「細井日達の悪臨終」の真相が凄すぎる!

「細井日達の悪臨終」とは?  

 冨士大石寺顕正会の令和元年6月度総幹部会で、ついに「細井日達の悪臨終」の真相を明らかにする凄い登壇がありました!

 「細井日達の悪臨終」といえば、昨年、男子部80隊の内藤正信班長の登壇で明らかとなった事実ですね。

 内藤班長の母親(内藤みどりさん)は、細井日達の縁戚で、法華講総講頭の柳沢喜惣次の元・義姉で、しかも大石寺の宿坊に夫婦ともども働いていた方です。

 この内藤みどりさんが、細井日達の葬儀に参列した際、その臨終の相を見たところ、なんと「今までに見たこともないほどドス黒く、阿鼻獄を恐れ叫んでいるかのような相」だったと証言したのです。

 これは、日蓮正宗の第66世・細井日達が、時の貫首の身でありながら、大聖人の御遺命たる国立戒壇を否定し、偽戒壇・正本堂を御遺命の戒壇と偽称する誑惑に加担した大罪により、大聖人の厳たる御裁断が下り、急死して無間地獄に堕ちた姿にほかなりません。

 まさに「我(わが)弟子等の中にも信心薄淡(うす)き者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし」(顕立正意抄)、「一切は現証には如かず。・・・実に正法の行者是くの如くに有るべく候や」(教行証御書)との大聖人の御金言のままです。

「細井日達の悪臨終」の真相がついに明らかに

 この内藤班長の登壇に衝撃を受けた宗門(日蓮正宗)は、それこそ死に物狂いで「火消し」を図ったようです。内藤みどりさんを「怪しい縁戚」と中傷したり、「実はすばらしい相だった」とデマを流したりと、ありとあらゆる手段を尽くしました。

 しかし、やはり真実を隠し通すことはできません。今回、男子部の川崎第15男子部長より、「細井日達の悪臨終」の真相を明らかにする衝撃的な報告がありました。

正信会住職の証言

 まず正信会住職の証言が出てきました。この住職の父親は、当時、宗門(日蓮正宗)の僧侶であったことから、昭和54年8月、細井日達の本通夜に参加するために、本山に宿泊しました。

 その際、7月22日の仮通夜・密葬に参加した細井日達の直弟子をはじめ、複数の僧侶たちから、細井日達の悪臨終について直接聞いたというのです。いわく、「臨終の相があまりにもひどかった」、「顔がパンパンにはれ上がっていた」、「遺体の痛みが酷かった」等々。

 しかも、細井日達の臨終の様子については、宗内に箝口令(かんこうれい)が敷かれていたと。

 なんとも生々しいですね。宗門がいかに細井日達の悪臨終を隠そうとしていたかがよくわかります。

佐々木秀明の証言

 また、佐々木秀明という正信会住職の証言も出てきました。彼は昭和24年、8歳のときに出家し、後に第64世・日昇上人の弟子となった宗門僧侶で、昭和54年当時は細井日達に近い立場にあったようで、葬儀にも参列しました。

 この佐々木秀明が後年、正信会の信徒に対し、細井日達の臨終について、「あんな死に方をして、もう真っ黒になって、あんなの地獄行きですよ。間違いない」と語ったというのです。

 しかも、この証言が、どうやら宗門の機関紙「大白法」に掲載されているとのこと。これは決定的ですね。

大聖人の御裁断を拝せよ

 いかがでしょうか。これが、宗門がひた隠しにしてきた「細井日達の悪臨終」の真相だったのです。

 これは何を意味するのでしょうか。それは、たとえ時の貫首であっても、大聖人一期の御遺命に背き、真の懺悔がなければ、堕地獄の相を現ずるということです。もちろん、これに与同する宗門僧俗も同罪です。

 大聖人と「唯仏与仏」の御境界であられる日興上人が戒め給うていわく、「時の貫首為りと雖も、仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」と。絶対なのは御本仏・日蓮大聖人の御金言であり、時の貫首ではないのです。

 すでに大聖人の厳たる御裁断が明らかとなった以上、宗門はこれを真摯に受け止め、今こそ御遺命破壊の大罪を深く懺悔し、国立戒壇の正義に立ち還らなければなりません。

 ちなみに、これまで宗門が垂れ流してきたデマ等に対する破折については、こちらの記事をご参照ください。