浅井先生の成仏の妙相を拝して

 いま全顕正会には、浅井昭衞先生の御逝去という深い悲しみを乗り越え、先生の御遺志を継ぎ、何としても大聖人様の御遺命たる国立戒壇建立を事実にせんとの燃える決意と御報恩の想いが満ちています。

 その源は、昨年10月21日の告別式において、代表幹部700余名がご拝顔させて頂いた浅井先生の素晴らしい成仏の妙相でした。

 浅井先生は、私たち顕正会員に対し、人生の目的は成仏にあること、成仏・不成仏の証拠は臨終の相に厳然と現れること、成仏の相とは「臨終ののちに色が白くなり、軽く、柔らかく、かつ柔和な相となる」ことを常々指導下さいました。

 かかるご指導を繰り返し拝し、深く命に染めてきただけに、告別式の後、柩の蓋が外され、手を伸ばせば届くほど、息がかかるほど間近にご拝顔させて頂いた浅井先生の御金言どおりの成仏の妙相に、参列した全幹部は大感激と大確信に奮い立ち、その波動が全顕正会に伝わり、結果、過去最高の大法弘通が成し遂げられました。

 この記事では、浅井先生との最後のお別れの際に直接ご拝顔させて頂いた代表幹部の方々の心底からの歓喜、御報恩の想いあふれる生の声を紹介させて頂きます(とても全部は紹介しきれないので、もっと読みたい方は、顕正新聞「浅井昭衞先生追悼号」等をご覧ください)。

ご拝顔した方々の声

 告別式では、参列者全員がゆっくりと最後のお別れをさせて頂きました。

 幾重もの思いがあふれる中に、眼前に拝した先生の成仏の妙相は、未だ体験したことのない大感動・大感激でありました。

 真っ白に輝くお顔、深紅の唇、まさに自受法楽の御温顔。御金言に違わぬ成仏の妙相に、凡夫を仏にして下さる大聖人様の御大法の有難さが理屈抜きに身に迫りました。

 厳粛に執り行われた告別式の後、先生のご拝顔が叶いましたが、先生のお肌にシワはなく白く輝き、唇は紅く、大歓喜の笑みを湛えられた御金言どおりの妙相を拝しては、先生が、御自らの臨終の証拠を以て「大聖人様絶対」と顕正会の正しさを教えて下さったのだと大確信が込み上げました。

 御葬儀の最後、御柩の蓋が厳かに開けられた瞬間、大聖人様の大慈大悲があふれ出るような荘厳さに目が眩み、その大慈悲を全身に纏われた先生の、御金言どおりの美事な成仏の妙相を拝しては、命の底から大歓喜が込み上げました。

 色白く、シワは全くなく、陶器のように滑らかな御肌。唇は驚くほど深紅で、何十歳も若返られたそのご尊顔に、思わず「先生ですか」とお尋ねしたくなるほどでした。

 何の憂いなき満面の笑みに、星霜六十有余年「ただ御一人の大聖人様がおほめ下されば本望」と、命尽くまで忠誠を貫かれ、ついに大聖人様よりおほめを頂いた先生の大歓喜を拝し、ただ感泣いたしました。

 何より、勿体なく有難かったことは、参列した全幹部が、浅井先生の美事なる成仏の妙相を、ゆっくりと息がかかるほど間近に拝顔させて頂けたご配慮でありました。

 それはまさに「臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛の如し、輭なる事兜羅綿の如し」との御金言の通り、白く輝く艶やかなお顔に、唇は紅を塗ったように深紅で、赤白端正にして莞爾と笑っておられました。

 私自身、むせび泣いてしまいましたが、先生のお顔に悲壮など一切あられず、大聖人様に召し出だされ、すべてを果し終え、大聖人様の御許に戻られた大歓喜の御温顔を拝しては、竜の口で四条殿は「只今なり」と凡夫ゆえに泣き伏し、大聖人様は「不覚のとのばらかな、これほどの悦びをば笑へかし」と、仏界の大法悦を味わっておられた光景が今に蘇り、悲しみは消え、温かさと歓喜に包まれました。

