特集号に掲載された「秘密の議事録」
顕正新聞4月5日号が出来しました。
その名も「大聖人の御眼を恐れよ」特集号!
第1面には、「日蓮大聖人の御眼恐ろしとは思わぬか」、「宗門の国立戒壇否定は『責任役員会議』で議決した」「同じ手続を以て御遺命違背を謝罪し奉れ」との大見出しが・・・。
まさに存在そのものが宗門(日蓮正宗)に対する諫暁書ともいうべき、すごい特集号ですね。
それもそのはず、今回の特集号には、なんとこれまで明かされていなかった宗門の御遺命破壊を裏付ける重大な「証拠」が掲載されているのです。
それはズバリ、国立戒壇を否定した「日蓮正宗責任役員会議事録」です。
もう宗門にも残っていないかもしれない、この重大な議事録に記された御遺命破壊の事実とは・・・?
浅井先生のご指導を拝してみましょう。
宗門の公式決定として御遺命破壊に加担
池田は用心深く、単に細井管長の個人的な見解ではなく、「日蓮正宗・責任役員会」の議決を以て、国立戒壇の否定と、正本堂を御遺命の戒壇と定めた「訓諭」を発布させたのです。
かくて、国立戒壇否定と正本堂の大誑惑は、一細井日達の個人的見解ではなく、日蓮正宗の公式決定、宗門の公的意志となった。
この二通の「宗教法人『日蓮正宗』責任役員会・議事録」には、代表役員・細井日達、責任役員・早瀬道応、同・佐藤日成の三人の署名がある。
この中の早瀬道応とは後に能化・総監となった日慈であり、現・日如管長の父親です。また佐藤日成とは、こんど裁判で負けた川越の本種寺住職・佐藤日栄の父親です。
この細井日達・早瀬道応・佐藤日成の署名・捺印がこの議事録にはっきりとなされているのです。
彼らは、大聖人様の御眼も恐れず、このような決定的御遺命破壊に手を貸してしまったのであります。
顕正新聞「大聖人の御眼を恐れよ」特集号
いかがでしょうか。宗門の御遺命破壊は、単に細井日達の個人的な見解ではなく、宗門の公式決定として行われていたのです。なんとも罪深いですね。
これでは阿部日顕お得意の「言い過ぎやはみ出し」で済むはずがありません。
「日蓮正宗責任役員会議事録」に記された国立戒壇の否定
さて、それではいよいよ「日蓮正宗責任役員会議事録」を見てみましょう!
日時は「昭和四十五年四月二十七日午後四時三十分から同五時まで」、場所は「日蓮正宗宗務院」、議題は「第一号案『国立戒壇の名称不使用の件』」、議決事項は「『国立戒壇の名称不使用の件』を全員一致で承認可決した」となっています。
議事経過は、次のとおりです。
定刻午後四時三十分、代表役員が議長席に着き、出席者を確認して、開会を宣した。
次いで第一号案を配布し、代表役員より国立戒壇の名称を今後一切使用しないことにしたい旨、提案理由の説明があり、審議の結果、午後四時五十七分全員異議なく、原案通り承認可決した。
他に議題なく、午後五時議長が閉会を宣し、会議を終了した。
そして、このとき承認可決された「第一号案」には、「一、国立戒壇の名称不使用の件 本宗教義の本質より鑑み、国立戒壇の名称は不適当につき、今後一切右名称は使用しないこととする」と書かれていました。
これを見れば、宗門が、単に国立戒壇の名称だけを否定したのではなく、その前提として、国立戒壇の内容(教義)をも改変してしまったことがわかります。
この議事録につき、特集号には次のような解説が付されています。
「国立戒壇放棄」を決議した昭和45年4月27日の「日蓮正宗責任役員会議事録」。「議題」には「国立戒壇の名称不使用の件」とあるが、それを説明する「第一号案」には「本宗教義の本質より鑑み」とあって、放棄したのが、単に名称だけではなく「国立戒壇」そのものであることを示している。ゆえにこの翌5月に開催された創価学会本部総会において細井日達は「日蓮大聖人は、大聖人の仏法を国教にするなどとは仰せられていない。国教でない仏法に『国立戒壇』などはあり得ない」と述べて国立戒壇を否定しているのである。
顕正新聞「大聖人の御眼を恐れよ」特集号
「名称を使わなくなっただけ」のウソ
よく宗門(日蓮正宗)の人たちは、自分たちの御遺命破壊の大罪を隠そうとして、「『国立戒壇』という名称を使用しなくなっただけで、教義の内容は変えていない!戒壇の教義の内容は、一貫不変だ!」なんて言いますが、思わず吹き出してしまいます。「よくこういうウソを平気でつけるなあ」と驚くばかりです。
宗門は、「国立戒壇」の名称使用を禁止すると同時に、偽戒壇・「正本堂」を「御遺命の戒壇」と偽称しました。つまり、御遺命の戒壇の内容(教義)を、「正本堂」にスリ替えたのです。
このことは、細井日達の「正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」との「訓諭」(昭和47年4月28日)や、阿部日顕の「正本堂は現在直ちに一期弘法抄、三大秘法抄に仰せの戒壇ではないが、将来その条件が整ったとき、本門寺の戒壇なる建物で、それを今建てるのである」との「国立戒壇論の誤りについて」の記述(同年6月)等から明らかです。
騙されている法華講員のみなさん、だから宗門(日蓮正宗)は御遺命違背なのですよ。
日蓮大聖人は一期弘法付嘱書の末文に、「就中我が門弟等此の状を守るべきなり」と厳重に御戒め下されています。大聖人一期の御遺命に背く者は、もはや大聖人の「門弟」ではないのです。
だから今の宗門は御本仏大聖人に背き、僧俗一同功徳を失い、みな入阿鼻獄となっているのです。
浅井先生は、早瀬管長に対し、今回、3度目の直諌をなされました。そのお言葉にいわく、「これらの前科ある上は、なおさら『日蓮正宗・責任役員会』の議決を以て『国立戒壇否定』を取り消し、その上で、管長として御遺命の正義を宣示しなければいけない。さもなければ、大聖人様に申し訳ないではないか。もう優柔不断は許されない」。
いよいよ20年代に突入し、一国に総罰が起きてきた今こそ、宗門僧俗は大聖人の御眼を恐れ、深く懺悔し、国立戒壇の正義に立ち還らなければいけません。