浅井先生の成仏の妙相を誹謗する宗門僧俗のデマが粉砕されました

「早瀬日如管長糾弾」特集号が出来しました

 冨士大石寺顕正会の6月度総幹部会を特集した顕正新聞7月5日号が出来しました。その名も「早瀬日如管長糾弾」特集号

 このたび浅井会長は、顕正会の諫訴に追い詰められた早瀬管長が、あろうことか浅井先生の成仏の妙相を否定せんと事実無根のデマを宗門僧俗を使って吹聴していることを教えて下さいましたが、そのあまりに幼稚で悪質な内容には驚きを禁じ得ませんでした。

 今回の特集号は極めて大事な内容なので、2回にわけて書きたいと思います。

浅井先生の臨終の相を冒涜する悪質デマを劈く!

 浅井会長は本年1月の総幹部会以降、日蓮正宗の早瀬日如管長に対し、2つの大事を求めて直諫を続けてこられました。

 1つに、細井日達と阿部日顕の御遺命破壊と早瀬管長自身の与同の大罪を大聖人様に心からお詫びし、「日蓮大聖人の唯一の御遺命は国立戒壇である」と正義を宣示すること

 2つに、いつ起きてもおかしくない南海トラフ巨大地震に連動する可能性が高い「マグニチュード9台」とも言われる富士川河口断層帯巨大地震の切迫に鑑み、急ぎ三次元免震システムの新御宝蔵を建設し、近き広宣流布の暁まで戒壇の大御本尊を秘蔵厳護し奉ること

 この2つの大事を、会長は、浅井先生の「血を吐く思い」を体して強く求められました。

 ところが早瀬日如管長は未だに無視を続け、宗門僧俗もまともに対応できず、逃げ続ける醜態を晒しています。

 そこに今般、早瀬管長は言うに事欠いて、顕正会の諫訴から目を逸らすために、あろうことか浅井先生の臨終の相について許しがたい荒唐無稽な謗言を宗門僧俗に吹聴させるに至ったのです。

 会長は、「もとより、このような下らぬ謀りは捨て置いてもよいところ、ことは先生の御臨終に関することであれば、先生のお徳に傷がつくことを恐れ、後世のためにもそれを劈いておく」として痛烈に破折されました。

〝法華講員が会長や親族と共に最期のご拝顔をした〟とのデマ

 まず1つ目は、〝先生の告別式の日、葬祭場の火葬炉の前で、会長を含めた数名の親族が浅井先生に最期のお別れをした際、ある法華講員がその場に同席を許され、そこで先生のお顔を30センチくらいの至近距離で15秒ほど見た〟というものです。

 その者のいわくには、〝先生の相は一見穏やかそうに見えたものの、目はしっかりと閉じ、口はキツく横一文字に結ばれ、顔には死化粧が厚く施されていた〟と。

 また〝先生のお顔と喉元が明らかに違う色と質感で、その境目が確認でき、お顔の表面は不自然に白く、粉っぽく見えた〟などと、まことしやかに謀っているそうです。

 しかも、その者が実際に最期のお別れに同席したと信じ込ませるために、火葬炉の前で親族が柩を囲んでいるような加工・編集された写真を用意する小細工まで弄しているというのです。いやはや、悪質ですね。

 この悪質なデマを、浅井会長は次のように一刀両断されました。

 「私をはじめとする数名の親族と横田理事が見守る中、仮に得体の知れない部外者が先生の御柩の至近にいたとしたら、ただちにつまみ出されるに違いなく、そもそもそのような部外者を同席させるわけがない。また誰ひとりとしてそういった輩を見ていない」と。

 こんな当たり前のことが、どうして宗門僧俗にはわからないのでしょうか。会長や数名のご親族が、その場にノコノコやってきたという見ず知らずの法華講員を同席させ、最後のご拝顔をさせるわけがありません。

 騙す側が論外なのはもちろんですが、こんな幼稚園児でもわかるウソに騙される法華講員がいるとしたら、よほどのおバカさんか、御遺命違背の罰で悩乱しているとしか思えません。

