「立正安国論」の肝要を拝し奉る(5)

法を壊る者を見たら・・・

 もしもあなたの目の前で、同僚が会社のお金を盗もうとしているのを見たら、どうしますか?

 「あ、何やってるの!ダメじゃない!」と注意する人、「エヘヘ、僕も一緒に盗んじゃおうかな~」と加担する人など、いろいろいると思います。

 では、本当は悪いことと知りながら、「でも、面倒なことに巻き込まれたくないし、あの人との関係も悪くなっちゃうし・・・」といって、黙ってそれを見過ごしたとしたら、どうでしょうか?もちろん、良くないことですよね。

 でも、こういった世間の小さなことよりも、もっともっと重大な問題があります。それは、「仏法を破壊する者を見たときに、どうするか?」ということです。

 実は「立正安国論」には、このようなときに仏弟子がどのように振舞うべきかという、とても大切なことが説かれているのです。

 浅井先生のご指導を拝してみましょう。

宗門の腐敗堕落と御遺命守護の戦い

 立正安国論には涅槃経を引いて

 「若し善比丘あつて、法を破る者を見て、置いて、呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば、是れ我が弟子、真の声聞なり」と。

 この文意は、仏法を破壊する者を見ても、そのまま黙過して呵責もせず、追放もせず、謗者所在の一切の所で身口意の三業を経て折伏もしなければ、その人はたとえ善比丘であっても仏法の中の怨である。もし能く追放し、呵責し、挙処するならば、これこそ我が弟子、真の仏弟子である―ということである。

 ゆえに大聖人は滝泉寺申状において

 「法を壊る者を見て責めざる者は、仏法の中の怨なり

 と仰せられ、また秋元御書には

 「常に仏禁(いまし)めて言わく、何なる持戒智慧高く御坐して、一切経並びに法華経を進退せる人なりとも、法華経の敵を見て、責め罵り国主にも申さず、人を恐れて黙止するならば、必ず無間大城に堕つべし。譬へば我は謀叛を発(お)こさねども、謀叛の者を知りて国主にも申さねば、与同罪は彼の謀叛の者の如し。乃至、見て申さぬ大智者は無間の底に堕ちて、彼の地獄の有らん限りは出づべからず。日蓮此の禁(いまし)めを恐るゝ故に国中を責めて候程に、一度ならず流罪・死罪に及びぬ」と。

 すなわち、どれほど仏法に通達している者であっても、仏法が破壊されるのを見て、自分の臆病から黙っているならば、その人は仏法の怨であり、地獄に堕ちるという、まことに厳しいお誡めである。

 これを以て思うに、いま正系門家において御本仏の御遺命が破壊されんとしたとき、顕正会が御遺命守護に立ち上がったことこそ、日蓮大聖人に対し奉る真の忠誠なのである

令和2年・教学部三級試験問題「問6」

 いかがでしょうか。たとえどれほど仏法に通達している者であっても、仏法が破壊されるのを見ながら黙っていたら、その人は「仏法の怨」であり、地獄に堕ちる、とまで大聖人は仰せられているのです。なんとも厳しい仰せですね。

 この仰せを拝せば、昭和40年代、創価学会の池田大作が自身の名利から偽戒壇・正本堂を御遺命の戒壇と大宣伝したとき、その誤りを見ながら一言も諫めず、かえってこれに同調・讃嘆した宗門僧俗の大罪は、いかばかりでしょうか。

 もちろん、当時宗門の「教学部長」という要職にありながら、「宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現御法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生により、始めてその実現の大光明を顕さんとしている」(大日蓮昭和42年11月号)などと池田にへつらった阿部日顕(信雄)や、「時の貫首」でありながら、「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」(大白蓮華昭和43年1月号)などと諸手を挙げて池田に賛同した細井日達が「仏法の怨」であり、改悔なきゆえに入阿鼻獄となったことは必定です。

 そうすると、この細井・阿部の悪言に引きずられて、未だに国立戒壇の御遺命を否定し続ける現在の宗門僧俗もまた、実は大聖人に背く師敵対、「仏法の怨」、入阿鼻獄決定の人たちなのです。なんとも不憫ですね。

 そこに、学会・宗門がことごとく御遺命に背き奉る中、ただ一人、大聖人の御命令を信心の耳で聞き奉り、一身を賭して御遺命守護にお立ちになられた浅井先生の戦いこそ、まさに「日蓮大聖人に対し奉る真の忠誠」なのだと、感激でいっぱいです。

 いま学会・宗門が御遺命違背のゆえに広宣流布に戦う「資格」も「力」も失い、衰亡の一途をたどる中、浅井先生のもと、大聖人の仰せのとおりの信心をして、仰せのとおりの功徳を頂ける顕正会員の立場は、なんと有り難いことでしょうか。

 「もう顕正会以外に、広宣流布を戦う仏弟子の大集団はない」との先生の仰せに、勇躍歓喜がこみ上げます。

 「広宣流布、朝夕近し」の大情熱をたぎらせ、私も広宣流布のお手伝いに邁進していきたいと思います!