【決定版】妙観講・大草一男の謗法与同に顕正新聞がトドメを刺しました!

顕正新聞にトドメを刺された大草一男

 顕正新聞令和3年10月25日の「世相閻魔帳」に、妙観講・大草一男の謗法与同にトドメを刺す記事が掲載されていました。

 大草一男といえば、日蓮正宗の大講頭の立場にありながら、ネパールでヒンドゥー教の像や釈迦仏像を祀って謗法に与同していた人物です。その謗法与同を顕正新聞で指摘されて居たたまれなくなったのか、どうやら「慧妙」という新聞で一生懸命にゴマカしているそうです。「素直に認めて懺悔すればいいのに・・・」と素朴に思うのですが、どうやら彼らにはそれができないようです。いやはや、なんとも残念な人たちですね(笑)

 しかも、今回の顕正新聞には、「慧妙」のタバカリを木っ端みじんに粉砕する決定的な証拠写真まで掲載されています。ここに大草一男の「謗法与同」は決定的となり、白日の下に晒されることになったのです。

 それではさっそく見ていきましょう!

ガネーシャ教の像を祀る謗法与同:「こんなものが置かれていたとは知らなかった」?

 まず、大草一男がネパールで開催された宗門・妙観講の行事で、自身の目の前にヒンドゥー教の本尊である「ガネーシャ」を祀っていた謗法与同を見てみましょう。当日は、こんな様子でした。

 これ、誰がどう見てもヒンズー教の「ガネーシャ像」に気付きますよね?

 ところが「慧妙」は、なんと次のように書いているそうです。

〝こんなものが置かれていたとは知らなかった〟という不可抗力の出来事

顕正会が騒ぐまで気がつかなかった、という次第である。ただそれだけのこと

「(※大草は)その場に招かれて着席しただけだから、その前のほうに、向こう向きにおいてある物など、裏側から見て何なのかわかろうはずもない。この写真が出て初めて、こんなものが置いてあったのかとわかった

大草講頭らは、事前に会場の状態などチェックしていない。それ故、そこにそんな物があったということに気付いていなかったのだ

 いかがでしょうか。大草一党は、大草の目の前に祀られていた「ガネーシャ像」について、「知らなかった」「気がつかなかった」「わからなかった」と言ってゴマカしているのです。これ、どう考えてもムリがありますよね?

 「世相閻魔帳」は、次のように糾弾しています。

 実際は掲載写真(写真①)から明らかなとおり、ガネーシャ像は大草の真正面に祀られ、像本体の位置(高さ)は大草の目線の少し下、しかもガネーシャ像は大草側(裏側)から見ても像の背面等を明確に認識できる(写真②)。

 つまり、大草の席に座れば祀られたガネーシャ像が目の前にあり、嫌でも視界に入る。「席に案内されただけで知る由もなかった」というのは明らかなウソだ。部屋の構造からして、大草は入室してから着席するまでの間にガネーシャ像が視界に入っていたことだろう。

 念のため、別の角度から撮影した証拠写真も新たに掲載しておく(写真③)。大草がガネーシャ像の方向に視線を向けていることは明白。これでも「気付いていなかった」と嘯く大草の精神構造は異常だ。

顕正新聞10月25日号
写真①:ガネーシャ像は大草の真正面に祀られ、像本体の位置(高さ)は大草の目線の少し下
写真②:ガネーシャ像は大草側(裏側)から見ても像の背面等を明確に認識できる
写真③:大草がガネーシャ像の方向に視線を向けていることは明白

釈迦の絵像・仏像を祀る謗法与同:「布が掛かっていたからわからなかった」?

 次に、大草一男がネパールにある邪宗の大学で、釈迦の絵像・仏像を祀っていた謗法与同を見てみましょう。当日は、こんな様子でした。

 いやはや、なんとも気持ち悪い写真ですね・・・。一分の信心ある顕正会員にとっては見るに堪えません。

 「慧妙」は当初、「仏像」の存在を隠し通せると考えたのか、釈迦の「絵像」についてのみ、次のように書いていたそうです。

修行僧(ブッダ?)の絵が立てかけられた写真

修行僧の写真が写り込んでいることなど、大草講頭には知る由もなかった

 でも、これってちょっと苦しすぎますよね?だって釈迦の絵像は、大草一男の目の前に、しかも手が届くような近距離に置かれていたのですから・・・。

 その後、触れずにいた「釈迦の仏像」の存在を顕正新聞に指摘された「慧妙」は、次のように書いてきたそうです。

布が掛かっている仏像は裏から見たのではわからない物

 「・・・えっ、この人、いったい何を言っているの!?」と思われた、そこのあなた!・・・ご安心ください、そう思うのはきっとあなただけではないはずです(笑)

 もう一度、写真を見てみましょう。

 このように、大草一男のまさに目の前に、燭台に火が灯された釈迦の仏像が祀られていたのです。布が掛かっていようがいまいが、気づかないはずがありません。それを「布が掛かっている仏像は裏から見たのではわからない物」などと言ってゴマカしているのです。稚拙というか、なんとも残念な人たちですね。

 「世相閻魔帳」は、次のように喝破しています。

 要は〝仏像には布が掛かっていた。だから大草側から仏像の存在に気付くことはできなかった〟と言いたいらしい。

 たしかに以前掲載した写真(写真④)では仏像に布が掛かっていた。無論、それでも大草が気付かないはずがないのだが、性懲りもなく大草一党が子供じみたウソをつくので〝仏像に布が掛かっていない証拠写真〟を新たに掲載する(写真⑤)。刮目すべし。

 ギラギラと光り輝く異様な仏像は大草の真横に祀られ、燭台には火まで灯されている。この状態で大草が仏像の存在に気付かなかったというのはあり得ない話だ

顕正新聞10月25日号
絵像・仏像の存在に気付かないはずがない
写真⑤:仏像に布が掛かっていない証拠写真…ギラギラと光り輝く異様な仏像は大草の真横に祀られ、燭台には火まで灯されている

謗法与同は堕地獄の因、ウソつきはドロボウの始まり

 いかがでしょうか。顕正新聞に掲載された証拠写真を見れば、大草一男が「ガネーシャ像」や「釈迦の仏像」を祀る謗法与同を犯したこと、そして、この謗法与同について「知らなかった」「気付かなかった」「わからなかった」というゴマカシがウソであることは、誰の目にも明らかです。

 日興上人は遺誡置文に、「謗法と同座すべからず。与同罪を恐るべき事」と厳しくお誡め下されています。このような謗法与同を平然と犯し、いささかの改悔もなければ、堕地獄の因となることは必定です。

 また、世間でも〝ウソつきはドロボウの始まり〟と言います。大草一党には、仏法上の大罪を深く懺悔するとともに、世間から後ろ指を差されて物笑いの種とならないよう、正直な態度を身につけてほしいものです。