 また会長は、「このようなウソを喧伝することは、親族の許可なしに火葬場の奥深くまで不法侵入して盗撮するという、反社会的行為に及んだことを自認するに等しく、それこそ宗門僧俗の異常性・非常識さを天下に晒す自殺行為になることすらわからないらしい。その歪んだ精神構造は理解に苦しむところである」と鋭く指摘されましたが、深く頷くばかりです。

〝葬儀社が「死化粧をした」と回答した〟とのデマ

 もう1つのデマは、その法華講員が告別式の翌日、先生の葬儀を担当した葬儀社に電話をかけ、先生に死化粧がされていた事実を確認した、というものです。

 その者のいわくには、〝葬儀社が「弊社の納棺師が死化粧をしました」と回答した。やりとりの録音データもある〟と。

 このデマを浅井会長は、実際に葬儀に携わった責任者と担当者の証言をもとに、完膚なきまでに粉砕されました。

 そもそも一般論として、人の死を扱う葬儀社の社員には厳格な守秘義務が課せられており、どこの誰かもわからない第三者からの問い合わせに対し、遺族の許可もなく故人に関する情報を開示・漏洩したり、ましてや事実と異なる虚偽を回答することなど、あるべきはずがないこと。

 そのため、仮にその法華講員と葬儀社の電話のやりとりなるものの録音データがあったとしても、それは死化粧等についての一般的な問い合わせをして得られた回答を切り貼りしたものと思われること。

 実際、横田高明理事が葬儀社に問い合わせをして、先生の御葬儀に携わった責任者と担当者の2人に宗門僧俗が吹聴しているデマを伝えて別々に確認したところ、いずれもその内容を全否定したのでした。

 まず担当者に「弊社の納棺師が死化粧をしました」と葬儀社が回答したというデマが吹聴されていることを伝えると、その担当者は間髪入れずにこう回答しました。

そんなことはあり得ないです」「(ご遺体の状態など)言わないです

私の記憶が確かであれば、御会の(浅井)会長のご納棺に関しましては、特にそういった死化粧とかは行わずに、お近いご家族の方にお集まり頂いた中で、丁重に御棺にお納めを差し上げるという形で、会長のご自宅のほうでご納棺を差し上げたと記憶している」と。

 そして宗門僧俗が垂れ流すデマについて「あり得ない」「ウソっぱちですね」と断言しました。

 また、葬儀の責任者はこのように回答しました。

『一般的にはどうなんですか?』という話になれば、『故人様に死化粧等をさせて頂いて納棺します』とか、もしかしたらそういった会話はするかもしれませんけれども、たとえば『いついつ行われた誰々様の御葬儀で納棺をした人にお話を伺いたいんですけれども』とか、ぜんぜん家族でもないんだけれども、『どういったお化粧をしていますか?』ということには、さすがにお答えできないというか、お答えする筋合いもないですから、そういったことは間違いなくお話しはしない」と。

 さらに、「ご納棺に立ち会いさせて頂いたのは(弊社の)三名のスタッフでお手伝いさせて頂いたんですけれども、三人で御棺を(会長のご自宅へ)お持ちして、家族の方にお手伝い頂いた中で、当社のほうは御棺にお納めするのを、その場でお手伝いしただけだったので。実際にお化粧をした事実というのは間違いなくない」と。

 そして横田理事から浅井先生の葬儀に関する記憶を尋ねられると、「憶えてます。(顕正会の)会長様の御葬儀ですから、なかなか当社としてお手伝いさせて頂くことは滅多にないことですから。その中でどういった葬儀をやったかというのは、やはり記憶としては鮮明に残っていまして

特に顕正会様の御葬儀というのは他の御葬儀とお教えも違うところがいろいろとありますので、そういった中で、お化粧直しがどうこうとか、そういったことがもちろん必要ないことはわかっていますから」と、鮮明な記憶に基づきハッキリと述べたのでした。

 さらに極めつきは、この葬儀社では、外部からの電話はすべて葬儀ごとに紐づけされて記録されるシステムになっており、葬儀社のほうで、その法華講員が電話をかけたという日時をはじめ、本年4月に至る1年半の間に、浅井先生の御葬儀に関する問い合わせの有無を調査した結果、顕正会関係者以外の記録は一切なかったことを教えてくれたのでした。

