「久遠元初の自受用身」と「応仏昇進の自受用身」の差異

御入滅740年の御大会式が厳修されました

 去る10月13日、聖滅740年の御大会式が厳粛に奉修されました。

 御大会式とは、御本仏・日蓮大聖人の三世常住の御化導を深く拝し奉り、唯一の御遺命たる広宣流布・国立戒壇建立を見つめ、今一重の決意を誓い奉る大事の儀式です。

 ことに本年の御大会式では、「日蓮大聖人こそ久遠元初の自受用身であられる」との大事を浅井先生より指導頂き、大感動に全身が包まれました。

日蓮大聖人こそ久遠元初の自受用身

 浅井先生は、「日蓮大聖人を『久遠元初の自受用身』と深く拝し奉っているのは、富士大石寺だけである」として、邪宗・日蓮宗諸派が「釈尊こそ本仏で、大聖人は釈尊の弟子・上行菩薩の再誕に過ぎない」と見ていることを「大謗法」と断ぜられ、彼らが正しく拝せない総勘文抄・当体義抄・三大秘法抄等の御意をつぶさに指導下さいました。

 これら重要御書に仰せの「五百塵点劫の当初(そのかみ)」につき、「いいですか。当初(そのかみ)の二字を深く拝さなければいけない。『五百塵点劫の当初 (そのかみ) 』とは、まさしく『久遠元初』を指すのです。

 すなわち『五百塵点劫』は釈迦仏が最初に成道した『本果の第一番』を指し、『当初』の二字はそれを遡ること『復倍上数』(復上の数に倍せり)の久々遠々の久遠元初を指す。この立て分けこそが大事なのです」(顕正新聞10月25日号)と教えて頂き、目からうろこが落ちる思いとなりました。

 また、「教主釈尊」という名は同じであっても体が異なり(名同体異)、教学的には蔵・通・別・迹・本・文底の6種類の釈尊があり、それがいかなる釈尊であるかは義によって判別しなければならず、先の重要御書に仰せの「教主釈尊」とは、まさしく文底の久遠元初の教主釈尊、すなわち久遠元初の自受用身であられることを指導頂いては、大感激が込み上げました。

久遠元初の自受用身と応仏昇進の自受用身との異

 次いで浅井先生は、インド出現の釈迦仏は、始めに小乗の三蔵教を説き、次に通教を説き、別教を説き、法華経の迹門を説き、ついに本門寿量品にいたって自受用を顕わした応仏であり、このように三蔵の応仏が次第に昇進して自受用を顕わすを「応仏昇進の自受用身」といい、この姿は五百塵点劫の久遠に成道した釈尊も、3000年前にインドに出現した釈尊も、時間の今昔はあっても同じであるのに対し、根源の本仏たる「久遠元初の自受用身」はそれと全く異なることを、日寛上人の末法相応抄に基づき次のように指導下さいました。

 「日寛上人は、久遠元初の自受用身と応仏昇進の自受用身の相違について、次のごとく御指南下されている。『一には本地と垂迹。二には自行と化他。三には名字凡身と色相荘厳。四には人法体一と人法勝劣。五には下種の教主と脱益の化主』と。」(顕正新聞10月25日号)

 これら5つの相違についてつぶさに伺うほどに、不相伝家では到底拝し得ない「久遠元初の自受用身」のお姿が鮮明となり、「以上、久遠元初の自受用身と応仏昇進の自受用身との相違、すなわち日蓮大聖人と釈迦仏との違いは、まことに明らかです。まさしく日蓮大聖人こそ、久遠元初の自受用身であられ、本地・自行・名字凡身・人法体一・下種の御本仏であられること、太陽のごとく明らかであります」(顕正新聞10月25日号)と伺っては、いま御本仏・日蓮大聖人の御境界を正しく拝し奉ることが叶う自身の宿縁に歓喜雀躍する思いとなりました。

一期弘法付嘱書を拝し奉る

 最後に浅井先生は、「一期弘法付嘱書」の大事を指導下さいました。

 この御付嘱状は、日蓮大聖人が一代30年の御化導を括られてわずか88文字に要言し給い、日興上人に賜ったものであるために、御文の中に三大秘法がハッキリと含まれ、さらに二段に分かれる後段の「国主此の法を立てられるれば」以下の御文、すなわち「国主が信じ奉る広宣流布の時至れば、富士山に『本門寺の戒壇』すなわち国立戒壇を建立せよ、との御遺命」こそ、御本仏の唯一のご命令・仏勅であり、「就中、我が門弟等此の状を守るべきなり」との厳しき御誡めのごとく、これを等閑(なおざり)にする者は仏弟子ではないことを指導頂いては、この大事の御遺命を守り抜いた浅井先生率いる顕正会こそ唯一の仏弟子の大集団であり、これに背き奉った学会・宗門(日蓮正宗)が師敵対の逆徒、魔の眷属である所以を、よくよくわからせて頂きました。

大悪こそ大善の瑞相

 広布前夜の今、学会・宗門(日蓮正宗)ともに第六天の魔王に誑かされ、日蓮大聖人の唯一の正系門家から大事の御遺命が消滅したために、亡国の大難は刻々と迫り、中国の習近平は10月9日、辛亥革命110周年記念式典において、台湾統一につき「歴史的任務は必ず実現しなければならないし、必ず実現できる」と言い切り、台湾の国防部長は同月6日、台湾の国会において、中国の軍事能力につき「2025年にも本格的な台湾への侵攻が可能になる」と強い危機感を示しましたが、台湾の有事は即日本の有事であれば、いよいよ他国侵逼も遠からずと思わずにはいられません。しかし、この「大悪」こそが広宣流布という「大善」の瑞相なのです。

 浅井先生は叫ばれました。

 第一回の蒙古襲来直後に顕わし給うた「大悪大善御書」には、こう仰せ下されている。

 「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる。すでに大謗法国にあり、大正法必ずひろまるべし。各々なにをか嘆かせ給うべき。迦葉尊者にあらずとも舞いをもまいぬべし。舎利弗にあらねども立ちて踊りぬべし」と。

 大聖人様は、日本に亡国の大難が起こる時、いよいよ広宣流布をあそばすのであります。

 このとき御奉公を申し上げるのは、御遺命のゆえに解散処分を受けるとも、一筋の忠誠を貫き通した顕正会以外には、断じてあるべくもない。

 濁乱の日本国に、御本仏・日蓮大聖人に命かけて忠誠を貫く三百万の仏弟子の大集団が、まもなく出現する。

 これ大聖人様のお召し出だしであります。

 広宣流布の最終段階に御奉公できることは、顕正会は何と有難い宿縁であろうか。

顕正新聞10月25日号

 いま「日蓮大聖人こそ久遠元初の自受用身であられる」との大事を如実に拝し奉り、その常住不滅の御本仏の御意のままに、広宣流布・国立戒壇建立という御遺命成就に日々ご奉公が叶うこと、何と有難い宿縁でしょうか。

 私も広告文と特集号を手に、一人でも多くの人々に日蓮大聖人の大恩徳を教え、広宣流布のお手伝いに励んでいきたいと思います!