前代未聞の異常事態にある宗門
日蓮正宗といえば、本来、日蓮大聖人の仏法を正しく伝える唯一の正系門家です。ところがいま、この日蓮正宗で、700年来かつてない異常事態が起きているのです。一体、何が起きているのでしょうか?
それはズバリ、次の3つです。
①日蓮大聖人の唯一の御遺命(門下に遺された御命令)に背いている
➁最高権威であるはずの「時の貫首」が堕地獄の相を現じて死んだ
③血脈相承を受けていない人物が「法主」を詐称している
いやはや、なんとも恐ろしいことですね。
ちなみに、僧侶たちの姿を見れば、やれ下着泥棒や強制わいせつで逮捕されたとか、やれ寺のお金を横領したとか、やれ夜のスナックに私服姿で繰り出しているとか、サイテーな人たちが多いです。ふだんは人格者のような顔をして説法しているくせに、一皮むけば「下着泥棒かい!」と驚き呆れますが、彼らいわば「異常事態の結果として生じてきた膿(うみ)」みたいなものなのでしょう(笑)
何よりも、宗門として、大聖人の御遺命に背き、御相承を受けていない者が「法主」を詐称し、最高権威であるはずの「時の貫首」が堕地獄の相で死んだということは、ただ事ではありません。
一言でいえば、「日蓮大聖人に背いている」のです。だから、宗門僧俗は功徳を失い、成仏が叶わず、かえって阿鼻獄に入ってしまうのです。これが日蓮正宗の実態です。
これまでの記事
これまでこのブログでは、今の宗門(日蓮正宗)が大聖人の御遺命に背いていること(①)を、できるだけわかりやすく書いてきました。
また、「時の貫首」であった細井日達が、昭和54年7月22日、大事の御相承もなしえずに急死し、「ドス黒く、阿鼻獄を恐れ叫んでいるかのような相」を現じたこと(➁)についても、何度か記事を書いています。
そこで、この記事では、細井日達の急死により御相承を受けられなかった阿部日顕が、ドサクサに紛れて「法主」を詐称したこと(③)について書いてみたいと思います。
必死に強がる法華講員たち
こう書くと、日蓮正宗の信徒(法華講員)たちは、それこそ必死になって反論してきます。彼ら、彼女らは「法主絶対!」と信じ込まされ、洗脳されているため、かわいそうなことに「事実」を受け入れられません。
法華講員たちが言ってくるのは、だいたいこんな内容です。
A 「顕正会は謗法だから、血脈を信じられないのよ!」
B 「顕正会だって、昔は日顕上人(阿部日顕のこと)を貫首と認めていたじゃない!」
C 「宗門ではみんな日顕上人のことを法主と認めているんだから、あなたたちに言われる筋合いはないわ!」
D 「当時、宗門のご僧侶の中でも、次の貫首は日顕上人だという話が出ていたんだ!」
などなど。
まあ、だいたいこんな感じでしょうか(笑)
でも、これってよく考えると、何の根拠にもなっていないのです。
まずAは論外です。「信じる・信じない」とか言っている時点で、証拠がないことを認めているようなものです。
Bも論外ですね。もし顕正会が一時的に阿部日顕を貫首とみなしてあげたことがあったとしても、別にそれで阿部が相承を受けたことにはならないからです。
Cも的外れです。「いまみんなが法主と認めている(信じている)かどうか」と、「実際に相承を受けたかどうか」とは、やはり全く別の話です。
Dは、宗門お得意の「後から証言」です。自分たちのメシの食いブチを失いたくない坊主たちが信徒をだましておくために後からそんな話を持ち出しているわけです。しかも、よくよく見ると、どれも曖昧な内容で、細井日達が阿部日顕に相承をしたことをズバリ証明できるようなものは何一つありません。なんというか、ふわっとダマす感じですね(笑)
実は単なる思い込み
法華講員のみなさん、冷静になって、よく考えてみてください。
・阿部日顕が細井日達から相承を受けたことを証明できるような証拠は、何かありますか?
・あるというなら、それは何ですか?また、本当に証拠になるものですか?
・阿部日顕が、本当は相承を受けていないのに、「相承を受けた」と勝手に自己申告している可能性は、ゼロですか?
・もしゼロだというなら、その根拠はなんですか?それは、あなたが生きてきた社会常識に照らして、誰もが納得できる根拠ですか?それとも、なんとしても「信じたい」という、あなたの思い込みですか?
・もしも―あくまで「仮定」の話ですが、昭和54年7月22日のあの日、細井日達が急死を遂げた直後、阿部日顕ではなく、別の僧侶が「実は私が相承を受けていた」と自己申告していたとしたら―それでもあなたは、その僧侶を「相承を受けた法主上人猊下様」と信服随従し、「盲従」しましたか?
・万が一、阿部日顕が「相承を受けた」と自己申告しているだけだとしたら、そのような者に御本尊を「書写」する資格があるのでしょうか。相承を受けていない者が「書写」した本尊を、拝んでも良いのですか?
