日蓮大聖人の仏法

日蓮大聖人の仏法

「立正安国論」の肝要を拝し奉る(5)

仏法が破壊されるのを見て、自分の臆病から黙っているならば、その人は仏法の怨であり、地獄に堕ちるという、まことに厳しいお誡めである。これを以て思うに、いま正系門家において御本仏の御遺命が破壊されんとしたとき、顕正会が御遺命守護に立ち上がったことこそ、日蓮大聖人に対し奉る真の忠誠なのである。
日蓮大聖人の仏法

「立正安国論」の肝要を拝し奉る(4)

他国来難の御予言的中こそ、日蓮大聖人に背く人々を改悔させ、いちばん恐ろしい死後の無間地獄の大苦から救わんとあそばす、大聖人の大慈大悲だったのです。
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「立正安国論」の肝要を拝し奉る(3)

「立正」の二字に三大秘法を含むことまことに明らかである。そして三大秘法の随一は本門戒壇の大御本尊であり、この大御本尊を国立戒壇に安置し奉ることこそ、大聖人の究極の大願であられれば、まさに「立正」とは国立戒壇の建立に尽きるのである。
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「立正安国論」の肝要を拝し奉る(2)

弘安五年の御入滅に際して、門下一同に講じ給うたのが、この立正安国論であった。この最後の御説法こそ、「国立戒壇を建立して仏国を実現せよ」との、門下一同への御遺命である。まさに立正安国論こそ一代御化導を貫く大綱の御書であれば、大聖人の御願業のすべてはこの一書に込められている。
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「立正安国論」の肝要を拝し奉る(1)

立正安国論こそ、理論と現証の一致を以て御教示下された、未来永遠にわたる国家安泰・世界平和の一大明鏡である。ゆえに人類の存する限り国家の在る限り、立正安国論に示された法則のままに、国家も人類も動いていくのである。
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大聖人のお題目と私たちのお題目の功徳に違いはあるか?

では、何もわからない私たちがお題目を唱えるだけで、どうして大聖人と同じ功徳を頂けるのでしょうか?浅井先生の「『松野殿御返事』を拝し奉る」の一節を拝してみましょう。
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日蓮大聖人の大慈大悲・絶大威徳を示す3つの現証

第1は「人生の目的は成仏にある」として「臨終の相」の現証、第2は「立正安国論の予言的中」の現証、第3は「国家権力も御頸切れず」の竜の口の大現証
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「国立戒壇」とは

広宣流布の暁に、国家意志の表明を以て、富士山天生原に建立される本門戒壇の呼称です。
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日蓮大聖人とはいかなる御方か(4)国家権力も御頸切れず

国家権力が、ただ一人の大聖人の御頸を切れず、かえってその絶大威徳の前にひれ伏してしまったという思議を絶する大現証
日蓮大聖人の仏法

日蓮大聖人とはいかなる御方か(3)立正安国論の予言的中

大宇宙は一大生命体であり、人々の心と天地とは相互に関連し影響し合っています。そこに、人々の生命に重大な影響を与える「仏法の正邪」が、「国家の興亡盛衰」を決する根本原因となる所以があるのです。