顕正新聞には毎回、学会や宗門(日蓮正宗)から正義にめざめて顕正会に入会し、功徳にあふれている方々の登壇がたくさん掲載されています。今回は顕正新聞令和5年1月5日号、1月15日号からいくつか紹介したいと思います。
学会4世、顕正会で本物の信心を知る 「たとえ全てを失うとも信心を貫かん」 大怨嫉も成長の糧、急ぎ親族を救わん!
令和4年11月、創価学会から顕正会に入会したKさんは学会4世でした。親戚全員が学会員という環境で生まれ育ち、幼い頃から学会の教育を受けてきたKさんでしたが、高校生のころ「多くの宗教の中で、なぜ学会の信心だけが正しいのか」と疑問に思い、学会の先輩や母親に質問するも明確な回答は得られませんでした。
また学会では功徳を感じたことがなく、勤行も続きませんでした。
そんなKさんは、あるとき横浜駅で顕正会員が広告文を配布している姿を見かけました。多くの学会員から顕正会の悪口をたびたび耳にしていましたが、その理由を話せる者はおらず、「なぜ顕正会が悪なのかを自分の目で確かめたい」と思って声をかけ、後日、改めて会う約束をしました。
大聖人様の御遺命・謗法厳禁の御精神を聞き、「創価学会 社会憲章」の謗法容認の事実に大衝撃を受け、学会への不信感を懐きました。何より、大聖人様の大恩徳をお教え下さる浅井先生の御指導に触れ、長く学会にいても一度も感じたことのなかった大聖人様への深い御信心を感じ、理屈ぬきに顕正会の正しさを確信し、求めて入会したのでした。
入会勤行では、顕正会員の御本尊様に対するあまりの厳粛な姿勢に圧倒され、すべては浅井先生の大聖人様への恋慕渇仰・忠誠心のゆえと聞いては感動が込み上げました。
Kさんは「私も本気で信心したい」との思いが込み上げ、入会翌日にときわ台駅までの定期券を購入し、早朝勤行・夕の勤行に参加するため東京会館に毎日参詣し、入会5日目には折伏に奮い立ち、友人の入信を叶えました。
すると日々の生活上で功徳を頂き、それまで朝が弱かったのが早朝から起きられるようになり、何より顕正会の御奉公がとても楽しく有難く、日々、元気になって生命力を肌身で感じるようになりました。
またKさんは俳優をめざして専門学校に通うも、それまで学校の教師から褒められたことがなかったのが、顕正会員として御奉公に励む中、不思議と教師からの評価が上がり、「Kさん、表現力が素晴らしいですね」等と、これまで一度もかけられなかった言葉をかけられ、有難い思いでいっぱいになりました。
入会2週間後、Kさんは顕正会の先輩とともに、学会員の母親と学会幹部を折伏しました。すると「行解既に勤ぬれば・・・」との御金言のごとく、母親が「顕正会で信心するなら学費や家賃、生活費は援助しない」と脅してきたのでした。
何の蓄えもなかったKさんは一瞬動揺しましたが、「たとえ夢であった俳優の道を諦めるようなことになろうとも、ホームレスになったとしても、この顕正会の信心だけは絶対にやめたくない」との肚を決めたのです。
その翌日、今度は学会員の叔父から呼び出され、母・叔父・学会幹部の3人と話すことになりましたが、Kさんは顕正会の正しさを言い切り、ありのままに感激を語っていくと、叔父たちは言い返せなくなり、かえって何かを感じている様子で、改めて顕正会の正しさを実感しました。
すると、かつては「顕正会は危険な団体」と洗脳されていた母親が、顕正会の大聖人様へのまっすぐな信心、正しい道理をもって一つ一つ丁寧に正義を訴えていく姿、また何があっても揺るがないKさんの姿を見て、これまでは絶対に目にしなかった浅井先生の御指導を視聴するまでに変わり、なんとKさんの学費・生活費も援助してくれることになったのです。この有難い展開には、Kさん自身、「魔及び魔民有りと雖も、皆仏法を護らん」との仰せが身に迫り、「魔障が競い起きたことにより、かえって我が境界が変わったことに気付くであろう」との浅井先生の御指導を理屈ぬきに実感しました。
Kさんは次のように決意を語っています。
「先月の十一月に顕正会員にならせて頂き、こんな自身でもお役に立たせて頂けることに無上の喜びが込み上げ、報恩感謝の思いが胸の奥から込み上げていることこそ、最大の功徳であります。
