「国立戒壇」とは

「国立戒壇」とは?

 国立戒壇とは、日蓮大聖人が門下に御遺命された本門寺の戒壇、すなわち広宣流布の暁に、国家意志の表明を以て、富士山天生原に建立される本門戒壇の呼称です。

 ・・・と、まずは結論を書いておきましょう(笑)

 さて、みなさんは「国立戒壇」という言葉をご存知でしょうか。インターネットを見ると、いろんなサイトが乱立し、「国立戒壇」を盛んに誹謗中傷していますよね。でも、よくよく見ると、これらのサイトのほとんどが「日蓮正宗」という団体の関係者のものであることがわかります。

 ところが、この日蓮正宗、なんと昭和30年代までは、「国立戒壇こそ本宗の宿願」、「国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命」と述べていたのですから、なんとも不思議ですよね。

 はたして「国立戒壇」とは、どのようなものなのでしょうか。また、日蓮正宗に一体何があったのでしょうか。

 今回の記事では、大聖人の御遺命である「国立戒壇」について、現役の顕正会員の立場から書いてみたいと思います。

「国立戒壇」という名称の意味

 はじめに、「国立戒壇」という名称の意味を確認しておきましょう。具体的には、「国立」と称する理由は何か、ということです。

 答えはとてもシンプルです。

 それは、日蓮大聖人の御遺命の戒壇が、「国家意志の表明」を建立の必要手続とする戒壇だからです。これが「国立戒壇」という名称の意味です。

 ですから、「国立」といっても、別に「国が設立し、管理する」とか、「国の費用で建てる」とか、「国家が信仰を強制する」とかいった意味では全くありません。

 顕正会も、富士大石寺の歴代上人も、そのような意味で「国立戒壇」を主張したことは一度もないのですが、どうやら、世間に「国立戒壇」を誤解させたい後暗い人たちがデマを流しているようです(笑)

日蓮大聖人の御金言を拝してみましょう

 「ふーん、なるほど。国家の意志表明を手続として建立される戒壇だから、『国立戒壇』って言うんだ。確かにシンプルでわかりやすいかも!そうすると、次は日蓮大聖人が御遺命の戒壇についてなんて仰っているのか知りたいな。やっぱりココが基本でしょ!」と思われた、そこのあなた!

 大変素晴らしいと思います(笑)

 日蓮大聖人の御遺命を論ずるのですから、大聖人の御金言(御言葉)を基本にするのが当然ですよね。

 では、大聖人は御遺命の戒壇について、どのように仰せられているのでしょうか。それは、弘安5年に著された「三大秘法抄」と「一期弘法付嘱書」という2つの御書にのみ明かされているのです。

 まず「三大秘法抄」の御文を拝してみましょう。

 「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり。三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して蹋み給うべき戒壇なり

 「うわっ、難しそう・・・!」と面食らった方もいるかもしれませんが、これからわかりやすく説明していきますので、どうかご安心ください(笑)

 この「三大秘法抄」の御文には、御遺命の本門戒壇を建立すべき「時」と「手続」と「場所」が明示されています。

 ここでは、「時」と「場所」については省略し、「手続」について詳しく見ていきたいと思います(詳しく知りたい方は、冨士大石寺顕正会の公式ホームページをご覧ください。

 大聖人は戒壇建立の「手続」について、「勅宣並びに御教書を申し下して」と定められています。

 「勅宣」とは天皇の詔勅です。「御教書」とは当時幕府の令書、今日では閣議決定・国会議決等がこれに当たります。

 つまり、「勅宣並びに御教書を申し下して」とは、国家意志の公式表明を建立の手続とせよということですね。

 このように、「三大秘法抄」を拝すれば、御遺命の本門戒壇が、王臣一同に大聖人の仏法を信じ奉る広宣流布の暁に、国家意志の表明を手続として国家的に建立されるものであることは明らかです。

 次に、「一期弘法付嘱書」を拝してみましょう。

一期弘法付嘱書

 「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂うは是れなり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり

 ここでは、「国主此の法を立てらるれば」の一文に、三大秘法抄に示された「時」と「手続」が含まれています。端的な御表現とはいえ、やはり国主帰依の後に国家的に建立される戒壇であることがわかります。

 このように、大聖人の御金言を正しく拝せば、御遺命の本門戒壇とは、王臣一同が信じ奉る広宣流布の暁に、国家意志の表明を手続として国家的に建立される戒壇であることは、太陽のごとく明らかです。だから、富士大石寺門流では、これを端的に「国立戒壇」と呼称してきたのです。

どうして国家意志の表明が必要なのか?

 「なるほど。日蓮大聖人の御金言を素直に読むと、たしかに御遺命の戒壇は国家的に建てられるものみたいだね。でも、『そもそも論』として、どうして国家的に建てる必要があるの?やっぱり自分たちで好き勝手に建てちゃマズイのかな?」と思われた、そこのあなた!

