ついに出てきた!有羞の僧
ついに出てきました!
顕正会の11月度総幹部会で、またまたすごい発表がありました。
なんと「国立戒壇が正しい!」と正義を叫ぶ僧侶がついに出てきたというのです!
浅井先生は本年3月の総幹部会において、次のように仰せられました。
長きにわたった正系門家における御遺命破壊のたばかりも、いよいよ最終章に至った。正系門家が、いつまでも無智・無道心の禿人ばかりであるわけがない。・・・正系門家の中から、必ずや正義にめざめて立つ『有羞の僧』が二人・三人と出現することを私は確信している。広宣流布の時には日目上人が御出現になる。その広宣流布はもう近い。ならばどうして、日目上人御出現の露払いとして、正直にして少欲知足、道念ある有羞の僧が次々と出現しないわけがあろうか。
すると、なんということでしょう!本年11月の初め、1通の文書が顕正会本部に送られてきたのです。そこには、「有羞の僧」の真摯な思いが綴られていました。
それにしても、浅井先生の早瀬管長に対する直諫からわずか58日で阿部日顕が命終し、20年代を前に消滅したことといい、その直後に「有羞の僧」が出てきたことといい、なんともすごい展開ですね。まさに宗門が大転換期に来ていることを実感とするものです。
有羞の僧=興正院・足立淳正住職
今回、顕正会本部に文書を送ってきたのは、正信会の寺院である興正院の足立淳正という住職でした。足立住職は、高知県の川崎第15男子部長と知り合い、顕正新聞や書籍を読み進める中に、「国立戒壇こそが日蓮大聖人の御遺命」との確信を強め、自らの決意を一文にまとめ、このたび顕正会本部に送付したきたそうです。
その書状が、総幹部会で横田理事によって朗読されました。私も ビデオを通して拝聴させて頂きましたが、足立住職のまっすぐで熱い思いが伝わってきて、思わず胸が熱くなりました。
足立住職の書状
とても素晴らしい内容でしたので、その一部を紹介したいと思います(全文は、顕正新聞「御遺命守護」特集号8に掲載されています)。
私は日蓮正宗正信会に所属し、現在は愛媛県の興正院という寺院で御奉公させて頂いております足立淳正と申します。
本年、四国の川崎泰之・第十五男子部長と知り合い、数度にわたりお話をさせていただきました。
そのなか、顕正新聞特集号や総幹部会のDVDを拝見し、浅井会長の御慈悲あふれる御指導と、顕正会の皆さまの広宣流布を見つめた熱意に接し、私も決意を新たにしております。
(中略)
過去において、創価学会の策謀によって、御遺命の国立戒壇が否定され、正本堂を御遺命の本門戒壇と偽る教義歪曲が行われ、悲しいかな、宗門も池田大作の権力に諂い日蓮大聖人の御遺命を抛ってしまいました。
それは現在に至るまで継続しており、宗門の僧侶らは些かの懺悔もございません。
私は僧侶になって近代宗門の書物等を読みましたが、昭和四十七年四月二十八日、正本堂の意義につき日達上人が述べられた「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり」との訓諭は、正直申しまして何度読み返しても理解に苦しむものであります。
その後、当時、教学部長であった阿部日顕が物した書に至っては、顕正会が主張する宗門古来の正論に対しての当てつけの反論書であり、御本仏の御遺命を恐れげもなく破壊したものであります。
(中略)
今の宗門を見るとき、まさに中世の暗黒時代の再来の如く、乱れに乱れております。
その結果、立正安国論の「魔来たり鬼来たり、災起り難起る」の様相を呈する、いまの日本の姿があるといえます。
その中にあって、顕正会の皆さまが浅井会長の御指導のもと、大聖人の正法を護り、弘め、広宣流布・国立戒壇の実現に向かって精進されていることに敬意を表せざるを得ません。
昭和四十九年、妙信講は不当な解散処分を受けられながら、いまや二百十万を越す大集団と成られましたことは、日蓮大聖人の御心のまま、些かのブレもなく貫かれる浅井会長の御信心と会員の皆さまの広宣流布を熱願した情熱の証と感銘いたしました。
先日、私も「御遺命守護の戦い」を拝読させていただきました。