されば『我 地涌の菩薩なり』の大確信を胸に、六百万学会員を救い切る人材に成長し、無二の師匠・浅井先生にお応えしてまいる決意であります」
戒壇の大御本尊捨てさせた池田に憤怒 遥拝勤行で直ちに功徳!大歓喜湧く 先生の不惜身命の激闘にただ低頭
令和4年10月に創価学会から顕正会に入会したTさんは、昭和35年、母親が知り合いの学会員から折伏を受け、中学生のときに学会に入信しました。
高校生になると、学会青年部で広宣流布に情熱を燃やし、帰りのバスがなくなるまで活動に奔走、その後も選挙活動が「広宣流布のため」と言われればそれを信じ、遊説隊長として公明党議員の選挙勝利に全魂を尽くしてきました。
しかし、支持した公明党議員の女性問題や汚職を見ては「選挙活動が大聖人様の御心に叶う御奉公なのか」と疑問を懐き、池田大作や幹部の慢心・横柄な態度に学会への不信感を懐くようになりました。39歳のときには突然意識を失って倒れるも原因不明で、いつまた倒れるかと不安がつきまとい、妻とは離婚になる等、相次ぐ不幸に「やっぱり学会はおかしい」と思いつつも、気づけば60年以上も学会に籍を置いていました。
そのようなとき、女子部の班長から折伏を受け、「『広宣流布のため』と信じて懸命に活動したのに騙されていた。人生を返してくれ」と、池田大作に対し憤激が込み上げ、これまでの不幸はすべて御遺命に背く学会に籍を置いた罰とわかり、雲晴れる思いになりました。さらに広告文に記された浅井先生の御指導に「求めていた答えがここにあった」と大感激したKさんは、晴れて顕正会に入会したのでした。
するとその翌日、有難い功徳を頂きました。Kさんはひどい腰痛持ちで、歩くときは前かがみになっていたのが、不思議にも腰痛が消えて背中がまっすぐに伸び、別人のようになったのでした。Kさん自身、遥拝勤行で直ちに現われた理屈ぬきの現証に、唱えるお題目が大聖人様に通じていることを実感し、大感激しました。
Kさんは、「六百万学会員を、何としても全員救いたい」との浅井先生の御心に涙し、先生に救って頂いた一人として報恩の決意に立ち、いま毎週のように学会員を折伏しています。
噂とは全く違う顕正会の清らかさ 遥拝勤行で功徳、心筋梗塞が治った! 先生のご指導を拝聴し生涯の師と仰ぐ
令和4年10月に宗門(日蓮正宗)から顕正会に入会したUさんは、平成4年、40歳のときに学会員の会社の上司に誘われて創価学会に入信しました。
上司に言われるまま学会活動に励むも功徳はなく、学会幹部の嫌がらせや女性問題等は日常茶飯事で、常に不信感が募り、生活も不幸の連続でした。学会で活動するうちに毎晩酒を飲み歩き、借金を繰り返して返済に追われ、取立てにきた借金取りに騙されて自宅を手放すことになり、仕事も家もすべてを失いました。
その後、鎌倉にある宗門末寺・護国寺に助けを求めたものの、坊主は親身に話を聞くこともなくその場で授戒を受けさせられ、ことあるごとに供養を求められました。住職の「酒好き・女好き」は檀家なら誰もが知っており、「タヌキ」と陰口を言われるほど太っており、住職の妻はブランド好きで派手な生活をしており、すぐに嫌気が差したそうです。
それから数年後の令和4年10月、Uさんは関内駅前で男子部の支隊長から広告文片手に声をかけられたのでした。「日蓮大聖人の仏法」との言葉に何かを感じ、支隊長の「絶対に幸せになれる」との確信ある言葉に、「少しでも人生がよくなるのなら」と素直に神奈川会館に赴きました。実はUさんは学会時代、顕正会の悪口を散々聞かされていましたが、噂とは全く違う支隊長や会館内の顕正会員の心の豊かさ、笑顔に驚嘆し、入会を決意したのでした。
Uさんは、早口で何を言っているのかわからない学会の勤行、ダラダラして歯切れの悪い宗門の勤行を見ていただけに、顕正会の入会勤行のあまりの丁寧さに大感動し、「顕正会は正しい。やっと正しい団体にめぐり値えた」との感激が込み上げました。また、浅井先生の御指導を拝聴しては、池田大作とは天地雲泥と感じ、「この御方に一生付いていこう」との思いが湧き上がりました。
