やっぱり真っ黒だった!阿部日顕の悪臨終

阿部日顕の悪臨終の相が明らかになりました

 「ああ、やっぱり!」と誰もが思ったことでしょう。

 冨士大石寺顕正会の5月度総幹部会で、日蓮正宗の67代管長・阿部日顕の悪臨終がついに明らかとなりました。

 事の発端は、今年の4月28日に顕正会の新しい広告文が出来したことでした。

 この新広告文を、顕正会の婦人部副長が新横浜駅で同志といっしょに配布していたときのこと。通りすがりの一人の男性が広告文に関心を示したので、近くの喫茶店で話をすることになりました。

 その男性は、祖父と父親が日蓮正宗の法華講の「講頭」で、親に勧められて出家し、小学生のころから20歳くらいまで大石寺に僧侶として在勤していました。しかし、先輩僧侶の暴力などに嫌気がさし、僧侶を辞めたこと等を打ち明けてきました。

 そこで副長が、「人生の目的は成仏にある」ことを伝えようと、成仏の相のことを夢中で語ると、その男性はなんと、友人の宗門僧侶から聞いた阿部日顕の臨終の相について、衝撃的な内容を語ってきたのです。

 「その相は色黒く、恐ろしい形相で、部屋中に悪臭が漂っていた

 「本来、宗門では死に化粧はしないものだが、あまりに色が黒かったので、死に化粧をするしかなかった。しかし、何度塗っても白くならない。最後には厚塗りをしてなんとか白くした」と。

 ちなみにこの元宗門僧侶の男性は、副長の折伏により神奈川会館で顕正会に入会しました。

阿部日顕の「色黒き」悪臨終が示すもの

 いかがでしょうか。池田大作にへつらい、2冊の悪書を書いて御遺命破壊に全面協力し、さらに偽戒壇・正本堂が崩壊した後も「国立戒壇が間違いだと言ったことは正しかった」などと御遺命に背く大謗法の悪言を吐いていた阿部日顕。

 その臨終の相は、死に化粧を何度も塗り、厚塗りしなければ白っぽくならないほど「色黒く」、「恐ろしい形相」で、部屋中に「悪臭」が漂っていたというのです。

 ちなみに、御遺命違背の罰はすさまじく、阿部日顕は臨終を迎える前から重い腎臓の病気で、いつも顔が黒ずんでいました。この姿は、阿部日顕が入院する病院に勤務していた顕正会員の看護師がはっきりと目にしています。

 御本仏日蓮大聖人は「千日尼御前御返事」に次のように仰せられています。

 人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引の石(いわ)の如し。善人は設(たと)い七尺八尺の女人なれども、色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる、又軽き事鵞毛の如し、輭(やわらか)なる事兜羅綿(とろめん)の如し

 また「神国王御書」には、中国における真言宗の元祖・善無畏三蔵が無間地獄に堕ちた証拠として、次のように断定されています。

 善無畏三蔵は、乃至、死する時は『黒皮隠々として骨甚だ露わる』と申して、無間地獄の前相を其の死骨に顕わし給いぬ。人死して後色の黒きは地獄に墜つとは一代聖教に定むる所なり

 これらの御金言に照らせば、色黒く、恐ろしい形相で、悪臭を放っていた阿部日顕の悪臨終は、まさに「無間地獄に堕ちた姿」に他なりません。

 そしてこの阿部日顕の悪臨終こそ、大聖人唯一の御遺命たる国立戒壇を誹謗するならば「時の貫首」であっても無間地獄に堕ちること。そして、この大罪を心から改悔しない限り、全宗門僧俗も「入阿鼻獄」は疑いないことを示しています。

 宗門(日蓮正宗)は早く御遺命破壊の大罪を懺悔し、池田大作にへつらって捨ててしまった国立戒壇の正義に立ち還らなければいけません。