 朝夕近し」の死身弘法を見て、せせら笑っていたことでしょう。「そんなことできるわけがない」と。この無道心の姿をそのまま今に移したのが、学会・宗門(日蓮正宗)の師敵対の逆徒たちです。
だから未だに御遺命違背の大罪を改悔せず、広宣流布に真剣に戦う顕正会を見て、軽口を叩いて中傷しているのです。その末路は五老僧と全く同じ、入阿鼻獄です。
そこに、浅井先生率いる顕正会だけが、「広宣流布 朝夕近し」の大情熱で、日蓮大聖人の大恩徳を全日本人に教えんと戦っているのです。この姿こそ、大聖人様の真の弟子、「地涌の菩薩」の証でなくて何でしょうか。
浅井先生は叫ばれました。
やがて中国をはじめとする三国の残忍きわまる侵略が始まる。
そのとき日本国の人々は、国亡び我が命を失う恐怖から、お救い下さる仏様を始めて心の底から求めるようになる。
このとき、三百万の仏弟子の大集団あって、身命も惜しまず
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
との重大聖語を、全日本人の心魂に徹するまで教えるならば、一国は必ず動く。
すべては大聖人様の絶大威徳によって成るのであります。
大聖人様は仰せあそばす。
「剰え広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は、大地を的とするなるべし」と。
この御本仏の御断言を、顕正会員は必ず見せて頂ける。
さあ、全顕正会一結して、大歓喜の中に「大地を的とする」の大確信に立ち、まず本年の初陣に全組織大きく誓願を突破し、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。
「広宣流布は大地を的とする」特集号
私も広告文と特集号を手に一人でも多くの人々に大聖人様の大恩徳を教え、広宣流布のお手伝いに励んでいきたいと思います!