朝夕の勤行を喜んで実践していくと生命力が湧くのを実感し、また、それまで10年間続けていた心筋梗塞の治療のため定期検診に赴いたところ、なんと心電図の数値が正常で症状が一切なく、医師から「治っている!Uさん、もう通院しなくていいですよ」と告げられたのでした。「御本尊様のお力は本当に凄い。功徳だ!」と大感激したUさんは、幼馴染にも教えてあげたいと折伏して入信も叶えており、「いまこうして日々功徳に歓喜し、広宣流布に戦えるのも、正しき師匠・浅井先生にめぐり値うことが叶ったゆえと、自身の宿縁の有難さを噛みしめる」と報恩の思いを語っています。
学会で不幸、夫の酒乱・子供の病に苦悩 恋慕渇仰の遥拝勤行で一家和楽に 先生の命かけての激闘にひれ伏す
令和4年8月、広告文配布の縁で創価学会から顕正会に入会したMさんは、今から43年前、近所の学会員に誘われるまま学会に入信すると、忽ち様々な不幸に見舞われました。
夫は酒を飲むと人が変わったように暴力を振るい、時には意識を失うほど殴られ、何度も警察を呼びました。また現在41歳の息子は自閉症と注意欠陥多動性障害、44歳の娘も自閉症で、小学校のときにイジメを受け大怪我をしてからはうつ病を発症して不登校となり、他人に心を閉ざすようになりました。夫はアルツハイマー型認知症を発症するも家族への暴言は変わらず、学会活動をすればするほど不幸になっていきましたが、Mさんは自分の信心が足りないと思い込み、言われるまま会合等に参加していました。
そのようなとき、令和4年8月に滋賀県の大津京駅で女子部の総班長から広告文を受け取り、後日折伏を受けました。Mさんは、大聖人様の大恩徳や顕正新聞の「正義にめざめて」の登壇発表に大感激し、「凄い。学会では一切教えてもらったことがない。ぜんぜん違う」と夢中で語りました。さらに学会が戒壇の大御本尊を捨て奉った極限の大謗法を知り、自身や周りの学会員に功徳がない原因がわかり雲晴れる思いとなり、「顕正会で戒壇の大御本尊様に通じるお題目を唱えましょう」との総班長の確信ある言葉に肚が決まり、顕正会に入会したのでした。
入会後、恋慕渇仰の遥拝勤行を実践すると、学会では味わったことのない安堵感に包まれ、はじめて勤行の有難さを実感しました。
するとMさんは、学会時代には夫の暴力を恐れて家族に内緒で活動していたのが、顕正会に入会して1週間後には「家族を救いたい」との思いが込み上げ、さっそく長男を折伏すると、広告文の「竜の口の大現証」に大感激し、たいへん素直な入信が叶ったのでした。
Mさんは生活上にも有難い功徳を頂きました。数年前に腰を圧迫骨折して以来、常に痛みを抱えていたのが、気づくと痛みが和らいでおり、スムーズに歩行できるようになりました。また、Mさんの夫と長女は長年口もきかないほど険悪な関係だったのですが、長女が突然「お父さん、ただいま」と笑顔で話しかけるようになったのです。夫の嬉しそうな顔を見ては胸が熱くなり、「御本尊様のお力とは何と凄いのか」と大感激しました。
この感激のまま、勇気を出して長女を折伏すると、長女は「最近お母さん、歩くのが早くなったと思っていた」と、Mさんの変化に気づいており、驚くほど素直に入信が叶ったのでした。
Mさんは、厚く閉ざされた宿命の氷を溶かして頂き、和楽の家庭へと一変した姿に、折伏の大なる功徳と「遥拝勤行こそ時に適った信行」との浅井先生の仰せを理屈ぬきに実感するとともに、「多くの学会員が私のように何も知らず罰に苦しんでいることを思えば、一人でも多くの学会員に浅井先生のご指導を伝え、『入阿鼻獄』から救って頂いた自身こそ、真にお役に立てる人材へと成長し、無二の師匠・浅井先生に、滋賀の地より断固お応えしてまいる決意」と熱く語っています。
正義にめざめる学会員・法華講員が続々と
いかがでしょうか。御遺命に背く学会・宗門(日蓮正宗)で罰を受けてきた人たちが正義にめざめ、正しい顕正会に入会して遥拝勤行で大功徳を頂き、歓喜にあふれる姿を見ては、同じ顕正会員としてほんとうに有難く思います。
私も広告文を片手に、一人でも多くのまじめな学会員・法華講員たちを正義にめざめさせ、入阿鼻獄から救っていきたいと思います!