「立正安国論」の肝要を拝し奉る(4)

他国侵逼の御予言とは?

 「立正安国論」といえば、日蓮大聖人が未だ何の兆しもないときに他国からの侵略を御予言し、それがモンゴル帝国(大蒙古)の2度にわたる侵攻となって事実になった、ということで有名ですよね。御予言は寸分も違わず事実となったのです。

 この他国侵逼の御予言こそ、立正安国論の肝要です。その御金言を拝してみましょう。

 先難是れ明らかなり、後災何ぞ疑わん、若し残る所の難、悪法の科に依つて並び起り競い来らば、其の時何んが為や。

 帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ、而るに他方の賊来りて其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈驚かざらんや、豈騒がざらんや、国を失い家を滅せば、何れの所にか世を遁れん、汝須く一身の安堵を思わば、先ず四表の静謐を禱るべきものか。

令和2年・教学部三級試験問題「問4」

 いかがでしょうか。この御文こそ、もし謗法(正しい仏法に背くこと)を退治しなければ自界叛逆(国内の内乱)・他国侵逼(他国の侵略)の二難が必ず来ることを、厳然と御予言されたものです。

 御本仏でなくして、どうしてこのような御断言ができるでしょうか。浅井先生は、「まさしくこの自他の二難の御予言こそ、末法下種の本仏開顕の序と拝すべきである」(立正安国論謹講)と指導くだされています。

御予言的中の意義

 「へぇ、そうなんだ。ちょっと難しいけど、御予言がピタリと当たっちゃうなんて凄いわね。ちなみに、この御予言が当たったことって、どんな意義があるのかしら?きっと深い意義があるんじゃない?」と思われた、そこのあなた!

 ・・・たいへん鋭いご指摘ですね(笑)

 実はこの御予言的中には、深い深い仏法上の意義があるんです。

 もしこの御予言を「附文」(文の表面上の意味)に約せば、念仏宗の「法然」という悪僧の謗法により、国に様々な災難が起きており、この謗法を退治しなければ自他の二難(国内の内乱と他国の侵略)が必ず起こると予言されたものです。

 しかし、これを「元意」(文の奥にある究極の意)に約して拝せば、「先難」である巨大地震や大彗星等はもちろん、「後災」である自他の二難も、実に日蓮大聖人に背く失(とが)によって起きたものなのです。

 浅井先生のご指導を拝してみましょう。

 「先難是れ明らかなり、後災何ぞ疑わん」の御文について、日寛上人は一往附文に約して「法然の謗法に由るゆえに種々の災難いま世上に盛んなり。もし彼の謗法を退治せずんば、自他の叛逆来たらんこと治定なり。ゆえに此の論を勘え以てこれを奏するなり。乃至、これ此の論の肝要なり」と仰せられている。

 もしこれを元意に約して拝すれば、先難たる正嘉の大地震・文永の大彗星も、後災たる自他の二難も、実に日蓮大聖人に背き奉る失によって起きたのである

 すなわち久遠元初の自受用身末法に出現して三大秘法を以て一切衆生を救わんとするに、悪王・悪僧・万民等こぞって軽賤憎嫉して迫害を加えるならば、諸天はまず天変地夭を以てこの謗法を諌める。しかし国主等この諌めを用いずにさらに迫害を強めるならば、ついに諸天は隣国をしてこの国を責めしめる。ゆえに聖人知三世事には

 「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり。上一人より下万民に至るまで之を軽毀して刀杖を加え流罪に処するが故に、梵と釈と日月・四天、隣国に仰せ付けて之を逼責するなり。乃至、設い万祈を作すとも日蓮を用いずんば、必ず此の国、今の壱岐・対馬の如くならん」と。

 また二難の御予言的中は、謗法の一切衆生を改悔せしめ、後生の無間地獄の大苦を救わんとの大慈大悲であられる。ゆえに王舎城事には

 「法華経の敵となりし人をば、梵天・帝釈・日月・四天罰し給いて、皆人に見懲りさせ給へと申しつけて候。日蓮法華経の行者にてあるなしは、是れにて御覧あるべし。乃至、あへて憎みては申さず、大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生に消さしめんとなり」と。

 以て、日蓮大聖人の諸天に申し付け給う絶大威徳と大慈大悲を、深く拝すべきである。

令和2年・教学部三級試験問題「問5」

 いかがでしょうか。他国侵逼の御予言は、実に日蓮大聖人が「久遠元初の自受用身」という根源の仏様であられればこそ、この御本仏に背く失(とが)によって起きた大罰だったのです。まさに「御本仏開顕の序」ですね。

 また、この他国来難の御予言的中こそ、日蓮大聖人に背く人々を改悔させ、いちばん恐ろしい死後の無間地獄の大苦から救わんとあそばす、大聖人の大慈大悲だったのです。

 この大慈大悲・絶大威徳の御本仏・日蓮大聖人がこの国にましますことは、なんと有り難いことでしょうか。広告文を片手に、急ぎ全日本人に大聖人の大恩徳を教えていきたいと思います!