「竜の口法難御報恩勤行会」が奉修されました

竜の口法難御報恩勤行会とは

 去る9月12日、冨士大石寺顕正会の「竜の口法難御報恩勤行会」が本部会館で奉修されました。

 顕正新聞9月25日号の第1面に掲載された写真を見ると、浅井先生の御導師のもと代表幹部が一同に勤行を申し上げる姿から当日の凛とした空気が伝わり、清々しい気持ちになります。

 冒頭、浅井先生は、「竜の口法難御報恩勤行会」の意義について、次のように指導下さいました。

 本日は、日蓮大聖人様が御年五十歳の文永八年九月十二日の深夜、理不尽なる国家権力の死罪によって、恐れ多くも竜の口の頸の座に坐し給い、まさしく御頸刎ねられ奉った――という重大な日であります。

 ゆえに、ただいま拝読の開目抄の御文に

 「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ」と、過去完了形で「頸はねられぬ」と仰せになっておられる。

 だがこのとき、思議を絶することが起きたのです。

 御頸まさに刎ねられんとしたその刹那、巨大なる「月のごとく光りたる物」が突如 暗闇の中から出現した。その強烈な光りにより太刀取りは眼くらんでその場に倒れ伏し、まわりを警護している兵士どもも恐怖のあまりみな逃げ出し、ことごとく砂浜にひれ伏してしまった。

 その中に大聖人様は、宇宙法界を我が身と開く久遠元初の自受用身と成り給いて成道を遂げられ、末法下種の本仏と顕われ給うたのであります。

 この尊い御姿を偲び奉れば、我ら末弟、ただひれ伏して合掌し奉るのみであります。

顕正新聞令和4年9月25日号

久遠元初の自受用身とは

 次いで浅井先生は、「久遠元初の自受用身」とはいかなる仏様であられるかについて、「これを一言で申せば――三世十方の諸仏の根源の本仏、最初・大本のただ一人の仏様-ということ」として、たいへん有難い指導を下さいました。

 この大宇宙には、インドに出現した釈迦仏のような三十二相で身を荘厳った「熟脱の仏」が無数に存在し、これを「三世十方の諸仏」ということ。

 しかし、これら三十二相の無数の諸仏は、いずれも「久遠元初の自受用身」という根源の本仏の垂迹・応化で、いま末法において過去に仏に成る種を植えられていない「本未有善」の荒凡夫、戦乱の絶え間ない「闘諍堅固」の時代では、人々を救えないこと。

 このとき、名字凡夫の御身そのままの御本仏、久遠元初の自受用身が御出現になり、下種の大法・三大秘法を以て末法の一切衆生を根底からお救い下さるのであり、この久遠元初の自受用身こそ実に日蓮大聖人であられること――。

 このご指導を拝し、私たちはなんと尊い仏様にお値いできているのかと、有難さでいっぱいになりました。

日蓮大聖人の御化導は全世界・未来永遠にわたる

 まして先生より、インド・中国・日本の三国、そして在世と正像二千年に限られた釈迦仏の化導と対比して、「下種の御本仏日蓮大聖人の御化導は、地域的には全地球上におよび、時間的には未来永遠にわたる」と教えて頂いては、その有難さはとても言葉に尽くせません。先生は次のように指導下さいました。

 報恩抄を拝してごらんなさい。

 「日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智・無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」と。

 「日本乃至漢土・月氏・一閻浮提」とある。「漢土」とは中国、「月氏」とはインド、「一閻浮提」とは全世界です。まさしく地球上の全人類が必ず南無妙法蓮華経と唱えるにいたる――と御断言であります。

 さらに報恩抄には

 「日蓮が慈悲昿大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」と。

 これ末法万年・尽未来際まで南無妙法蓮華経は流布する――との御断言であります。

 このように、久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人が御出現になれば、やがて日本を始めとして全世界の人々が仏に成らせて頂けるのです。

