「細井日達の悪臨終」をゴマかす宗門
以前、紹介させて頂いた現役顕正会員さんのブログ「日蓮正宗の欺瞞を検証してみた~冨士大石寺顕正会員が一刀両断」を見てみたら、またまた凄い記事が出ていました。
「えっ、宗門って、細井日達の悪臨終について反論とかしてるの!?」というのがまず驚きでした。だって、どう考えたって、苦しすぎるじゃないですか(笑)
ところが、一刀両断さんのブログによると、なんと法華講機関紙「大白法」に「日達上人御臨終の相へのでっち上げ」と題する記事が載っているというのです。これは宗門の公式見解ですよね。
さっそく私も探してみたところ、ありました!「大白法」の中に「異流義破折」というコラムがあり、そこに「日達上人御臨終の相へのでっち上げ」と題する記事が掲載されているではないですか。
さぞご立派な記事かと思いきや、あに図らんや!取るに足らないお粗末な内容に、「所詮、この程度のレベルか・・・」と、ただ呆れるばかりでした。
そもそも記事のタイトルが「日達上人御臨終の相へのでっち上げ」となっていますが、「御臨終の相への」って、日本語的におかしくないですか?(笑)
それはさておき、今回はこの大白法記事について、簡単に所感を書いてみたいと思います。
大白法の記事の構成
まず大白法の記事を俯瞰してみると、おおむね次のような構成になっていることがわかります。
① 細井日達の悪臨終を見た「縁戚の母」とは誰か不明である
② 実際はすばらしい臨終の相だった
③ 「縁戚の母」の証言には疑問点がある
④ 顕正会が細井日達の臨終について悪く言うことは人の道に外れるものだ
言うまでもなく、記事の狙いは、細井日達の悪臨終を耳にする法華講員らの動揺を抑えることです。
そこで、まず①で「そもそもそんな縁戚なんていなかったんじゃないか」と思わせ、②で「実はすばらしい臨終の相だったんだ」と法華講員らを安心させ、③で「顕正会の登壇内容はでっち上げだ」と批判し、④で「顕正会の行為は人の道に外れるものだ」と人格攻撃をするのです。
しかし、宗門が主張する①から④の内容は、どれも欺瞞に満ちています。
1つずつ順番に見ていきましょう。
細井日達の悪臨終を見た「縁戚の母」とは誰か不明であるとの欺瞞
まず大白法記事は、細井日達の悪臨終を目の当たりにした第80隊・内藤組長の母親の存在を否定しようとして、次のように書いています。
日達上人のご親族や直弟子の方々、さらには当時総本山に勤められていた御僧侶や従業員の方々にお聞きしたところ、全員が「そんな人物に心あたりはない」とのこと。果たして、「縁戚の母」とは一体誰なのであろう。
しかし、内藤組長が「細井日達の悪臨終」について登壇したのは、平成30年9月26日の総幹部会ですから、この大白法記事が出るまでのごく短期間で、「当時総本山に勤められていた御僧侶や従業員の方々」「全員」から事情聴取をするのは不可能です(今から約40年前に、どれほどの人々が働いていたのかさえ不明でしょう)。
そうすると、先の「全員が『そんな人物に心あたりはない』とのこと」というくだりは、「当時の関係者全員」という意味ではなく、「何人かに聞いたところ、その全員が」という意味と理解するほかありません。
つまり、宗門がどれだけの人数の者に事情聴取をしたのかさえ不明なのです。
そのため、仮に宗門が何らかの事情聴取を行ったのだとしても、今から約40年前の「従業員」について知っている人間は極めて限られてくることから、それらの人々の中に内藤組長の母親の存在を知る人がいなくても何ら不自然ではなく、むしろ当然というべきです。
したがって、仮にそれらの人々に「心あたり」がなかったとしても、内藤組長の母親の存在を否定する根拠にはなり得ません。
まして、大白法記事には、具体的に「誰に」聴取したのか、名前も書いていません。ですから、宗門が本当にそのような事情聴取を行ったのかさえ「不明」なわけです。
記事の表現を借りるなら、「果たして、『当時総本山に勤められていた御僧侶や従業員の方々』『全員』とは一体誰なのであろう」といったところでしょうか(笑)
要するに、先の記述には何の根拠もないのです。
実際はすばらしい臨終の相だったとの欺瞞
次に大白法記事は、「では実際に御遷化時はどういう状況であったか」と前置きした上で、「お身内」なる人物の証言として良き臨終の相であった旨を書き、「得体の知れない縁戚と、現実のお身内のどちらの証言が信頼に堪えるものかは、言うまでもない」などと結んでいます。
しかし、記事では、そもそもこの「お身内」なる者がいかなる人物なのか、名前も立場も一切明かされていません。そのため、そのような人物が実在するかどうかさえ「不明」と言わざるを得ません。つまり、「得体が知れない」のは、この「お身内」なる人物の方なのです。