 浅井先生の美事な臨終の相は、御金言に聊かも違わず、全顕正会員に、いや全日本人にお見せしたいと思ったほどでした。

 寝息が聞こえるような穏やかなご表情、艶やかでシワも消え何十歳も若返った素肌、透き通るように白い手足、時々刻々と唇の色が深紅へと変わり、笑みを湛えられた御尊顔……。

 臨終を迎えた後にここまで荘厳さ・美しさが極まるのかと、凡夫を仏にして下さる大聖人様の大慈大悲に感泣いたしました。

 告別式の後、勿体なくも先生の御拝顔が叶いましたが、先生のお顔は想像を遥かに超える妙相で、「御本尊様絶対」を瞬時に大確信し、すべての悲しみが吹き飛ぶほどの大感動に包まれました。

 見たことのない深紅の唇が目に飛び込み、色白く、頬はふっくらと艶々で、笑い声が聞こえて来そうなほどの大歓喜の笑みを浮かべておられ、私もつられて微笑んでしまうほどのご表情であられました。

 先生は大聖人様にお値いになっておられるのだと一目でわかるほどのお悦びのお顔で、「私は勤行がいちばん楽しい」とのお言葉が思い起こされ、最後の最後まで恋慕渇仰を教えて下さったのだと、深くお礼を申し上げ、礼拝室を後にしました。

 最後の先生とのご挨拶の折に拝させて頂いた御臨終の相は、まさに御金言どおりの妙相で、笑みを湛えられたご表情は、総幹部会のとき等に、にこやかにお話をされる先生のご表情そのままであり、それはまるで悲しみに暮れる弟子一同を、温かく励まして下さっているかのようでありました。

 また色白く、皺は全くなくなり、唇は紅をさしたかのように赤く染まり、その美事な臨終の相を眼前にさせて頂いては、御通夜の際に理事長が仰せられた「かかる先生の美事な御臨終こそ、浅井先生の戦いが大聖人様の御意に毫末も違わぬ何よりの証拠である」とのお言葉が千鈞の重みを以て胸に迫ってまいりました。

 告別式で眼前に拝させて頂いた臨終の相は、透きとおるように色白く、唇は深紅で、にっこりと微笑んでおられ、御金言どおりの美事な成仏の妙相でした。

 深い悲しみの中にも「御本尊様絶対」「広宣流布絶対」との大確信と、同時に曽てない決意が肚の底から湧き上がり、限りない急成長を先生にお誓い申し上げました。

 私も、浅井先生が臨終されたのち、直ちにお題目を唱えさせて頂きましたが、色白く、肌は艶やかでシワ一つなく、まるで真っ赤な紅をさしたような深紅の唇は、これまで見たことがなく、穏やかな笑みを湛えられる美事な成仏の相に、時の経つのも忘れて見惚れるほどでした。

 また納棺の際、しなやかにしなるお身体を眼前にしては、凡夫を仏にして下さる日蓮大聖人の絶大威徳と大慈大悲が胸に迫り、「御本尊様絶対」との揺るぎない大確信を浅井先生から授けて頂きました。・・・

 ことに御柩の蓋を開けて、手を伸ばせば触れられるほどの距離で、浅井先生の御拝顔が叶った区長以上の幹部の決意は凄まじく、千人・万人を率いて命尽くまで戦うのみとの肚を決めております。

 式の最後、勿体なくも御拝顔の機会を頂きましたが、御金言のとおり、色は白く、紅をさしたごとくの深紅の唇、何より微笑んでおられるような御温顔を拝しては「ああ、先生はついに、大聖人様と御拝顔されたのだ」と紅の涙が滴り、同時に「御本尊様は絶対」「広宣流布は大聖人様の御力で必ず成る」との曽てない大確信が衝き上げました。