 その時には三災七難も消滅する。すなわち飢餓も疫病も戦争も消滅し、まさしく事の寂光土がこの地球上に現出するのです。

顕正新聞令和4年9月25日号

 いかがでしょうか。時間・空間ともになんと雄大な御化導かと、ただ拝跪合掌の思いが込み上げます。

 しかし第六天の魔王はこれを最も恐れ、嫌い、日蓮大聖人の御化導に対しては、釈迦仏の時とは比べるべくもない大妨害をします。それが身命にも及ぶ四箇度の大難となったのです。

竜の口大法難にいたる経緯

 浅井先生は、竜の口の大法難にいたるまでの経緯について、「まさしく立正安国論の御諫暁から始まっている」として、次のように指導下さいました。

 大聖人様は日本国の一切衆生を現当二世に救わんと、「立正安国論」を以て国主を諫暁あそばされ、これを機に、邪法の悪僧らが大怨嫉を起こし、民衆を煽動し国主に訴えたこと。

 これにより、安国論の翌月には「松葉ヶ谷の法難」(数千人の念仏者が真夜中に大聖人の庵室を襲い打ち殺さんとした)が起き、その翌年には「伊豆御流罪」(国家権力が政道を曲げて流罪に処した)が行われ、さらに伊豆から還られた翌年には「小松原の剣難」(地頭の東条景信が数百人の軍勢を率いて大聖人を襲い、頭に四寸の傷を負わせ奉った)と、大難が波のごとく大聖人の御身を襲ったこと――。

 浅井先生は、これら身命に及ぶ大難を耐え忍ばれ、唯一の成仏の大良薬をお勧め下さる大聖人様こそ、「まさしく一切衆生の主・師・親であられる」として、次のように仰せられました。

 もし「一切の邪法を捨てて、南無妙法蓮華経と唱えよ」と言い切らず、「諸宗の法もいいところがある。しかしそれよりも法華経はなお勝れている」として国主に勧めたら、大難は起きない。

 だが諸宗はことごとく人々を地獄に堕とす邪法であり毒なのです。その毒を捨てさせ、成仏の叶う南無妙法蓮華経の大良薬をお勧め下さる大聖人様こそ、大慈大悲の仏様なのであります。

 ゆえに開目抄には涅槃経を引いて

 「慈無くして詐り親しむは、是れ彼が怨なり

 「彼が為に悪を除くは、即ち是れ彼が親なり

 とお示し下されている。

顕正新聞令和4年9月25日号

 いかがでしょうか。この大聖人様の身命も惜しみ給わぬ大慈大悲の御心を拝しては、思わず涙が出てきます。

 その後、「立正安国論」の御予言のとおり、大蒙古国から「属国にならなければ武力を用いて侵略する」との国書が到来。これをご覧になった大聖人様は、諸宗の代表と「公場対決」をして一挙に仏法の邪正を決して国を救わんと、為政者と諸宗の代表 計11か所に公場対決申入れの書状を送付されました。これが「十一通申状」です。

 しかし邪法を説いて国中を誑かし、名利だけを求めていた良観房などの悪僧たちに、日蓮大聖人との法論対決などできるわけがありません。追い詰められた彼らは、国家権力者に讒言・讒奏し、大聖人の御頸を刎ねてほしいと訴えました。

 この讒言を受け入れたのが、当時幕府内で警察権・軍事権を掌握していた最高権力者・平左衛門でした。ここに文永8年9月12日、ついに竜の口の大法難が起きたのです。

 ここから先は、ぜひ浅井先生のご指導を直に拝してほしいので、顕正新聞令和4年9月25日号からそのまま引用させて頂きます。

平左衛門 草庵を襲う

 文永八年九月十二日の夕暮れどき、平左衛門は数百人の武装兵士を率いて松葉ヶ谷の庵室を襲った。

 庵室になだれ込んだ兵士たちの狼藉は目に余るものがあった。

 平左衛門の一の郎従といわれた少輔房――この男は曽て大聖人の弟子であったが退転・叛逆して平左衛門の手下になっていた。

 この少輔房が真っ先かけて大聖人のもとに走り寄り、大聖人が懐の中に入れておられた法華経第五の巻を抜き取るや、あろうことか、大聖人様の御面を三たび打ち奉り、さらに経巻を室内に撒き散らした。