一方、内藤組長の母親は、息子である組長の名前や家族構成、生い立ちのほか、当時、総本山の宿坊に勤務していた法華講員であったこと等が、顕正新聞紙上で公表されています。
このように、名前も立場も不明の「得体の知れない『お身内』」なる者の証言(と称する文章)によって、自らの名前や出自等を公表して登壇している内藤組長の証言を否定しようとすること自体、無理があり、まさに「どちらの証言が信頼に堪えるものかは、言うまでもない」でしょう。
さらに付け加えれば、この「お身内」なる者の証言(「そのお姿は・・・」)からは、この人物がいつ、どこで、どのように細井日達の臨終の相を見たのかさえ明かされていません。
つまり、大白法記事は、どこの誰かもわからない人が、いつ、どこで見たのかも明かさないままに、「良い相だったと言っていますよ」と書いているにすぎないのです。
逆に、なぜこんな記事を信用することができるのか、摩訶不思議としか言いようがありません(笑)
ちなみに、仮に「お身内」なる人物が実在する(ことにしてあげた)としても(笑)、その者がいつ、どこで、どのように見たのかさえ不明なのですから、その証言に何の信ぴょう性もないことは言うまでもありません。
とりあえず「良い相だった」という「お身内」なる人物の証言をでっち上げることで、動揺する法華講員らを安心させようとする魂胆なんだろうとは思いますが、いやはや惨めですね(笑)
「縁戚の母」の証言には疑問点があるとの欺瞞
さて、次に内藤組長の登壇内容に対する批判を取り上げてみたいと思います。
大白法記事は、「実在するかどうか判らない『縁戚』による証言の疑問点を洗い出してみる」として、4つの「疑問点」なるものを挙げています。
しかし、読んでみると、これらは「疑問」(ギモン)というより「欺瞞」(ギマン)にすぎません。
簡単に破折してみます。
わずか2日半の入院中に3回も見舞いに行くなんてあり得ない?
まず大白法記事には、「わずか二日半の入院で、お身内以外の者が三回もお見舞いに行くことなど、到底あり得ないことである」とあります。
これは、内藤組長が登壇の中で、母親が細井日達の入院中に3回ほど見舞いに行ったというエピソードを挙げていることに対して、日達は昭和53年7月19日に入院し、その2日半後の7月22日未明に死亡したことから、「そのような短い期間に3回も見舞いに行くなんてあり得ない、だからでっち上げだ」というリクツのようです。
この涙ぐましいタバカリについては一刀両断さんが鋭く破折されていますので、引用します。
宗門機関誌「大日蓮」(昭和54年9月号)から拾ってみます。
同号には、「日達上人猊下御密葬御通夜」における「椎名重役」のあいさつ(文末に画像あり)が掲載されており、このような記述があります。
「日達上人猊下には、(※)その以前よりお身体の不調を訴えられ、特に心臓機能の障害によって、しばしば御入院遊ばされ、治療に専念遊ばされておりました」と。
(他の2~3名の僧侶も同様に「しばしば入院していた」と記しています)
「(※)その以前より」とは、阿部日顕が細井日達から相承を受けたとされる「昭和53年4月15日」を指します。
「しばしば」の意味を辞書で引いてみましょう。
しば‐しば【×屡/×屡々】の意味
出典:デジタル大辞泉(小学館)
[副]同じ事が何度も重なって行われるさま。たびたび。実は、細井日達は、急死する1年以上も前から、何度も入院していたのです。
ところが、今回の「大白法」の文書では、最後に入院した二日半のことだけを取り上げて「わずか二日半の入院で、お身内以外の者が三回もお見舞いに行くことなど、到底あり得ない」とN組長の証言がいかにも虚偽のような印象操作をするのです。
この記事を書いた僧侶が、細井日達が「しばしば入院していた」ことを知らぬ筈がありません。極めて悪質なたばかりです。
それまで富士宮市民病院の医師が主治医でしたが、昭和53年の春頃より東京の聖路加病院長の日野原重明博士が主治医となりました。
聖路加病院に入院して、日野原医師から治療だけでなく生活指導まで受けて、それを忠実に守った結果、日常生活の職務には支障がないほど回復し、その後も月に一回は聖路加病院に赴いていたのが実情です。
だから、しばしば入院している間にN組長の母親が見舞いに行ってもなんら不思議はないのです。
なんとも姑息なウソをつくものです。
つまり、細井日達は、「わずか二日半」ではなく、その1年以上前からしばしば入院していたことから、その間に3回ほど見舞いに行くことは何ら不自然ではない、ということです。
法華講員さん、この記事、前提からしてズレてますよ(笑)
登壇内容が不自然?
