遥拝勤行と広告文

「遥拝勤行と広告文」特集号が出来しました

 顕正会の3月度総幹部会を特集した顕正新聞4月5日号が出来しました。その名も「遥拝勤行と広告文」特集号

 いま顕正会は「遥拝勤行」と「広告文」で広宣流布を力強く進めていますが、この2つが「広宣流布の戦いにおいていかに大事であるか」を浅井先生が指導下されたのが今回の特集号です。

 私も本特集号を心肝に染め、「遥拝勤行と広告文で広宣流布は必ず成る」との大確信に立って広宣流布のお手伝いに励んでいきたいと思います!

 それでは、さっそく内容を見ていきましょう。

遥拝勤行について

 遥拝勤行は、顕正会が理不尽な解散処分を受けた時から始まった、まさに時に適った信行です。

 解散処分に至った経緯は次のとおりです。

 日蓮大聖人が全門下に御遺命された「本門戒壇」とは、「広宣流布の暁に『勅宣並びに御教書』すなわち国家意志の公式表明を以て、富士山に建立される国立戒壇」であることは、三大秘法抄を拝見すれば太陽のごとく明らかです。

 ところが、第六天の魔王が身に入った創価学会の池田大作と、これにへつらった日蓮正宗の貫首は、国立戒壇を否定し、大石寺境内に建てた偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇」と偽りました。ここに正系門家から大聖人様の御遺命は消滅せんとしたのです。

 「この御遺命破壊の大事を見てもし黙止するならば、まさしく大聖人様に対し奉る最大の不忠になる」――ただこの一念で、浅井先生は御遺命守護の戦いにお立ちになられました。そして、会の安穏よりも大聖人様への忠誠を選ばれ、ついに昭和49年8月12日、顕正会に解散処分が下されました。

 その宣告書には、「日蓮正宗管長」の名を以て、「国立戒壇の名称を使用しない旨の宗門の公式決定に違反し、更にまた昭和四十七年四月二十八日付の『訓諭』(※正本堂を「御遺命の戒壇」と定めた訓諭)に対し異議を唱えたゆえ」との処分理由が記されていました。

 この宣告書こそ、学会・宗門が一体になって偽戒壇・正本堂の誑惑をし、御遺命破壊の大悪を強行する中、顕正会だけが御遺命の正義を守り奉っていたことを立証するものであり、まさに顕正会の「忠誠の証」です。

 このとき浅井先生は、「これで大聖人様に一分でも申しわけが立つ」との思いを懐かれると同時に、正系門家が悉く師敵対に陥った現状をご覧になり、「だが、広宣流布はどうなる」とのやみがたい広布の大道念から、「遥拝勤行で広宣流布の御奉公に立とう」と御決意されました。

 すると、1万2千で死罪に等しい解散処分を受けた顕正会は潰れもせず、ついに今300万の仏弟子の大集団に成らんとしています。こんな不思議なことがあるでしょうか。

 浅井先生は、これこそ「大聖人様の御守護」ゆえの「不思議」であり、大聖人様が遥拝勤行という「一筋の道」をお教え下されたのだと仰せです。

 やがて、大聖人様の御心に適い奉る恋慕渇仰の遥拝勤行は必ず一国に満ち、そのとき一国の総意を背景として、国家意志の表明たる「勅宣並びに御教書」も申し下され、御遺命のままの「本門戒壇」すなわち国立戒壇が、富士山天生原に建立され、その金剛法座に、ついに戒壇の大御本尊様が御出ましあそばすのです。

 このように、広宣流布の暁に一国に満ち満ちる、まさに広布を決する「一筋の道」こそが「遥拝勤行」なのです。広宣流布にとっていかに大事であるかがよくわかりますね。

広告文について

 広告文は、「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」の趣旨を簡潔にまとめたもので、日蓮大聖人の大恩徳を全日本人に教えて目を開かせる「開目のメス」です。

 この広告文の発行部数、3月7日現在でついに「8200万枚」に達したそうです。いやはや、すごいですね!

 しかもなんと、4月28日を期して、新しい広告文が出来するというのです!今回は活字を大きくして裏面も全面活用し、文言も加筆して下ったとのこと。

 今からワクワクが止まりません(笑)

 浅井先生は、まもなく日本の総人口1億2千万余をも突破するこの広告文について、「この広告文を見て素直に信ずる人は順縁、反発する人は逆縁です。しかし『広宣流布は大地を的とする』から、やがて全員が入信する」と仰せですが、「早く全日本人に読ませたい!」との思いが衝き上げます。

 この広告文には3つの現証を以て、「日蓮大聖人こそ末法の全人類を根底からお救い下さる唯一人の御本仏であられること」が示されています。その3つとは

 1つには、「臨終の相に善悪がある」こと。

 2つには、「立正安国論の御予言的中」のこと。

 3つには、「国家権力も御頸切れず」として、竜の口の大現証です。

 末法の私たち三毒強盛の凡夫には、難しい御法門のことはわかりません。でも、誰人も否定できないこの3つの現証を浅井先生のご指導を通して拝するとき、日蓮大聖人がいかにすごい仏様であられるか、その大恩徳が深く命に刻まれること疑いありません。

「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」

 いま日本一同の違背と正系門家の極限の大謗法・師敵対による罰として、中国・ロシア・北朝鮮という修羅の軍事独裁国家による侵略が刻々と日本に迫りつつあります。

 そして、ロシアのウクライナ侵攻によって切られた第三次世界大戦の「口火」がジリジリと導火線を進み、ついに中国による台湾侵攻という「発火点」に到達するとき、アメリカの尖兵的役割を担わされる日本は中国によって血祭りに上げられます。

 そのとき、日本の人々は、国亡び、我が命を失う恐怖から、「衆生に此の機有って仏を感ず」(御義口伝)との仰せのまま、始めて「お救い下さる仏様」を心の底から求めるようになります。

 しかしこのとき、もし人々が「お救い下さる仏様はどなたにてましますか」を知らなかったら、どうして日蓮大聖人に帰依することができるでしょうか。

 そこに、この大罰が起こるときまでに、「日蓮大聖人こそ末法の全人類を根底からお救い下さる唯一人の御本仏であられる」ことを全日本人に教え、一時に帰依せしめるための楔こそ、まさに「開目のメス」たる広告文であり、だからこそ、早く全日本人にこの楔を打ち込んでおかなければいけないのだと、広告文が広宣流布にとっていかに大事であるかが一重深く命に収まりました。

 最後に浅井先生は叫ばれました。

 このとき、三百万の仏弟子の大集団あって身命も惜しまず

 「日蓮によりて日本国の有無はあるべし

 との重大聖語を、全日本人の心魂に徹するまで教えるならば、一国は必ず動く。

 すべては大聖人様の絶大威徳と大慈大悲によって成るのであります。

 この広布最終段階に御奉公させて頂くのは、御遺命を守護し奉った顕正会以外には、断じてあるべくもない。

顕正新聞「遥拝勤行と広告文」特集号

 私も「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」との重大聖語を心腑に染め、「恋慕渇仰の遥拝勤行と広告文で広宣流布は必ず成る」との大確信に立って、広告文を手に喜び勇んで広宣流布のお手伝いに励んでいきたいと思います!