 これを見て、兵士どもも一斉に経巻を撒き散らし、足で踏みにじり、あるいは肩にかけて身にまとうなどした。この狼藉、恐らく平左衛門の前もっての指図と思われる。

「第二の国諫」

 この狂態をじっとごらんになっておられた大聖人様は、突如、大高声で叫ばれた。

 「あらおもしろや。平左衛門尉がものに狂うを見よ。とのばら、但今ぞ日本国の柱を倒す」(下種本仏成道御書)と。

 さらにつよづよと仰せられた。

 「日蓮は日本国の棟梁なり。予を失うは日本国の柱橦を倒すなり。只今に自界叛逆難とてどしうちして、他国侵逼難とて此の国の人々他国に打ち殺さるのみならず、多くいけどりにせらるべし」(撰時抄)と。

 この仰せこそ、立正安国論に続く「第二の国諫」であられた。時の最高権力者・平左衛門に申し下された第二の国諫であります。

 この師子吼・大叱咤は、平左衛門の心胆を寒からしめた。彼は顔面蒼白となって、恐怖のあまり棒のごとくその場に立ちすくんだ。

 これを見て、兵士たちが動揺した。「臆すべきは大聖人なのに、逮捕に来た大将の平左衛門が怯えているとは、いったいこれはどうしたことか」と。

 そのような中で、平左衛門はようやく大聖人を連行し、いったん、近くの武蔵守・北条宣時の邸に預けた。

 そしてその日の深夜、大聖人様は数百人の兵士が警護する中、宣時の邸をあとにされた。

 行先は申すまでもない、竜の口の刑場であった。平左衛門は裁判にもかけず、その日のうちに大聖人様の御頸を刎ねる魂胆だったのです。

八幡大菩薩を叱責

 死を前にして、大聖人様は泰然として馬上の人となられた。

 途中、鎌倉八幡宮にさしかかったときに、大聖人様は馬を止められた。

 「何ごと……」と驚きさわぐ兵士を制して、大聖人様は

 「各々さわがせ給うな。別の事はなし。八幡大菩薩に最後に申すべき事あり」と仰せられ、馬から下りて凛々たる御声で

 「八幡大菩薩はまことの神か

 と叱責された。さらに次のごとき旨を仰せられた。

 「法華経の会座において無量の諸天善神が集まったとき、釈迦仏は諸天善神に対して『末法の法華経の行者を必ず守護するとの誓状を立てよ』と求められた。このときすべての諸天善神は『守護し奉る』と誓約したではないか。しかるに、なぜ今その誓約を果たさないのか」と。

 そして最後に

 「日蓮 今夜頸切られて霊山浄土へまいりてあらん時は、まづ天照太神・正八幡こそ起請(誓約)を用いぬ神にて候いけれと、さしきりて教主釈尊に申し上げ候わんずるぞ。いたしとおぼさば、いそぎいそぎ御計いあるべし

 と言い切られ、再び馬にお乗りになられた。

 この御諫暁は、八幡大菩薩に対してのごとくであるが、実には宇宙法界のすべての諸天善神、すなわち梵天・帝釈・日月・四天、天照太神・八幡大菩薩等に対して「仏法守護の責務を果すべし」と申し付けられたもの。まさしく御本仏の厳たる御命令・仏勅であります。