次に大白法記事には、「仮に本当の縁戚であったとして、『御相承の前日』などと述べることはあり得ない。御相承の大事を、一般信徒に先に公表される道理などないからです」とあります。
これは、内藤組長の登壇内容が不自然だ!とイチャモンをつけたものです。
しかし、これについても一刀両断さんの破折が明快なので、そのまま引用します。
これは、なにも〝昭和54年当時、臨終前に相承の日を事前に知っていた〟ということを言っているのではなく、事後に「相承を行おうとしていた前日に死亡した」ことがわかったから、そのように述べたまでで、だからといってN組長がウソをついたことにはなりません。
いやはや、全くそのとおりですね。
このようなくだらない揚げ足取りすらも「疑問点」(しかも2つ目)として列挙せざるを得ないあたりからも、日達の悪臨終をなんとか隠蔽せねばと躍起になる宗門の苦境がにじみ出ている気がします(笑)
臨終に立ち会ったのは夫人や子息たちだけ?
次に大白法記事には、「御臨終に立ち会われたのは、日達上人令夫人とご子息、そして側近の方のみである。しかも『二時間にも及ぶ心臓マッサージ』など行われていない」とあります。
しかし、これには何の根拠もありません。つまり、宗門は、ここで内藤組長の登壇内容を否定しようと試みているものの、何の根拠も示せていないのです。
要するに、「疑問」を挙げる根拠が事実無根ということです。これを「欺瞞」といいます(笑)
むしろ、この「欺瞞」からは、実は宗門自身も細井日達の臨終の相が悪かったことをよくよく知っていることが窺われます。さて、どういうことでしょうか?
大白法記事では、細井日達の臨終の相について、「お身内」なる人物や「数百人」の葬儀参列者などの証言(と称する文章)を掲げて、「日達上人の相はすばらしかった」と強弁しています。
ところが、どの記述をみても、それが一体誰なのか、名前等を具体的に明らかにできていません。
しかし、この部分の記述では、宗門として、少なくとも日達の夫人や子息が「御臨終に立ち会われた」と主張しているのですから、仮にそれが事実であり、かつ、本当に臨終の相がすばらしかったのであれば、この日達の「夫人」や「子息」らの証言をこそ掲載すべきなのです。
具体的には、当時、自分はどこにいて、そのときに日達に何が起こり、どのような経過を経て臨終を迎え、そのときの様子や相はどうであったかを、実名を以て文書で公表すべきであり、また、容易にできるはずです(ちなみに、もしすでに夫人や子息が全員死亡しているとしたら、それこそ、先の記述は何を根拠に書いているのか(単なる捏造ではないのか)重大な疑義があります)。
しかるに大白法記事では、日達の「夫人」や「子息」が「御臨終に立ち会われた」などと書いておきながら、それらの者たちの「臨終の相」に関する証言は一切掲載することなく、名前も立場も不明の「お身内」なる者の証言等のみを挙げています。
そのこと自体、実際には、そもそも日達の夫人らが臨終に立ち会っていなかったか、仮に立ち会っていたとしても、およそ「すばらしい相」ではなかったか、のいずれかであったことを窺わせるといえるのです。
「すばらしい尊い相だった」と数百人が証言している?