 何より、眼前に拝した先生の美事な成仏の妙相は、万劫に忘れ得ぬものであります。

 肌は透き通るように白く、皺もなく艶やかで、唇は深紅に染まり、歯が見えるほど微笑まれていたことには感嘆いたしました。

 そのあまりの素晴らしさに一瞬で悲しみは消え去り「いま先生は、大聖人様に御拝面しておられる」との浅井理事長の仰せを確信し、譬えようのない大歓喜に包まれました。

 告別式において御拝顔させて頂いた浅井先生のまことに素晴らしい美事な御臨終の相には言葉に尽くせぬ大感動がこみ上げました。

 「臨終に色変じて白色となる」との御金言どおりの成仏の妙相で、色白く、唇はきれいな紅色、「今にも起き上がって指導下さるのではないか」と思うほどの清々しいご表情を拝見しては、大聖人様の大慈大悲が胸に込み上げ、ただひれ伏しました。

 告別式ののち、浅井先生とのお別れの際に拝見した素晴らしい成仏の妙相は終生忘れるものではなく、美事な御臨終の相を以て、我ら弟子一同を「御本尊様絶対」の強き確信に立たしめて下さる先生のご慈愛に咽びました。

 先生の赤白端正の御温顔、ことに深紅の唇はとても印象的で、心から笑っておられるような笑顔を拝し「しっかりがんばりなさい」とのお声が聞こえてくるようで、「必ずお応えいたします」と熱き決意が湧き上がりました。

 最後に先生のお顔を拝見させて頂き、シミ・皺も一切なく、あまりの白さに驚き、深紅の唇、笑みを湛えるご表情に、美事なまでの成仏の相を眼前にさせて頂き、悲しみは一瞬にして歓喜へと変わり、凡夫を仏にして下さる大聖人様の大慈大悲・絶大威徳にひれ伏しました。

 告別式の最後、先生とのお別れの際に拝見させて頂いた、御金言に寸分も違わぬ素晴らしい成仏の妙相に、まさに「悲嘆は感涙」へと一変しました。

 お顔は透き通るような、しかも温かみを感じる優しい白色になり、シワもなく艶やかで、唇はご生前よりも深紅になり、ご講演の際に時折見せて下さる、我ら弟子に温かく微笑みかけて下さるごとくのご表情を拝見しては、悲しみは瞬時に吹き飛び、「御本尊様絶対」「広宣流布は大地を的とする」「顕正会は正しい」との感激と確信が身体中を駆けめぐり、心の中で「浅井先生、本当にありがとうございます。先生のご遺志を継いで御奉公を貫き、御遺命実現のお役に立たせて頂きます」と堅くお誓い申し上げました。

 告別式において、先生の御尊顔を拝見させて頂きましたが、まさに御金言どおりの美事な成仏の妙相でありました。

 艶やかに輝く真っ白なお肌、唇は深紅で、眉と髪は黒く、恐れながら「あら面白や」と自受法楽の大法悦を味わっておられるごとき柔和な相を眼前にした瞬間、哀悼の涙が歓喜の涙へと一変し、同時に「御本尊様絶対」と曽てない大確信が五体に充満いたしました。

 何よりの有難さは、先生の御金言どおりの成仏の妙相であります。

 畏れ多さの中、浅井先生の御拝顔をさせて頂いた瞬間、遠目にも色白き相がはっきりとわかり、近づくほどに眉は黒く、唇は深紅で、あまりに屈託のない笑顔であられ、先生が私たち弟子に自らの臨終の証拠を以て、「御本尊様絶対」、そして「金剛宝座に『戒壇の大御本尊』が御出ましあそばす光景を、顕正会員は必ず見せて頂ける」との大確信を授けて下さったものと、有難さにむせびました。