四条金吾を召し出さる

 由比ヶ浜に出たところで、大聖人様はこの近くに住む四条金吾殿のもとに、熊王と申す少年を遣わされ、四条殿を召し出だされた。

 急を聞いて驚愕した四条殿は、裸足のまま駆けつけ、馬の轡に取りすがったまま竜の口まで御供申し上げた。

 この四条殿に対し、大聖人様は馬上から諄々と仰せられた。

 「今夜、頸切られへまかるなり。この数年が間、願いつる事これなり。

此の娑婆世界にして雉となりし時は鷹につかまれ、ねずみとなりし時はねこにくらわれき。或いは妻に子に敵に身を失いし事、大地微塵より多し。法華経の御ためには一度も失うことなし。

されば日蓮貧道の身と生れて父母の孝養心にたらず、国の恩を報ずべき力なし。今度頸を法華経に奉りて、其の功徳を父母に回向せん。其のあまりは弟子檀那等にはぶくべしと申せし事これなり」と。

 -今夜、これより頸を切られに参る。この数年が間、願っていた事はこれである。

 この娑婆世界において、あるいは雉と生まれたときは鷹につかまれ、鼠と生まれたときは猫に食われ、あるいは人と生まれても妻や子のため、また敵に命を失うことはあっても、法華経のために命を捨てたことは一度もない。

 されば日蓮は貧しき出家の身として、父母への孝養心に足らず……、国の恩を報ずる力もない。しかしこんど頸を法華経に奉って、その功徳をまず……父母に回向せん。さらにその余りは弟子檀那等に分け与えるであろう――と。

 理不尽きわまる死刑、その頸の座を前にして、何という澄み切った崇高なる御心であられるか。

 四条殿は滂沱たる涙の中にこの仰せを聞き奉った。

 大聖人様が門下の中でこの四条金吾殿を召し出だされたのは、まさしく御本仏の成道を、全人類を代表して四条殿に立ち会わせ、その大現証を見せしめ給う御心と拝し奉る。

 このとき四条金吾殿はすでに決意していたのです。

 「もし大聖人様の御頸刎ねられ奉ったときは、その場を去らずに、追い腹かき切って御供申し上げる」と。

頸の座における大現証

 ついに御一行は竜の口に到達した。いよいよ頸の座を眼前にして四条殿は

 「只今なり」と言って泣き伏した。

 これをごらんになった大聖人様は

 「不覚のとのばらかな、これほどの悦びをば笑へかし」と仰せられた。

 やがて大聖人様は、泰然として頸の座にお坐りあそばされた。

 その傍に、太刀取りの越智三郎が立つ。そして太刀まさに降り下ろされんとしたその刹那、想像を絶することが起きた。

 その情景は、大聖人様が御聖筆を以て次のごとく記し留められている。末法万年のために、なんと重大なる御文か――。拝読いたします。

 「江の島のかたより、月のごとく光りたる物鞠のやうにて、辰巳のかたより戌亥のかたへ光りわたる。

十二日の夜のあけぐれ、人の面もみへざりしが、物のひかり月夜のやうにて人々の面もみな見ゆ。

太刀取り目くらみ倒れ臥し、兵共おぢ怖れ興さめて一町計りはせのき、或いは馬よりをりてかしこまり、或いは馬の上にてうずくまれるもあり」(下種本仏成道御書)と。

太刀取り・兵士らもことごとくひれ伏す

 いいですか。

 突如として暗闇の中から、巨大な「月のごとく光りたる物」が出現したのです。

 その光りがいかに強烈であったか。さしも練達強剛の太刀取りの越智三郎も、眼くらんでその場に倒れ伏してしまった。警護の兵士たちも恐怖のあまり一町ばかり(約百メートル)ほども逃げ出し、みな砂浜にひれ伏してしまった。馬上の武士たちもあるいは馬から下りて畏まり、あるいは馬の上でうずくまってしまった。

