「一人なれども心の強き故なるべし」

「乙御前御消息」のご指導が掲載されました

 顕正新聞1月25日号に、先般の日曜勤行における「乙御前御消息」の浅井先生のご指導が掲載されました。たいへん有難いご指導でしたので、その一部を紹介させて頂きます。

「日妙殿」とは?

 本抄は、鎌倉に住む「日妙殿」に賜った御書です。

 日妙殿は、女手一つで「乙御前」という幼子を育てながら、けなげに信心を貫いていた女性です。

 あの竜の口の大法難のとき、あまりの恐ろしさに門下の多くの者が退転しました。その中、日妙殿の信心は微動もせず、なんと鎌倉から流罪の地・佐渡の大聖人様の御もとまで、幼子の手を引いて命かけての参詣をされたのです。

 鎌倉から佐渡までは一千余里。険しい山、荒れ狂う海を乗り越え、さらに内乱直後で治安が乱れ、山賊・海賊も跋扈する中、女性が幼子を連れて佐渡に渡ることがどれほど危険で困難なことか。

 大聖人様は、日妙殿のこの命かけての求道心をごらんになり、「未だ聞かず、女人の仏法を求めて千里の路をわけし事を。乃至、日本第一の法華経の行者の女人なり」とお褒め下さり、このとき「日妙聖人」との名を賜ったのです。

 まさに日妙殿こそ、末法の女性を代表して、竜の口において久遠元初の自受用身に成り給うた日蓮大聖人を、命かけての信心で見奉った女性です。

 その3年後、日妙殿が再び身延にまします大聖人様のもとに参詣した折に賜った御書が、この「乙御前御消息」です。

 それでは本文を拝していきましょう。

「暗きにともしび」

 法華経は、女人の御ためには暗きにともしび、海に船、おそろしき所には守りとなるべきよし誓わせ給へり。

 法華経は、女人の御ためには、真っ暗な所では灯火となり、海においては船となり、命を脅かされるような恐ろしい所には守りとなることを約束している――と。

 これは、「御本尊様を強く信ずる者には絶対に行き詰まりがない、必ず道が開けてくる」ということです。なんと有難いことでしょうか。

「人の心かたければ」

 人の心かたければ、神の守り必ずつよしとこそ候へ。

 人の心が堅いからこそ、諸天善神の守りも強いのである――と。

「今一重強盛に」

 是は御ために申すぞ。古(いにしえ)の御心ざし申す計りなし、其れよりも今一重強盛に御志あるべし。其の時は弥々十羅刹女の御守りもつよかるべしとおぼすべし。

 これは誰のためでもない、日妙殿のために言うのである。3年前、命かけて佐渡まで渡った信心の志は、言うべき言葉もないほど立派である。しかし、それよりもさらに今一重の強い信心に立ちなさい。そのときは、いよいよ諸天善神の守護も強いであろう――と。

 当時、日本国中が大聖人を誤解し憎む中、幼子を抱えけなげな信心を貫く日妙殿を「何としても守り切らん」との大聖人様の大慈大悲が胸に迫り、有難さが幾重にも込み上げます。

大聖人のお姿を拝せよ

 (ためし)には他を引くべからず。日蓮をば、日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあやまたんとせしかども、今までかうて候事は、一人なれども心のつよき故なるべしとおぼすべし。

 その実例をよそに見るには及ばない。「日蓮を見よ」と、強々と仰せあそばすのです。

 大聖人様に対し、日本国の国主から万民に至るまで、一人残らず憎んで殺害せんとしました。しかし大聖人様は厳然、その御威徳を誰人も犯すことができませんでした。これ、大聖人は唯一人であっても心の強きゆえ――と。

「一人なれども心の強きゆえ・・・」

 浅井先生は、この御文について次のように指導下さいました。

 いいですか。「一人なれども心のつよき故なるべし」と。この仰せ、私たちは心腑に染めなければいけません。

 たとえこの有難い御本尊様に値い奉るとも、心が弱くてはダメなのです。フラフラ信心で、いいことがあったら信じよう、悪いことがあったらやめてしまおうと、こんな取引信心では、諸天善神はその人を守らない。たとえば、釣り鐘は大きな音が出るけれども、楊枝の先で突いたのでは音が出ない。(中略)

 肚を決め切る。この絶対信に立ったら、この世に恐ろしいものはなくなる。たとえ大地震が来ようと、大戦争が起ころうと、地球が壊われようと、大聖人様への信心だけは微動もしない。この絶対信に立ったとき、不思議の御守護を頂き、一生成仏が叶うのであります。

顕正新聞1月25日号

 いかがでしょうか。肚を決め切る絶対信に立つ大事が強く命に響きます。

浅井先生の御姿を拝して

 何より有難いことは、「(ためし)には他を引くべからず」の御金言のごとく、浅井先生が御自身の姿を通して「絶対信」とはいかなるものかをお教え下さったことです。

 昭和32年8月3日、顕正会は正系門家において大聖人様の大事な御遺命がまさに消え失せんとする時に生れ合わせました。

 第六天の魔王その身に入りし池田大作と時の「法主」が口をそろえて国立戒壇を否定し、「正本堂こそ御遺命の戒壇」とたばかる中、浅井先生はただお一人、「もし黙っていたら、大聖人様に不忠になる。大聖人様に申しわけない」との一念で御遺命守護の御奉公に立ち上がられたのです。

 すると池田大作は「法主」の権威と公権力を利用して、顕正会の潰滅を謀りました。「法主」の名のもとに顕正会に解散処分を下し、公権力・警察を動かして虚偽の告訴による逮捕・捜索・テレビ報道を繰り返したのです。これで潰れない団体はありません。

 しかし、顕正会は微動もせず、いよいよ力強くなりました。なぜ、このような不思議があり得たのでしょうか。

 浅井先生は次のように仰せられています。

 これ、大聖人様が衣を以て覆い下さったからであります。

 この戦い、今にいたるまで数十年。この間、私は、一度も弱い心を起こしたことがない。ただただ大聖人様の御心を見つめ、忠誠を貫き通した。ゆえに大聖人様は衣を以て覆い下さり、お守り下されたのであります。

顕正新聞1月25日号

 いかがでしょうか。いかなるときも大聖人様の御心を見つめ、忠誠を貫き通された浅井先生の心堅き「絶対信」に、ただ低頭のほかありません。ここに浅井先生の激闘に伴う数々の不思議があり、偽戒壇・正本堂の崩壊という大現証も起きたのです。

 かかる大忠誠、絶対信の浅井先生に師事し、一生成仏が叶う本物の信心を教えて頂けた私たち顕正会員の立場は、なんと有難いことでしょうか。

 されば、「御遺命を守り奉った団体こそ、いよいよ御遺命成就に御奉公しなければいけない。今こそ、もうギリギリの広布最終段階であります」「いよいよ『今一重強盛に御志あるべし』の仰せを胸に、最後の御奉公を貫かせて頂こう」との浅井先生の仰せを胸に、私も今一重の強盛な信心に立ち、御遺命成就のお手伝いに励んでいきたいと思います!