 告別式において、恐れ多くも、浅井先生のご拝顔が叶うと伺っては、緊張感で命が震えました。

 先生の御尊顔を拝見した瞬間、光沢を放つほど透き通った白い肌、深紅の唇、何より楽しそうな笑みを浮かべられた妙相、さらに臨終を迎えられてから数日経っても全く臭さがないことに驚き、「大聖人様絶対」「顕正会は正しい」との揺るぎない大確信が衝き上げました。

 何より告別式において、勿体なくも御拝顔させて頂いた先生の、色白く、シワもなく、唇は深紅で、笑みを湛えられた素晴らしい成仏の妙相はまさに御金言どおりであり、言葉に尽くせぬ有難さが幾重にも込み上げてまいりました。

 葬儀に参列し、最後のお別れの場において、犯し難き御威厳の中にも、赤白端正にして柔和に笑みを湛えられる御金言どおりの美事なまでの先生の成仏の相を拝見させて頂いては、凡夫を仏にして下さる大聖人様の大慈大悲、御本尊様の有難さでいっぱいになりました。

 最後、浅井先生との最後のお別れをさせて頂けましたこと、何とも有難い思いでいっぱいであります。

 拝見した先生の妙相はまさに赤白端正。何より笑みを湛えられた柔和なご表情には目を見張り「嗚呼――、先生は今、大聖人様に御拝面しておられるのだ」と胸が熱くなりました。

 去る十月二十一日、浅井昭衞先生の御葬儀に、私も襟を正して参列させて頂きました。

 厳粛なる勤行と、先生の、色白く、唇は深紅で、弟子をご慈愛下さるその温かな御金言どおりの美事な臨終の相を拝見しては、熱涙の中に、国立戒壇の御遺命を死守せられた先生の正しさの実証と拝し、「先生がお教え下された一筋の道を進めば、広宣流布は一時に成る」との大確信がこみ上げ、ただひれ伏しました。

 私自身、告別式において、浅井先生の白く輝く、一点の曇りなき微笑みを湛えられた成仏の妙相を拝させて頂いては、「これほどの悦びをば笑へかし。いかに約束をば違へらるゝぞ」とて、四条金吾殿が竜の口への道中、泣き伏す中に大聖人様から賜った仰せが幾重にも耳朶を打ち、いま浅井先生におかれては、大聖人様に御拝面され、弟子たる我らには「良医治子」の譬えのごとく、「なおいっそうの恋慕渇仰の信心に立ち、御遺命成就へ邁進せよ」とお励まし下さっておられるのだと、かつてなき大確信が込み上げたものであります。

 御報恩の勤行と焼香ののち、勿体なくも先生のご尊顔を拝見させて頂きましたが、先生の、真っ白でシワひとつない、きれいなお顔と、紅をさしたような深紅の唇はまさに御金言どおりの成仏の妙相であり、御自身の臨終を以て大聖人様の御金言は絶対なることと顕正会の正しさを教えて下さり、私たちを大確信に立たせて下さったことには感謝の言葉もみつからず、ただ咽び泣いたものであります。

 何よりも、浅井先生の美事なる成仏の妙相を、この目で拝見させて頂けた有難さは言葉にならず、赤白端正で大法悦を味わっておられるがごとき素晴らしい妙相に、御金言には些かの嘘・偽りがないことを改めて大確信いたしました。

 勿体なくも最後のお別れをさせて頂き、御金言どおりの色白く、唇は深紅で笑みを湛えられた美事な成仏の妙相を拝し、最後の最後まで私たちをお励まし下さるお姿に熱涙が溢れ、「先生、本当に有難うございました」と心からお礼を申し上げるのが精いっぱいでした。

 心から有難かったことは、告別式において拝させて頂いた、先生の素晴らしい御金言どおりの成仏の妙相であります。

 先生が御身を以て「顕正会の正しさ」「広宣流布は絶対、そして近い」との大確信を打ち込んで下さった最後のご指導と拝しては五体が打ち震え、また澄みきった笑みを浮かべられたご表情から、為すべきすべてを為し了えられた清々しさが伝わり、いま大聖人様よりお褒めを賜っておられるのだと感泣いたしました。

