法華講員のトリセツ ~SNSでからんでくる法華講員への上手な対処法~

ストーカー化する法華講員たち

 顕正会に新たな教学部ができてから、宗門の末寺住職が法論から逃げてしまう登壇発表が相次いでいます。やっぱり、御遺命違背の大罪を追及されると、逃げるしかないんですね。

 ところで最近、SNSを中心に、法華講員とおぼしき人たちが盛んに顕正会の悪口中傷を書いているようです。しかも、よく見ると、顕正会員と思われる人たちのアカウントにまで執拗にちょっかいを出しています。まるで「ストーカー」みたいですね(笑)

 そこで今回は、SNSなどでからんでくる法華講員への上手な対処法、いわゆる「トリセツ」について書いてみたいと思います。

放っておけばいいのでは?

 まず結論から書きます。

 放っておいていいんじゃないですか(笑)

 と私は思います。だって、こんな雑魚たちの相手をいちいちするのって面倒くさいじゃないですか。しかも、なんのメリットもないし。

 そんなことに時間を使うくらいなら、もっと他にやるべきこと、やりたいことがいくらでもあるはずです。要するに、時間の無駄ということです。

ネット戦士を気取る法華講員たちの素顔

 ところで、ネット戦士を気取る法華講員らは、いったいどんな人たちなのでしょうか。その素顔について考えてみました。まあ、ざっくり分析すると、だいたいこんな感じかなと思います。

① 誰かにかまってほしい「かまってちゃん」タイプ

② テンションがおかしい「躁うつ」タイプ

③ とにかく言った者勝ちの「無責任」タイプ

 順番に見ていきましょう。

 まず「かまってちゃん」タイプ

 法華講員らは、とにかく顕正会員にかまってほしくて仕方がありません。ですから、まじめな顕正会員が応答してあげると、内心、とても喜びます。「キタ━━━(゚∀゚)━━━!!」とハイテンションになって、さらに難クセをつけてきます。もう面倒くさいことこの上ありませんね(笑)

 ですから、このタイプは放っておくのが一番です。

 そうすると、おそらく「ほら!顕正会員はそうやって逃げるんだ!」などと一所懸命に挑発してくると思いますが、これもかまってほしくてたまらないからです。しばらく無視し続ければ、そのうち落ち着いて大人しくなるでしょう。まあ、ストーカーと同じです。

 次に「躁うつ」タイプ

 法華講員の投稿を見ていると、本当に「ちょっと、この人、大丈夫ですか??」と心配になるほど、異常にハイテンションな人がいます。「さすがにあのテンションを日常生活で維持し続けるのはキツイのでは・・・」と要らぬ心配をしてしまうほどです(笑)たぶん、「躁うつ」か何かじゃないかなと思います。

【参考】子ども情報ステーション<双極性障害[そうきょくせいしょうがい](そううつ病)>

 彼ら、彼女らをむやみに興奮させて症状を悪化させないためにも、放っておいてあげるのが一番でしょう(笑)

 最後に「無責任」タイプ

 法華講員の投稿の中には、「顕正会は○○だ!」と平気でデマを流しているものがあります。これは、宗門で責任ある立場にない者が、匿名で書いているからです。ですから、たとえ彼ら、彼女らを糾弾したとしても、最後は「私は一信徒にすぎませんからわかりません」などと責任逃れをして終わりです。何より、宗門は何の痛痒も感じません。要するに、彼らは「無責任」なのです。

 そうすると、そんな法華講員らにどう対処したらよいか、もうおわかりですよね?(笑)

 むしろ、宗門の御遺命違背を責め、国立戒壇の正義に立ち還らせるためには、責任ある立場の住職などを破折していくのが良いと思います。もし住職が、「やっぱり私は、国立戒壇が、顕正会が、正しいと思います」と正義に目覚めれば、その下にいる法華講員たちもコロッと正義に目覚めることでしょう(笑)

中二病チックな名前で異常な投稿を続ける中高年たち

 こう書くと、「でも、SNSで顕正会や浅井先生の悪口を拡散しているし、つい、ちゃんと破折しないとって思っちゃうんですよね・・・」と思われる、まじめな顕正会員の方もいるかもしれません。

 しかし、実はそれこそが法華講員たちの狙いなのです。まじめな顕正会員を挑発してネット上での議論に引き込んだ上で、様々な邪義・デマを複数名で寄ってたかってすり込むことで、だんだんと組織から離脱させて法華講に引き抜こうとしているのです。

 また、法華講員たちの投稿も、大した影響力はありません。別に世間の人たちは注目していませんし、仮に誰かが目にしたとしても、「え、何、この気持ち悪いアカウント?ちょっと怖いんだけど・・・」と感じるだけでしょう(笑)

 それにしても、いい年したおじさん、おばさんが、中二病チックなユーザー名を使って、パソコンや携帯にかじりついて異常なテンションでSNSに投稿している姿を想像するだけでゾッとしませんか?

 「その時間と労力を、自分の友人や会社の同僚たちの折伏にあてれば良いのでは?」と本当に思うのですが、まあ、勇気と確信がないからできないのでしょう(笑)それで、ネットの世界に浸って、折伏を「やってるつもり」になっているのです。

 要するに、寂しい人たちなんですよ・・・。

 まさに宗門に誑かされて顕正会を離脱していた平澤崇班長が、「私自身、法華講に在籍した八年間は、ただ顕正会を離脱した自身を正当化するため、顕正会の「揚げ足取り」のためだけに学んでいたことを痛感し、それは自身の成仏も、広宣流布も全く関係のないものであったことが胸に迫っては、改めて先生のもとで、大聖人様の大恩徳、そして一生成仏と広宣流布に繋がる教学を学ばせて頂ける有難さを、噛み締めるばかりであります」(顕正新聞・平成31年2月15日号)と登壇していたとおりなのでしょう。

 結局、唯一、御遺命実現に戦う顕正会の前進についていけなくなった人たちが、自分の「愚癡」や「弱さ」を正当化してくれる御遺命違背の宗門に居場所を見出し、生活のために出家した職業僧侶が吹き込む姑息な詭弁に騙されて、そのお先棒を担がされているのが実態といったところです。

 そのような人たちは、「始めは事なきやうにて、終にほろびざるは候はず」(出世本懐成就御書)の御金言どおり、生活上に様々な罰を感じて行き詰り、そのうち自然と消えていきますから、少しも心配ありません。

 一方、もし広告文配布や折伏の席などでまじめな法華講員の方に出会ったら、その時こそ、宗門の御遺命違背と浅井先生の激闘を教え、救ってあげれば良いと思います。