いかがでしょうか。みなさんが信じて疑わない阿部日顕への相承というのは、実は確たる根拠が何もないのです。ただ阿部日顕が「自己申告」しているだけです。
しかも、その自己申告の内容といえば、「今日までどなたにも秘してきたが、実は昨年四月十五日、総本山大奥において猊下と、自分と、二人きりの場において、猊下より自分に対し内々に、御相承の儀に関するお言葉があり、これについての甚深の御法門の御指南を賜ったことを御披露する」というものです(昭和54年7月22日における椎名重役の挨拶より)
「今日までどなたにも秘してきた」、「猊下と、自分と、二人きりの場において」というのは、要するに、誰も知らないし、何の根拠もない、ということです。
「阿部信雄」の人柄
では、阿部日顕(教学部長時代は「阿部信雄」)という人物は、はたして、その発言がすべて正しく、全面的に信用して良い人物なのでしょうか?それとも、たとえば自身の出世や名誉のために、嘘をついたり、卑怯な振る舞いをしたこともある人物でしょうか?
答えは、細井日達の次の発言に明らかです。
昭和53年6月29日、全国教師講習会が本山で開かれたとき、阿部信雄はその内容を即刻、池田大作に密告しました。そのことを知って憤った細井日達は、大勢の僧侶たちを前に、次のように述べたのです。
「阿部はとんでもない。学会にべったりでどうしようもないやつだ」(時事懇談会記録)
ちなみにこの発言があったのは、阿部信雄が「相承を受けた」と自己申告する昭和53年4月15日のわずか2ヶ月後のことです。
要するに、当時、阿部信雄は、細井日達を裏切って池田大作に内通しており、そのことを細井日達に「とんでもない」「どうしようもないやつだ」などと叱られていた、ということです。
まあ、もともと阿部信雄という男は、細井日達と対立する池田大作にへつらい、「社会に開いた先生の教学はよくわかります。完璧であると思います」(昭和52年9月2日・学寮会談)なんて、せっせと媚(こび)を売っていた人物ですから、細井を裏切って池田に内通するなど朝メシ前だったのでしょう。
実際、創価学会の側でも、何かとうるさい細井日達をおろし、阿部信雄を貫首に擁立しようとしていたようです。昭和52年8月4日の副会長会議では、「阿部教学部長が次(時期「法主」)を狙っているので、相対して(連携して)やっていく」、「作戦は密を要す」等と語られています(副会長会議記録)。
これが「阿部信雄」という人物です。
法華講員のみなさん、この人物の言葉に、絶対にウソはないと言い切れますか?本当にその可能性すらないと言い切れるのでしょうか?
あの細井日達すら「どうしようもないやつ」(時事懇談会記録)と叱責していた学会ベッタリの「阿部信雄」。その彼の「実は・・・」という根拠のないヨタ話を盲信し、相承を受けていない「売僧」に「信服随従」し続ける洗脳され切った法華講員たち。本当に哀れな人たちだなとつくづく思います。
「いや、でも、他の御僧侶も、後に阿部教学部長が相承を受けたことを認めているし・・・」
というのは、実は何の根拠にもなりません。
だって、宗門の坊主たちは、万が一にも御相承の授受ができなかったなんていうことが明るみに出れば、それこそ一宗としての正統性が失われ、信者もいなくなってしまう恐れがありますから、それは是が非でも「相承の授受はあったのです!」なんて言うでしょう。彼らはそう言わなければ生活していけない人たちなのです。
まして、仏法の眼で見れば、阿部信雄は「国立戒壇論の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」という2冊の悪書を書いて三大秘法抄の御聖意をズタズタに切り刻み、御遺命に違背した大謗法の徒なのですから、「常住此説法」の御本仏・日蓮大聖人が相承を受けることをお許しになるはずがありません。
要するに、みなさんは「阿部信雄」の自己申告に騙されているのです。
広宣流布の時には日目上人の御再誕が
いかがだったでしょうか。まじめな法華講員の方々にはちょっと強烈すぎる内容だったかもしれませんが、これが事実なのです。ことは皆さんの成仏・堕獄に関わることですから、どうか目をそらさずに直視してください。
「でも、そうすると、血脈はどうなっちゃうの?正しい貫首上人はもういらっしゃらないの?」と不安に思われたそこのあなた!・・・ご安心ください。
冨士大石寺では昔から、「広宣流布の時には日目上人の御再誕が御出現になる」と言い伝えられています。日目上人は、すでに御在世において日興上人から御相承を受けている御方ですから、血脈が断絶することはありません。
よくよく考えれば、御相承の授受不能という700年来かつてない異常事態、大悪こそ、御遺命違背の罰であると同時に、いよいよ御遺命成就、そして日目上人の御再誕出現という大善の前兆と思えてなりません。
「大事には小瑞なし、大悪起これば大善きたる」(大悪大善御書)と。
いよいよ大確信に立って、広宣流布・国立戒壇建立の御奉公に邁進していきたいと思います。