 御通夜・告別式に私も参列させて頂きましたが、勿体なくも御拝顔させて頂いた、先生の御金言どおりの赤白端正にして笑みを湛えられたご表情、まさしく成仏の妙相を目の当りにしては、深い悲しみの中にも、「これこそ浅井先生が顕正会の正しさを、御身を以てお示し下さった最後のご指導なのだ」との大感動が込み上げました。

 告別式の後に叶った御拝顔において、先生の色白く、光を放つような艶やかな肌や、深紅に染まった唇を目の当りにしては、先生のお振舞いは大聖人様の御意に寸分たりとも違わぬことを大確信し、「先生はご自身の使命を全うされ、大歓喜の中に大聖人様の御許へ旅立たれた。私も弟子としての使命を果し、いつか先生にお会いしたい」との全く新たな決意に立たせて頂いたものであります。

 去る一〇月一六日、浅井先生の御逝去という悲報に、心臓が止まるほどの衝撃を受け、耐え難き深い悲しみの中、御通夜・告別式に参列させて頂きましたが、浅井先生の御金言どおりの赤白端正の成仏の妙相に驚嘆し、「御本尊様絶対」「広宣流布は必ず成る」ことを大確信させて頂いたこと、有難さの極みでありました。

 告別式終了後、勿体なくも御拝顔させて頂いた浅井先生の、皺は消え、唇は深紅で、陶器のように色白く艶やかな、御金言どおりの成仏の妙相を眼前にしたとき、毎年の暮れに、大石寺のそば近くで戒壇の大御本尊様を遥拝されてきた先生が、やっと大聖人様にお値いでき、大歓喜しておられるお顔なのだと伏して拝し、感涙の中「御本尊様絶対」「広宣流布は必ず成る」との大確信に立たせて頂きました。

 告別式の後、勿体なくも先生のご拝顔が叶い、言葉を失うほど真っ赤で深紅の唇、真っ白で安堵と歓喜に満ち満ちた柔和なご表情、御金言どおりのあまりに素晴らしい成仏の妙相を眼前にし、悲しみは歓喜へと変わり、先生はご自身の成仏の相を以て、私たち弟子に「御本尊様絶対」「広宣流布は必ず成る」との大確信を最後まで与えて下さるご慈愛に熱涙が滴り、御遺命成就への熱き闘志が込み上げました。

 たいへん恐れ多く勿体なくも、私ごときも先生のご拝顔が叶い、色白く、唇は深紅で、何とも嬉しそうな御温顔を拝しては、竜の口の頸の座を眼前にして泣き伏す四条殿に「これほどの悦びをば笑へかし」と仰せられた大聖人様の御金言が胸に浮かび、きっといま、先生がずっと恋慕渇仰してこられた日蓮大聖人についに御拝面し、このうえない歓喜でいらっしゃるに違いなく、「だから泣いてないで笑いなさい」と仰せ下さっているごとくで、たいへん励まされる思いでありました。

 二十一日の告別式において、先生の色白く、唇は深紅で、お喜びに満ち満ちた妙相を拝見し、ご自身の成仏の相を以て「御本尊様は絶対」との大確信を、最後まで弟子に与えて下さる先生のご慈愛に泣き伏しました。

 御葬儀の最後に、勿体なくも先生のご拝顔が叶い、大聖人様の御金言どおりの、色白く、艶やか、唇は深紅、何より大歓喜・大法悦を表わされた先生の素晴らしい成仏の妙相を眼前に拝見しては、「御本尊様絶対」との大確信が込み上げ、先生は自らの御臨終の証拠を以て、私たち弟子に「広宣流布は大地を的とする」との揺るぎない大確信を与えて下さったのだと、ただひれ伏しました。