私が僧侶という立場である関係上、松本御能化のお振舞いが大変印象に残りました。
宗門から処罰を受けても、日蓮大聖人の御遺命を堅持し、信念を曲げなかった御姿こそが本当の日蓮正宗の僧侶であると思い、尊崇の念が込み上げて参りました。
そして、「日蓮大聖人ここにましませば何を命じ給うか」との忠誠だけで貫かれた浅井会長の激闘に接するほどに、私は浅井会長に対する敬意を抱き、顕正会に対する好感を深めております。
それに比べ、池田大作は政治野心から御遺命を歪曲し、その創価学会の策謀に踊らされ、最も大事な大聖人様の御遺命をも曲げてしまった宗門。その両者に対しては悲嘆と軽蔑の思いしか湧き上がって参りません。
(中略)
正信会には、様々な考えを持つ僧侶がおるのも事実ではありますが、私は「国立戒壇」こそが日蓮大聖人の御遺命であると強く確信しております。
(中略)
今後、御遺命破壊に加担した宗門を富士の清流の時代に立ち還らせ、広宣流布・国立戒壇をも見つめた法戦を展開して参る決意でございます。
今後も浅井会長の御指導のもと、会員の皆さまのご活躍と会の発展を心よりお祈り申し上げます。
顕正新聞「御遺命守護」特集号8
いかがでしょうか。足立住職のまっすぐで熱い思いが伝わってきますね。
「国立戒壇」の正義を述べる僧侶たち
最近では、他にも「国立戒壇」の正義を述べる僧侶が続々と出てきたようです。
たとえば、山形県鶴岡市にある正信会寺院「能修寺」の矢内総道住職は、「国立戒壇は当たり前である」、「みな最後には国立戒壇に行き着くと思う。中には否定する者もいるとは思うが、一期弘法付嘱書と三大秘法抄を拝せば、広宣流布の暁には国立の戒壇建立となる」、「一期弘法付嘱書と三大秘法抄を拝せば当然そうなる。日達猊下は学会に負けてしまったのです」、「昭和四十五年の国立戒壇の永久放棄宣言は、共産党から憲法違反と責められて舵を切ったのでしょう」等と述べたそうです。ちなみに、矢内住職は、御遺命守護の戦いにおいて、浅井先生の強烈な諫暁を受けて阿部教学部長と早瀬総監が有馬温泉に逃げていたとき、法道院で「執事」をしていた方のようです。
また、新潟県柏崎市にある正信会寺院「明行寺」の高合教順住職も、「私は国立戒壇でいいのではないかと思っている」、「『国家意志の表明を以て建てられる戒壇』との意には、誰も反論できないはずだ」等と述べていたそうです。
このように、大聖人の御金言を正直に拝し、「国立戒壇こそ日蓮大聖人の御遺命である」と正義を述べる僧侶が続々と出てきたことには、驚きと感激でいっぱいです。
これからも「有羞の僧」が続々と
浅井先生は、足立住職の書状に寄せて、次のように指導くださいました。
私はこの文書を読んだとき、感動した。足立淳正住職には欲も名利も保身もない。ゆえに「国立戒壇こそが日蓮大聖人の御遺命である」と強く言い切ったのです。
このように正義を述べれば、どのような仕打ちをされるかわからない。しかし足立住職は大聖人様への忠誠心から、捨身でこの決意を表明した。
私はその信心が嬉しかった。「あゝ有羞の僧が出て来たな」という思いが沸いてまいりました。
今後、正信会からも宗門からも、続々と「有羞の僧」が出てくること、私は確信しております。もう「時」が来ているのです。
さもなければ、大聖人様に申しわけないのであります。
顕正新聞「御遺命守護」特集号8
思えば、昭和45年当時、学会・宗門の御遺命破壊を捨身で諌め、御遺命守護の御奉公に立ち上がられたのは、浅井先生ただ御一人でした。
しかし、その後数十年を経て、偽戒壇・正本堂は崩壊し、御遺命破壊に加担した5悪人もことごとく亡び、あるいは亡びんとする今、20年代の決戦場を前に「国立戒壇」の正義を叫ぶ「有羞の僧」が出てきたこと、なんとも不思議ですね。
これもすべては大聖人の御力と伏して拝するとともに、「御遺命破壊のたばかりも、いよいよ最終章」、「もう広宣流布は甚だ近い」との浅井先生の仰せを実感とするばかりです。
いよいよ大確信に立って、広宣流布・国立戒壇建立のお手伝いをさせて頂きたいと思います!