 もう頸を切るどころではない――。

 頸の座にましますは大聖人ただ御一人。大聖人様は厳然と叫び給うた。

 「いかにとのばら、かかる大禍ある召人には遠のくぞ。近く打ちよれや、打ちよれや」と。

 だが一人として近寄る者はない。

 大聖人様は再び大高声で叫ばれた。

 「頸切るべくわ急ぎ切るべし、夜明けなば見苦しかりなん」と。

 -頸を切るならば早く切るべし。夜が明けたら見苦しいであろう――と。

 しかし返事をする者とてない。

 響くは凛々たる大聖人の御声のみ。目に映るは月の光に照らされて輝く大聖人様の御尊容のみ。

 みなことごとく腰を抜かし、へたり込んでしまったのです。

 まさに国家権力が、ただ一人の大聖人様の御頸を、切らんとして切れず、その絶大威徳の前にひれ伏してしまったのです。

 このような、思議を絶する荘厳・崇高・威厳に満ちた光景が、この地球上・全人類史上のどこにあったか。

「久遠元初の自受用身」と成り給う

 この大現証こそまさしく、日蓮大聖人が立宗以来の不惜身命の御修行ここに成就して、ついに久遠元初の自受用身と成り給い、末法下種の本仏と顕われ給うた御尊容であられる

 このことを開目抄に

 「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ。此れは魂魄佐土の国にいたりて、返る年の二月、雪中にしるして有縁の弟子へをくれば、をそろしくてをそろしからず。みん人いかにをぢぬらむ

 と仰せ給うたのであります。

 この御文について、日寛上人は次のごとく御指南下されている。

 「是れ第一の秘事なりと雖も、略して之を示さん。汝伏して之を信ずべし。

 当に知るべし、此の文の元意は、蓮祖大聖、名字凡夫の御身の当体、全く是れ久遠元初の自受用身と成り給い、内証真身の成道を唱え、末法下種の本仏と顕われ給う明文なり」と。

 なんと尊い成道のお姿であられるか。ただひれ伏して合掌し奉るのみであります。

戒壇の大御本尊こそ大慈大悲の結晶

 ただし我ら凡夫には、大聖人様が竜の口で証得あそばされた生命の極理はとうてい識るべくもない。

 それでは成仏が叶わない。

 ここに大聖人様は大慈悲を起こされ、「久遠元初の自受用身 即 一念三千」の相貌を大御本尊に図顕され、全人類に授与し給うた。この大御本尊こそ弘安二年の「本門戒壇の大御本尊」であられる。

 ゆえに観心本尊抄の結文(結びの文)には次のごとく仰せられている。

 「一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」と。

 いま私たちは、難しいことは何もわからなくてもいい。ただ一筋に、日蓮大聖人の御当体たる戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉れば、大御本尊の偉大な仏力・法力により、必ず一生のうちに成仏を遂げさせて頂ける。なんと有難いことでありましょうか。

 まさに戒壇の大御本尊こそ、大聖人様の大慈悲の結晶にして、出世の御本懐であられる。

 この大御本尊を、広宣流布のとき、「勅宣・御教書」すなわち「国家意志の表明」を以て建立される国立戒壇に安置し奉れば、日本はそのとき金剛不壊の仏国となる。ゆえに国立戒壇の建立こそ、大聖人様の唯一の御遺命なのであります。

 このことは三大秘法抄・一期弘法抄に赫々明々、太陽のごとく明らかであります。

御遺命破壊の大悪おこる

 しかるに、いま広宣流布の前夜にいたって、第六天の魔王その身に入る池田大作は、国立戒壇を否定したうえ、俄に建てた正本堂を「御遺命の戒壇」と偽った。

 宗門の二代にわたる「時の貫首」は池田大作の権力・財力にへつらって、このたばかりに全面協力した。

 だが、大聖人様はこの大それた御遺命破壊を断じて許し給わず。ゆえに顕正会をしてこれを諫暁せしめ、ついに正本堂を崩壊せしめ給うたのであります。

破邪の次には立正

 いいですか。

 破邪の次には必ず立正がある。偽戒壇・正本堂が崩壊したのちには、いよいよ御遺命の事の戒壇が富士山天生原に、大聖人様の絶大威徳により必ず建立されるのであります。

 この重大御化導をお手伝い申し上げるのは、御遺命を守り奉ったゆえに理不尽なる解散処分を受けるとも一筋の忠誠を貫き、その死身弘法ついに今、三百万の仏弟子の大集団に成らんとしている顕正会以外には、断じてあるべくもない。

