やっぱり悲惨だった阿部日顕の最期

晩年の阿部日顕の姿についての登壇がありました

 「ああ、やっぱり・・・」と誰もが思ったことでしょう。

 冨士大石寺顕正会の10月度総幹部会で、阿部日顕の悲惨な晩年の姿を報告する登壇がありました。

 なんと阿部日顕が入院していた病院に、顕正会員が働いていたというのです。その方が、数年前の阿部日顕の姿を、今回、赤裸々に語ってくれたそうです。

生々しい報告=黒ずんだ顔

 その内容は生々しく、特に阿部日顕が重い腎臓の病気で、いつも顔が黒ずんでいたと聞いては、御遺命違背の大罪の重さ、深さに、思わず身震いしました。

 池田大作にへつらい、「国立戒壇論の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」という2冊の悪書を書いて、大聖人の御遺命たる国立戒壇を完全に否定し、「正本堂こそ御遺命の戒壇」と偽称した阿部日顕。

 また、平成10年、大聖人の御威徳によりニセ戒壇・正本堂が崩壊したにもかかわらず、なお平成16年の講習会で「国立戒壇が間違いだと言ったことは正しかった」などと大謗法の悪言を吐いた阿部日顕。

 さらに、浅井先生の平成17年の公開対決申入れから完全に逃げ、その直後、「大扉開かず」の大現証に怖畏して猊座を退いたものの、なお院政を企て早瀬管長を監視し、本年2月に改めて平成16年の講義録を発刊し、国立戒壇否定の悪言を宗内に流布した阿部日顕。

 この改悔なき阿部日顕が、どうして良き臨終を迎えることができるでしょうか。「我(わが)弟子等の中にも信心薄淡(うす)き者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし。其の時我を恨むべからず等云々」(顕立正意抄)との大聖人の厳しきお戒めが胸に浮かびます。

「大聖人様が宗門追放して下さった」

 浅井先生は、7月度総幹部会で早瀬管長に対し、阿部日顕・大草一男の宗門追放と、国立戒壇の正義を宣示することを直諫されました。すると、なんということでしょう!それからわずか58日にして阿部日顕「死亡」という大現証が起きたのです。先生は、「私は、大聖人様が宗門追放して下さったのだと、深く拝している」と仰せられましたが、私自身、大聖人の厳たる御意志をまざまざと拝見した思いとなりました。

 10月度総幹部会で浅井先生は、弘安2年の滝泉寺申状を引かれ、「このように、大聖人様の絶大威徳は、諸天に申し付けて、蒙古の王を召し取ることもできる」、「正系門家の中で、御遺命の国立戒壇を執拗に、いつまでも、頑固に否定し続ける者あれば、大聖人様は断じてお許しにならない。ここに阿部日顕の宗門追放があった」と叫ばれましたが、広布の決戦場たる20年代を眼前にした今、宗門が大転換期を迎えていることに、胸の高鳴りを抑えきれません。

 私も広告文を片手に、大聖人の大恩徳と国立戒壇の正義を堂々と伝え、精一杯広宣流布のお手伝いをしていきたいと思います!