新たなウソで墓穴を掘った宗門僧俗
浅井会長の直諫から目を逸らすため、早瀬日如管長は、浅井先生の「成仏の妙相」を冒涜するデマを宗門僧俗に吹聴させてきました。
その内容は、小学生でもウソとわかるお粗末きわまる代物でした。
いわく〝浅井先生のご親族が火葬炉前で先生と最期のお別れをした際、その場にノコノコやってきたある法華講員が、なぜか親族と一緒にご拝顔を許可され、先生の相をまじかで見た。それは酷い相だった〟というものです。
ふつうに考えて、なんで浅井会長はじめ数名のご親族が、突然その場にやってきた見ず知らず法華講員を同席させ、先生との最期のお別れのご拝顔を許すことがあるでしょうか? 常識的に考えて、あり得ないですよね。
というより、こんな幼稚なウソを真に受ける人が本当にいるのでしょうか?もし信じ込んでいる哀れな法華講員がいるとしたら、逆に心配になります。
「そんなだから、宗門僧俗に簡単にダマされるんですよ」と。
これらのウソは、浅井会長によって完膚なきまで粉砕されたばかりか、かえって葬儀社職員という第三者の立場にある者3名の証言によって、先生の素晴らしい成仏の妙相は末法万年に光り輝いたのでした。
すると、往生際の悪い宗門僧俗は、新たなウソをこしらえ、それを宣伝し始めたというのです。しかし、そのウソによって、かえってその法華講員がその場にいなかったことが露呈してしまったのでした。
宗門僧俗の新たなデマ
浅井会長は、「まともに取りあうことすらバカらしい下らぬ虚偽ではあるものの、先生のお徳にわずかでも傷が付くことを恐れるゆえ、また宗門僧俗の醜悪なる実態を満天下に晒しておくためにも、ごく簡略に劈いておく」として、そのウソを一刀両断されました(詳しくは、顕正新聞10月5日号「五百万学会員を救わん」特集号3をごらんください)。
まず、どんなウソかというと、次のようなものです。
〝葬儀場で先生の御柩が運ばれた場所には二基の火葬炉があり、その中央に「金ピカの仏像」が設置されていた。そして、そのまま最後のお別れが行われ、先生は金ピカの仏像の横で荼毘に付された。このような場所で荼毘に付され、成仏したと言えるのか?〟と。
しかも、そのウソを信じ込ませるために、二基の火葬炉の中央に仏像が写っている写真(葬祭場の公式サイトに掲載されているもの)まで用意したというのです。
いやはや、悪質ですね。
葬祭場の所長「仏像はありません」
この新たなウソについて浅井会長は、「このように自らの虚偽を暴かれて追い込まれると、別のデマを吹聴して話を逸らそうとするのは、宗門僧俗の常套手段である」と、その本質を抉られた上で、次のように破折されました。
「これは全くの虚偽である。一昨年の先生の火葬の折、火葬炉の横にそのような仏像は存在していない。実際、私を含め、そこにいた親族と横田理事は件の仏像など一切見ていない」と。
実際、横田理事が顔見知りである葬祭場の所長に確認したところ、所長は次のように証言しました。
「(仏像は)ありません。私が入社する前からないです」と。
そして所長は、葬祭場の公式サイトの写真に写る仏像は、火葬棟が竣工した、かなり以前にあったにすぎず、先生の火葬のときには存在しなかったことを明確に証言したのです。
こうして、「仏像の横で荼毘に付された」などという事実は存在しないことが明らかとなり、またしても宗門僧俗のウソが満天下に晒されたのでした。
まじめな法華講員ならびに全日本人は、このようなウソを平然と垂れ流す宗門僧俗の異常性、醜悪なる実態に刮目しなければいけません。
三回忌を前にすべての謀り粉砕さる
浅井会長は、血眼になって浅井先生のお徳を穢そうとする尋常ならざる宗門僧俗の執拗さは「第六天の魔王その身に入るゆえ」であり、しかしかかる天魔のたばかりも虚しく、葬儀社の3名の社員が口を揃えて死化粧を施した事実を完全否定し、うち一人は白く輝くような御遺影の写真と全く変わらぬ妙相であったことを証言し、さらに葬祭場の所長が火葬炉の横に仏像など存在しなかったことを証言したことで、かえって件の法華講員がその場にいなかったことが露呈したことを以て、このように仰せられました。
「かくして先生の大事の三回忌を前に、穢らわしい天魔のたばかりはすべて雲散霧消し、先生の素晴らしき成仏の妙相は末法万年に輝き、誰人も傷つけること能わぬものとなった。
これひとえに、大聖人様の厳たる御守護にほかならず、また一分でも先生へのご報恩に供しまいらせることが叶い、熱涙に咽ぶものである」と。
いかがでしょうか。会長の、先生のお徳を何としても守らんとされる深きお心には胸が熱くなり、同時に「ここに浅井先生の正しさが、誰人も否定できぬ現証によって、末法万年にわたって証明されたのだ」との大感動に全身が包まれました。
「早瀬管長は大聖人の御眼を恐れよ」
そこに浅井会長は、卑劣な謀りをなした早瀬管長ならびに宗門僧俗のあまりに重い大罪を示され、「師子を吠うる犬は腸くさる」(兄弟抄)のごとく大罰を蒙ること必定として、「いい加減、大聖人様の御眼を恐れ、懺悔せよ」と強く叱責されました。
早瀬管長は、会長の仰せを真摯に受け止め、五体投地の懺悔をし、「国立戒壇こそ御遺命」との公式宣示と、大御本尊厳護のための三次元免震システムの新御宝蔵建設を速やかに実行しなければいけません。