 告別式後に思いもかけず先生のご拝顔が叶い、唇は紅をさしたように赤く、肌は白く、笑みを湛えられた先生の御温顔を拝見しては哀惜の念は消え去り、先生は命尽くまで忠誠を貫かれ、霊山において大聖人様にお値いしておられるのだとの歓喜が込み上げました。

 告別式の最後には勿体なくも御尊顔を拝してお別れのご挨拶をさせて頂きましたが、色白く、皺は全くなくなり、唇は紅をさしたかのように深紅に染まり、何もかも安堵されている美事な臨終の相を拝見しては、浅井理事長の「かかる先生の美事な御臨終こそ、浅井先生の戦いが大聖人様の御意に毫末ばかりも違わぬ何よりの証拠である」とのお言葉が胸に迫ってまいりました。

 ことに先生のご拝顔が許されたことは有難さの極みであり、赤白端正にして笑みを湛えられた成仏の妙相を目の当りにしては、ただ感涙にむせび、「先生、ありがとうございました。必ずや誓いを果してまいります」と何度も衷心より申し上げました。

 勿体なくも告別式の折、ご拝顔させて頂いた浅井先生の御臨終の相は、色白く、唇は深紅で、まさに仏界の自受法楽の大境界に立たれた先生が、「あら面白や」と仰せになっておられるごとくの赤白端正の美事な成仏の妙相でありました。

 涙とともに、この眼前の現証を拝させて頂いた感激はいま大きく広がり、「広宣流布は甚だ近い」「御本尊様絶対」との大確信が全身を貫いております。

 告別式において、勿体なくも浅井先生との最後のお別れの時間を頂き、眼前にさせて頂いた先生の、赤白端正にして光沢を放ち、今にもその笑い声が聞こえて来るようなご表情に、松野抄にお示しの「法界寂光土」の様相が思い起こされ、先生は御金言に些かも違わぬ成仏の妙相を以て、御本尊様は絶対なることを、最後、私たちにお教え下されたものと、伏して拝したものであります。

 告別式において勿体なくも先生のお顔をご拝顔させて頂いては、その色白く、シワもなく、笑みを湛えられた御金言どおりの妙相に言い知れぬ有難さがこみ上げ、「御本尊様絶対」「大聖人様絶対」との大確信とともに、「先生の正しさ」を実感し、「先生仰せのままに戦えば広宣流布は必ず成る」ことを大確信したものであります。

 告別式において、たいへん勿体なくも、浅井先生のご拝顔が叶いました。

 色が本当に白く、唇はまるで紅をさしたような深紅で、まさに赤白端正であり、何よりも優しく微笑んでおられるような柔和で御金言どおりの素晴らしい成仏の妙相を拝してよりは、浅井先生の御逝去という深い悲しみの中に「御本尊様は絶対、広宣流布は絶対」そして「日蓮大聖人に一筋の忠誠を貫かれた浅井先生は本当に正しい師匠なのだ」との大歓喜と大確信が肚の底から込み上げました。

 告別式において勿体なくもご拝顔のお許しを頂きましたが、先生の御相は言葉にできぬほど美しく、色白く、紅をさしたような口元には笑みを湛えられ、御金言のままの成仏の妙相でありました。

 この尊き御相を以て先生は、最後に改めて我ら弟子に大確信をお与え下さったのだと思っては、勿体なくそして有難く、最後の最後まで励まし続けて下さった大恩に低頭のほかはありません。

 勿体なくも告別式において先生のご拝顔が叶い、凡夫の想像を超える艶やかで、色白く、唇も真っ赤で、笑みを湛えられた美事な成仏の妙相を拝しては、有難さの中に「大聖人様は絶対」「先生の仰せも絶対」と大確信に立たせて頂きました。

 いかがでしょうか。浅井先生の素晴らしい成仏の妙相を眼前に拝した代表幹部の方々の感激と御報恩の想いがいかに凄まじいものであったか、きっと伝わったことと思います。

 私も参列した先輩から、目の当たりにご拝顔させて頂いた浅井先生の赤白端正、そして笑みを湛えられた素晴らしい成仏の妙相を大感激で伝え聞いては涙がこぼれ、御報恩の決意に立たせて頂きました。