目に灼きつく大現証で広宣流布

 そして、本日 拝し奉った竜の口の大現証こそ、全人類をお救い下さる仏様は日蓮大聖人ただ御一人であられることを、理論ではなく、目に灼きつく強烈なる現証を以て、人類に見せしめ給うたものであります。

 ゆえに法蓮抄には

 「近き現証を引いて、遠き信を取るべし」と。

 さらに

 「現在に眼前の証拠あらんずる人、此の経を説かん時は、信ずる人もありやせん」と。

 凡夫には、大聖人様の甚深・崇高の御境界はとうてい想像もつかない。だが、国家権力も切って切れず、ひれ伏してしまった、この眼前の大現証を拝すれば、みな理屈ぬきに命で仏様を感じ、手を合わせるようになるのです。

手を合わせた兵士たち

 竜の口で警護に当っていた兵士たちを見てごらんなさい。彼らは一夜明けて帰るとき、一同こぞって大聖人の御前に進み出で、頭をうなだれ手を合わせ、こう申し上げたではないか。

 「いったい貴方さまは、いかなる御方でございますか。これまで、我らが信ずる阿弥陀仏を謗っていると聞いていたので貴方さまを憎んでおりましたが、昨夜来、目のあたりに拝したことを見れば、あまりの尊とさに、もう念仏は一切捨てます」

 と言って、念仏の数珠を切ったという。

 彼らは昨夜まで大聖人様に殺意さえ懐いていたのです。だがその殺意が一瞬にして帰依に変わってしまった。これまさに理屈抜きです。大現証を拝見して、みな命で仏様を感じたのです。

広宣流布は一時に成る

 やがて広宣流布の時には、全日本人が必ずこうなる。

 すでに広布前夜の「大疫病」と「大飢渇」と「どしうち」と「他国より責めらるゝ」の「総罰」は、いま眼前に現われつつある。

 今こそ全顕正会員は、誰人も否定できない竜の口のこの大現証を全日本人に教え、開目させなければいけない。

 さあ、本日より、決意も新たに広宣流布の大きなうねりを起こし、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。

御本仏の御境界を正しく拝せる有難さ

 いかがだったでしょうか。御本仏日蓮大聖人の大慈大悲と国家権力をもひれ伏させめ給う絶大威徳を如実に拝し、ただただ感激でいっぱいです。

 よく創価学会や法華講(日蓮正宗)から正義にめざめて顕正会に入会した方が、「竜の口の大現証」を知って驚いている姿を見聞きします。「学会・宗門では、竜の口の大現証や、その深い意義について、まったく教えられたことがなかった・・・」と。

 それもそのはず。彼らは信心なきゆえに、第六天の魔王に誑かされ、大聖人一期の御遺命に背き奉った師敵対の逆徒です。このような魔の眷属に、どうして大聖人様の尊い御成道のお姿を、信心を以て如実に拝することができるでしょうか。

 まさに御遺命をただ一人守り抜かれた大忠誠の浅井先生だけが、このように大聖人様の御境界・絶大威徳を如実に拝し、教えて下さっているのです。いま浅井先生から大聖人様の御境界を正しく教えて頂ける私たち顕正会員の立場は、なんと有難いことでしょうか。

 私も「竜の口の大現証」を一人でも多くの人々に教え、広宣流布のお手伝いに励んでいきたいと思います!