 いかがでしょうか。葬儀に携わった担当者と責任者が異口同音に、浅井先生に死化粧など一切しなかったことを明言するとともに、葬儀社の調査によって、その法華講員が葬儀社に電話をかけた記録が一切ないことが明らかとなったのです。

 何より、喪主として葬儀の打ち合わせを行った会長ご自身が、先生が御逝去された翌日、先ほどの葬儀社の2人と話をする中で、死化粧などは一切施さず、ただ納棺だけをしてくれればよいことを明確に伝えており、このようなときのために、その動かぬ証拠もいくつか残しておられるそうです。

先生への冒涜は断じて許さじ!

 浅井会長は、このような見え透いたウソを宗門僧俗に吹聴させる早瀬管長を、このように叱責されました。

早瀬管長は、宗門僧俗に浅井先生の御臨終を貶める荒唐無稽な虚偽を流布させて、仏弟子という以前に、人として恥ずかしくないのか。

 私が求めた二つの大事についての諫訴がいたたまれないからとはいえ、あろうことか大聖人様に忠誠を貫き通された先生の素晴らしい成仏の妙相を冒涜する所行は、断じて許さない

 「先生の臨終の相に対する妄言は、まさに提婆・倶伽利のそれを彷彿とさせる謀りである。どこまで卑怯で卑劣なのか。恥を知れ」と。

浅井先生の美事なる成仏の妙相

 そのうえで会長は、浅井先生の御金言に寸分違わぬ素晴らしい成仏の妙相を、改めて教えて下さいました。

先生のご表情は柔和そのもので、御葬儀までの数日間、折にふれて唱題回向を重ねるたびに、お肌の色はますます白さを増し、唇は深紅となり、私はその素晴らしい妙相を眼前にするたびに感嘆の溜息が漏れるのを抑えられなかった。

 そして納棺の際には、身体がしなやかに曲がるほど柔らかく、しかも軽く、そのお姿と私の手に残る感触は、今でも忘れるものではない

 先生との今生のお別れは言葉にできぬほど悲しいものであったが、先生の成仏の妙相を拝見した瞬間、底知れぬ哀惜の念は『御本尊様は絶対』『先生が指さされるまま前進すれば広宣流布は必ず成る』との揺るぎない大確信に変わったことをハッキリと憶えている」と。

 会長が眼前にされた浅井先生の素晴らしい妙相が目に浮かぶようで、何ともいえない有難さに包まれました。

 また、先生の素晴らしい成仏の妙相は、告別式の当日に700名以上の幹部が手が届くほどの距離でご拝顔させて頂いており、その様子は顕正新聞や特別追悼号にはっきりと留められています。

先生の妙相が輝きを増す

 浅井会長は、宗門僧俗のデマをこのように総括されました。

第六天の魔王にしてみれば、かかる先生の素晴らしき成仏の妙相が『特別追悼号』で広く日本の人々に伝わり、日蓮大聖人の仏法の有難さ、顕正会の正しさにめざめる人たちが跡を絶たないことが、憎くて仕方なく、妬ましくて仕方なく、悔しくて仕方ないに違いない。

 そして先生の成仏の妙相は、六十六年に及ぶ先生の激闘の正しさを証明する何よりの現証であれば、ウソでも何でもでっち上げて、それを否定しなければならないのだろう。

 しかし、今般の悪辣な謀略によって、かえって先生の御臨終の素晴らしさが葬儀社という第三者の証言によっても証明され、いっそうの輝きを増したことは『魔及び魔民有りと雖も、皆仏法を護らん』の姿そのものである」と。

 いかがでしょうか。このたびの宗門僧俗の悪質なデマによって、かえって先生の成仏の妙相が光り輝くさまには大感動がこみ上げます。

 同時に、国立戒壇の正義をただ一人守り抜かれた浅井先生が素晴らしい成仏の妙相であられたことが確定した以上、御遺命に背く学会・宗門では入阿鼻獄必定であることが、現証の上でも明らかとなったのです。

 学会・宗門は御遺命違背の大罪を速やかに改悔し、国立戒壇の正義に立ち還らなければなりません。