次に大白法記事には、「最大の疑問点」として、「お別れで御尊顔を拝した全僧侶・親族・寺族・代表信徒、おそらく数百人が、『生前と変わらない、すばらしい尊い相をなされていました』と証言している。この多くの証言と、たった1人の怪しい『縁戚』との違いは決定的である」とあります。
しかし、この記述こそ、かえって大白法記事が虚偽であることを窺わせる決定的な記述といえます。
理由は次のとおりです。
大白法記事は、お別れの際に日達の顔を見たすべての僧侶、親族、寺族、代表信徒ら「数百人」が、一様に「すばらしい尊い相だった」と証言していることを前提に、それらと内藤組長の母親の証言を対比しています。
しかし、繰り返しになりますが、内藤組長が登壇したのは平成30年9月26日というごく最近のことですから、それからわずかの期間しか経っていない記事掲載日までの間に、今から約40年前(昭和54年)の葬儀に参列した「数百人」から事情を聞くことなど不可能です。
まして記事には、「お別れで御尊顔を拝した全僧侶」などと書かれていますが、年齢的に考えても、当時の「全僧侶」が存命しているはずがありません。
そうすると、この記述が真実だというためには、内藤組長の登壇後に事情聴取をしたのではなく、「葬儀の当時、そのような証言があった」という意味に理解するほかありません。
そうであるならば、宗門はその「数百人」分の証言記録を証拠として示すべきですし、また、それは容易にできるはずです。
しかし、そのような証言記録があるはずがありません。
なぜなら、もしそのような記録が残っているのであれば、わざわざ先にみたお粗末な「疑問点」などを論じる必要などなく、その「記録」を「出典」(当時の宗門機関誌等)とともに引用すればよいのです。
また、昭和54年から今日に至るまで約40年間、そのような「お別れで御尊顔を拝した全僧侶・親族・寺族・代表信徒」ら「数百人」の「証言」が公表されたこともありません。
これらを踏まえると、「お別れで御尊顔を拝した全僧侶・親族・寺族・代表信徒、おそらく数百人が、『生前と変わらない、すばらしい尊い相をなされていました』と証言している」との記述は、何の裏付けもないのみならず、明らかに不合理ですから「虚偽」であると断じざるを得ません。
法華講員の皆さん、こういうのを「日達上人御臨終の相へのでっち上げ」というのですよ(笑)
悪臨終について悪く言うことは人の道に外れるものだとの欺瞞
最後に、大白法記事は、次のように顕正会を批難しています。
このようにNの発表には多くの疑問点があるが、それよりも断ぜられるべきは、確証のない『又聞き』を、さも真実であるかのように言い切る、浅井ら顕正会の体質そのものである。
さらに、このような妄言をもとに臨終の相を悪し様に言うことは人道に悖る行為でもある。それを平然とやってのけるのが顕正会であり、しかもでっち上げだ。
まず面白いのが、「このようにNの発表には多くの疑問点があるが、それよりも断ぜられるべきは・・・浅井ら顕正会の体質そのもの」として、さりげなく内藤組長の登壇内容の真偽から話題を逸らしていることです。
仮に「お身内」なる人物や「数百人」の葬儀参列者の「証言」が実在するのであれば、内藤組長の登壇内容は完全な捏造ということになりますから、そもそも「疑問点があるが」では済まないはずです。
それなのに、この期に及んでなお「疑問点があるが」としか書けないこと自体、先の「お身内」なる者や「数百人」の葬儀参列者の「証言」が虚偽であることを自白しているに等しいといえます。
また、「このような妄言をもとに臨終の相を悪し様に言うことは」として、内藤組長の登壇を「妄言」(でまかせに言うことば。いつわりのことば。うそ。妄語)などと中傷していますが、これも理由がありません。
先に見たとおり、大白法記事の批判はいずれも的外れである上、名前も立場も不明の「得体の知れない」人物らの証言(と称する文章)を掲げているのみであり、しかも、その内容は虚偽であることが窺われるのですから。
内藤組長は、自らの名前や出自等を明らかにして、総幹部会という公の場で登壇発表しているのですから、もし宗門がその内容を否定したいのであれば、少なくとも、「すばらしい尊い相」を見たという人物を公の場で登壇させるか、そのような証言が掲載された当時の宗門機関誌等を証拠として提示すべきでしょう。
もし御本仏・日蓮大聖人の御眼を恐れず、その厳たる御裁断である臨終の証拠について虚言を構える覚悟があるならば、ですが。
