「立正安国論」の肝要を拝し奉る(6)

立正安国を結勧す

 これまで書いてきた「『立正安国論』の肝要を拝し奉る」シリーズも、いよいよ最終回です。

 そこで、今回は、立正安国論において、日蓮大聖人が時の国主・北条時頼に対し、「早く邪法を捨てて正法を立て、国家を安泰にすべし」と結勧された、肝要の御文を拝したいと思います。

 汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰えんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ破れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば、身は是れ安全にして心は是れ禅定ならん。此の詞(ことば)此の言(こと)、信ずべく崇むべし。

 いかがでしょうか。大聖人の何としても国を救わんとの大慈大悲と御気迫が伝わり、大瀑布に打たれるような思いがします。

 そして、この御文の中に、実は立正安国論の肝要である「破邪」、「立正」、「安国」の3つが示されているのです。

 浅井先生のご指導を拝してみましょう。

「実乗の一善に帰せよ」=「国立戒壇を建立せよ」との仏勅

 「汝早く信仰の寸心を改めて」とは破邪、「実乗の一善に帰せよ」とは立正、「然れば則ち三界は皆仏国なり」以下は安国である。

 そして「実乗の一善」とは、附文の辺は実大乗の法華経を指すが、元意は法華経本門寿量品の文底に秘沈された大法であり、その体は実に本門戒壇の大御本尊であられる。

 この大御本尊を日本一同に信じ奉り、国家意志の表明を以て富士山天生原に建立される本門戒壇すなわち国立戒壇に安置し奉る時、日本は始めて仏国となる。されば「実乗の一善に帰せよ」とは、まさに「国立戒壇を建立せよ」との仏勅である

令和2年・教学部三級試験問題「問7」

 いかがでしょうか。「破邪」、「立正」、「安国」という仏国実現の大道理、太陽のごとく明らかですね。

 日蓮大聖人の仰せのままに、日本一同が一切の邪法を捨て、ただ本門戒壇の大御本尊を信じ奉り、国家意志の表明をもって富士山天生原に建立される本門戒壇、すなわち「国立戒壇」に大御本尊を安置し奉る時、はじめて日本は「仏国」となるのです。

御遺命に背き、衰亡の一途をたどる宗門

 このことがわかれば、未だ日本一同が信じていない時に、国家意志の表明もなく勝手に宗門で建てた建物が、大聖人の御遺命の戒壇であるはずがありません。

 こんな3歳の子どもでもわかることを、池田大作にへつらった細井日達・阿部日顕はネジ曲げ、偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇」あるいは「広宣流布の時に御遺命の戒壇になる建物」などとうそぶいたのです。なんとも恥知らずではありませんか。要するに、彼らには信心がなかったのです。

 しかも、宗門の無道心たるや、彼らは未だに「国立戒壇」の御遺命を捨てたままになっています。

 広宣流布の定義にしても、大聖人御自らが「日本一同に」と明確に仰せられているにもかかわらず、細井日達が編み出した己義「日本国の3分の1でOK」を未だに公言しています。どこまで恥知らずな輩なのでしょうか。

 ここに、御遺命に背いた罰により、宗門は衰亡の一途をたどり、広宣流布の折伏弘通は全く進まず、宗門僧俗ことごとく入阿鼻獄となっているのです。

広宣流布を戦う仏弟子の大集団は顕正会以外にない

 浅井先生は叫ばれました。

 御遺命に背いた輩に、死身弘法などできるはずがない。彼らはすでに、広宣流布を進める資格も力も失っているのです。・・・ゆえにいま学会も宗門も、広宣流布の弘通は全く進まないのです。

 所詮、御遺命に背いては、死身弘法などあり得るはずもないのであります

 宗門の本年(※令和2年)の「法華講・正月登山」は、機関紙「大白法」によれば、元日・二日・三日の総計で、わずか「一万七千一八〇人」であったという。これは早瀬日如管長が登座した平成十七年以来の最低です。

 こんなことで、どうして広宣流布ができようか

 オママゴトはやめて、ただ御遺命違背の大罪を大聖人に謝し奉り、真摯に出なおさなければいけない。

 顕正会は八千のとき御遺命守護の諫暁に立ち、一万二千のとき理不尽な解散処分を受けた。だが微動もせず、今や二百十三万余の仏弟子の大集団となって日本国を独走している。

 この不思議、ただ大聖人様の御守護以外にはないのです。

 もう顕正会以外に、広宣流布を戦う仏弟子の大集団はない。

 大聖人様はお待ちあそばす。

 早く三百万・五百万となって、亡国眼前の日本国を揺り動かし、何としても大聖人様に応え奉りたい。

顕正新聞「御遺命違背こそ亡国の因」特集号

 いかがでしょうか。大聖人一期の御遺命に背いてしまった学会・宗門には、もう広宣流布を進める「力」も「資格」もなくなってしまいました。ですから、今後、彼らは衰亡していくだけ、もう広宣流布を成し遂げることは不可能です。

 そこに、解散処分で潰れて当然だった顕正会、学会・宗門が捨てた「国立戒壇」を堂々と、高々と掲げる顕正会が、いま日本国を独走する仏弟子の大集団となったことは、なんと不思議なことでしょうか。「ただ大聖人様の御守護以外にはない」との先生の仰せが、命に響きます。

 もう大聖人の御遺命を奉じて、広宣流布・国立戒壇建立を実現する仏弟子の大集団は、顕正会以外にはないのです。

 今回の教学試験で掴ませて頂いた感激と確信を胸に、いよいよ「立正安国論の実践」である、広宣流布・国立戒壇建立を見つめた折伏に邁進していきたいと思います!