「一切は現証には如かず」

 大聖人様は「一切は現証には如かず」(教行証御書)として、成仏・不成仏、仏法の邪正を臨終の現証を以て判じておられます。ゆえに千日尼御前御返事には

人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引の石(いわ)の如し。善人は設(たと)い七尺八尺の女人なれども、色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる、又軽き事鵞毛の如し、輭(やわらか)なる事兜羅綿(とろめん)の如し」と。

 御本仏日蓮大聖人の厳たる御金言に照らせば、御逝去にあたり素晴らしい妙相を示された浅井先生が「成仏」の大果報を得られたこと、ひいては先生の御奉公が大聖人様の御心に寸分違わぬものであられたこと、太陽のごとく明らかです。これこそ浅井先生の正しさを証明する紛うかたなき現証です。

 一方、御遺命に背いた学会・宗門(日蓮正宗)の姿は惨憺たるものです。

 大聖人一期の御遺命たる国立戒壇を捨て、偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇」とたばかった第66世・細井日達は、昭和54年7月22日に急死し、真っ黒になりました。「真っ黒で『助けてくれ!』と叫んでいるような、悪相、悪臨終だった」等の証言が多く残っています。

 また、2冊の悪書を書いて御遺命を破壊せんとし、正本堂崩壊後も頑なに国立戒壇を怨嫉し続けた第67世・阿部日顕は、晩年は重い腎臓の病を患い、いつも顔が黒ずんでいましたが、命終後にやはり黒色の悪相を現じました。「その相は色黒く、恐ろしい形相で、部屋中に悪臭が漂っていた」と。

 ちなみに阿部日顕の場合、「死に化粧」を厚塗りしてなんとか白っぽくしたようですが、それでも阿部日顕の葬儀に参列した人たちからは、その枯れ枝のようにやせこけた相を見てショックを受けたという声が出ています。

 さらに御遺命破壊の主犯・池田大作に至っては、平成22年5月を最後に学会員の前から姿を消していましたが、昨年11月18日、秘密裡に家族葬で荼毘に付した上で〝実は3日前に死亡していた〟と公表されました。

 そのため学会員は誰ひとり、命終した池田の姿を見ることができませんでした。それだけではありません。なんと学会は、会長の原田稔や親族をはじめ誰ひとり、池田の臨終の相について一言も言及できなかったのです。

 これ、大聖人一期の御遺命に背き、さらに出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」を全学会員に捨てさせ奉る極限の大謗法を犯した大罰により、「生ける屍」となって呻吟し続け、最期には無間地獄の悪相を現じたゆえに、誰にも見せられない姿だったのでしょう。仏法の厳しさに慄然とせざるを得ません。

大聖人様の御心に適う信心ができる有難さ

 比べること自体恐れ多いことですが、浅井先生の素晴らしい成仏の妙相と、御遺命に背いた学会・宗門のトップの堕獄の姿を知れば、どちらが大聖人様の御心に適う正しい団体であるかは一目瞭然です。

 「師は針のごとく、弟子は糸のごとし」であれば、池田・細井・阿部の悪臨終は、明日の学会員・宗門僧俗の姿に他なりません。早く御遺命の正義にめざめ、正しき団体・顕正会に縁されることを願ってやみません。

 そこに今、浅井先生の御遺志を継がれた浅井会長のもと、大聖人様の御心に適う信行が叶い、一生成仏と広宣流布の大願を必ず叶えさせて頂ける有難さを胸に、確信ある人生を歩ませて頂ける私たち顕正会員の立場は、なんと有難いことでしょうか。

 いよいよ内には学会員・法華講員を救い、外には全日本人に日蓮大聖人の大恩徳を教え、広宣流布・国立戒壇建立を見つめて邁進していきたいと思います!