細井日達の悪臨終が意味すること
いかがだったでしょうか。
このように宗門は、内藤組長の証言を何とか否定せんとして、様々なたばかりを述べていますが、結局のところ、氏名不詳者らの証言(と称する文章)なるものを列挙するだけで、何ら反論になっていません。
むしろ、「二日半の入院」のたばかりや、「数百人」の「証言」という虚偽を弄していることからすれば、そのような氏名不詳者らの証言(と称する文章)を信用できる理由がありません。
所詮、頭の悪い人間が必死になってウソをつこうとするから、このような墓穴を掘るのでしょう。
また、法華講員(特に元顕正会員の脱会者)は、顕正会に対しては執拗かつくだらない揚げ足取りに血道を上げているにもかかわらず、なぜ、このような根拠のないお粗末な文章は簡単に信じてしまうのでしょうか。正直、理解に苦しみます。
最後に、細井日達の悪臨終が意味することについて書いておきます。
これは「臨終の証拠」という記事でも書きましたが、大事なことなので、重ねて書きます。
ここに思うことは、宗門(日蓮正宗)のトップであった第66世・細井日達の悪臨終です。
日達は、昭和54年7月、フジヤマ病院に入院中、突如激甚の発作に襲われて臨終を迎えました。
その臨終の相は、なんと「今までに見たこともないほどドス黒く、阿鼻獄を恐れ叫んでいるかのような相だった」とのことです。
この日達の悪臨終は何を物語っているのでしょうか。
それは、たとえ時の貫首であっても、大聖人一期の御遺命たる国立戒壇を否定し、御遺命の敵となるならば、無間地獄に堕ちるということです。
また、「師は針の如し、弟子は糸の如し」であれば、いま御遺命違背の宗門(日蓮正宗)に籍を置き、国立戒壇を誹謗する者がいかなる末路を辿るかも、自ずと明らかです。
ちなみに、宗門はよほどこの事実を知られたくなかったのでしょう。
これまで数十年間にわたり、細井日達の悪臨終について一切伏せてきました。
しかし、近年、顕正会に入信した男子部第80隊・内藤組長の証言により、ついに明らかとなってしまいました。
そこで、いま法華講員の中には、なんとか周囲の(あるいは自分の?)動揺を抑えようと、「あの登壇はでっち上げだ!」、「日達上人の臨終は良かった!」などと、必死になってウソの情報を垂れ流している者もいるようです。いやはや、本当に惨めですね(笑)
しかし、冷静に考えてみてください。
男子部第80隊・内藤組長は、昭和25年に富士宮市で生まれ、母親が細井日達の縁戚であったことから、両親とも大石寺の宿坊で働いていました。
彼自身、小学校まで大石寺周辺に住み、境内が遊び場だったそうです。
もちろん、彼の母親は熱心な法華講員でした。その母親が、縁戚として細井日達の葬儀に参列した際、日達の「今までに見たこともないほどドス黒く、阿鼻獄を恐れ叫んでいるかのような相」を眼前にしたことから、あまりのショックにそのことを内藤組長に打ち明けたというのです。
もしも母親が創価学会員などであれば、宗門憎しのあまり、息子に対してウソの情報を伝えることもあるかもしれません。
しかし、大石寺の宿坊で働いていたほどの熱心な法華講員であった母が、よりによって時の貫首の臨終の相について、どうして息子にウソの情報を伝えることがあるでしょうか。
彼の証言は真実なのです。
もちろん、信じないのは法華講員たちの勝手です。しかし、事実は事実です。
どれだけ「でっち上げだ」と強がろうとも、また、どれほど理屈をこねて取り繕おうとも、細井日達が「ドス黒く、阿鼻獄を恐れ叫んでいるかのような相」であったことは紛れもない事実です。
そして、大聖人の御金言に照らせば、それはまさしく「無間地獄の相」以外の何物でもありません。
「我(わが)弟子等の中にも信心薄淡(うす)き者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし。其の時我を恨むべからず等云々」(顕立正意抄)
また
「一切は現証には如かず。・・・実に正法の行者是くの如くに有るべく候や」(教行証御書)と。
かかる大聖人の厳たる御裁断が明らかとなった以上、宗門はこれを真摯に受け止め、今こそ御遺命破壊の大罪を深く懺悔し、国立戒壇の正義に立ち還らなければなりません。
追記(「縁戚の母」の素性!!)
内藤班長のお母さんは、かつて「法華講総講頭」を務めた「柳沢喜惣次」の元・義姉であることが顕正会12月度総幹部会で発表されたようです!
速報はこちら >>「細井日達の縁戚」の母の素性が凄すぎる!