 ここが大事なところでございます(笑)

 そもそも「御遺命」というのは、日蓮大聖人が門下に遺された唯一つの御命令ですから、その条件を勝手に変えて「ワタシ、実現しました!」と偽ることは許されません。御本仏の仰せに背く者は、もはや仏弟子ではないのです。

 では、どうして大聖人は「国家意志の表明」を戒壇建立の必要手続と定められたのでしょうか。

 それは、戒壇建立の目的が偏に「仏国」の実現にあるからです。

 このことは、大聖人が「立正安国論」において時の国主に対し、「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰えんや」と仰せられていることからも拝推できます。

 この「仏国」の実現は、一個人・一団体・一宗門、あるいは漠然たる民衆の帰依などでは到底叶いません。国家次元の三大秘法受持があって始めて実現します。その国家受持の具体的姿相こそ「王仏冥合」「王臣受持」のうえになされる「勅宣・御教書」の発布なのです。

 もし国家意志の表明により建立された本門戒壇に、御本仏日蓮大聖人の法魂たる「本門戒壇の大御本尊」が奉安されれば、日本国の魂は日蓮大聖人となります。御本仏を魂とする国はまさしく「仏国」です。「日蓮は日本の人の魂なり」「日蓮は日本国の柱なり」の大聖人の御金言は、このとき始めて事相となるのです。

 まさしく国立戒壇の建立こそ、本門戒壇の大御本尊の妙用により、日本を「仏国」とする唯一の秘術なのです。

歴代上人の文証

 さて、ここまでお読み頂いた方であればすでにお気づきかもしれませんが、国立戒壇の教義は、決して顕正会のオリジナルではありません。

 実に日蓮大聖人の正系門家・富士大石寺は、700年来、大聖人の御遺命のままに、広宣流布の暁の国立戒壇(国家意志の表明により国家的に建立される戒壇)を叫び続けてきたのです。

 大石寺の歴代上人の文証をいくつか挙げてみましょう。

2祖日興上人

広宣流布の時至り、国主此の法門を用いらるるの時、必ず富士山に立てらるべきなり」(門徒存知事)

26世・日寛上人

事の戒壇とは、すなわち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり。御相承を引いて云く『日蓮一期の弘法、乃至、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』と云云」(報恩抄文段)

48世・日量上人

事の戒壇とは、正しく広宣流布の時至って勅宣・御教書を申し下して戒壇建立の時を、事の戒壇というなり」(本因妙得意抄)

56世・日応上人

上一人より下万民に至るまで此の三大秘法を持ち奉る時節あり、これを事の広宣流布という。その時、天皇陛下より勅宣を賜わり、富士山の麓に天生ヶ原と申す曠々たる勝地あり、ここに本門戒壇堂建立あって・・・」(御宝蔵説法本)

 以上は明治以前の先師上人の御指南です。「国立戒壇」の文言こそ用いておられませんが、その意は国立戒壇建立を指すこと、天日のごとく明らかです。

 次に大正以降の歴代上人の文証を挙げます。

59世・日亨上人

宗祖・開山出世の大事たる、政仏冥合・一天広布・国立戒壇の完成を待たんのみ」(大白蓮華11号)

唯一の国立戒壇すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヶ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する」(富士日興上人詳伝)

64世・日昇上人

国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿慶讃文)

65世・日淳上人

蓮祖は国立戒壇を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた」(日淳上人全集)

大聖人は、広く此の妙法が受持されまして国家的に戒壇が建立せられる。その戒壇を本門戒壇と仰せられましたことは、三大秘法抄によって明白であります」(日蓮大聖人の教義)

この元朝勤行とても、宗勢が発展した今日、思いつきで執行されたというものでは勿論なく、二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての広宣流布祈願の勤行を、伝えたものであります」(大日蓮34年1月号)

 いかがでしょうか。このように、およそ血脈付法の正師にして、国立戒壇を熱願されなかった貫首上人は700年間一人としておられなかったのです。

細井日達・池田大作もかつては国立戒壇

 ですから、後に創価学会に迎合して国立戒壇を否定した第66世・細井日達も、登座直後には歴代上人と同じく、次のように御遺命の正義を述べていました。

 「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である」(大白蓮華35年1月号)

 「真の世界平和は国立戒壇の建設にあり」(大日蓮35年1月号)

 「事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は広宣流布の時の国立の戒壇であります」(大日蓮36年5月号)

 また、御遺命破壊の元凶である池田大作すら、かつては次のように言い切っていたのです。

 「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華五十九号)

国立戒壇こそ日蓮大聖人の御遺命

 いかがだったでしょうか。このように、国立戒壇は決して顕正会のオリジナルではありません。実に日蓮大聖人の御遺命であり、富士大石寺の歴代上人が700年来叫び続けてきた唯一の宿願そのものだったのです。

 ところが、昭和40年代に至って、政治野心に燃える池田大作・創価学会と、それにへつらう第66代・細井日達、第67代・阿部日顕は、国立戒壇の教義を改変し、偽戒壇・「正本堂」を御遺命の戒壇と偽称しました。これは許されざる御遺命破壊です。

(右から)池田大作、細井日達、阿部日顕

 そして、これを諌め、国立戒壇の正義を守り続けてきた団体が、浅井先生に率いる冨士大石寺顕正会なのです。

平成26年9月7日「五万人・男子部大会」

 要するに、大聖人の御金言と歴代上人の御指南のままに御遺命の正義を堅持しているのが浅井先生率いる顕正会であり、細井日達・阿部日顕の己義に従い御遺命の教義を改変したままにしているのが現在の宗門(日蓮正宗)ということです。どちらが「冨士門流の正統」であるかは一目瞭然ですね。

 なお、大聖人の御遺命や学会・宗門の御遺命違背について、もっと詳しく知りたい方は、こちらの記事もご覧ください!