仏法は勝負を先とす

「仏法は勝負を先とす」特集号が出来しました

 冨士大石寺顕正会の6月度総幹部会を特集した、顕正新聞7月5日号が出来しました。その名も「仏法は勝負を先とす」特集号!

 ご講演において浅井会長は、先般拝聴した「四条金吾殿御返事」講義を引かれ、「広宣流布は、日蓮大聖人ただ御一人の偉大な仏力によって成る」こと、ゆえに「日蓮大聖人にお味方する者は必ず勝ち、敵対する者は必ず亡ぶ」ことを指導下さいました。

 本抄は、大聖人様が出世の本懐をお遂げになる前夜、良観の策謀に屈せず大聖人様に南無し奉った四条殿に対し、広宣流布への金剛のごとき大確信をお示し下された有難い御書です。その大聖人様の四条殿に対し奉る大慈大悲が、「そのまま先生のご遺志を継いで御遺命成就に戦う私たちに注がれている有難さを痛いほど感じては熱涙にむせぶ」と仰せられた、広布の重責を一身に担われる会長の御心はいかばかりか。そして「いよいよ『立正』成就への『唯願説之』の御奉公を果してまいらん」との御決意がどれほど堅固であられるかを拝察しては、私も非力を言いわけにせず御奉公に励んでいきたいと強く思います。

浅井先生の激闘に厳然たる賞罰

 ことに有難かったのは、四条抄にお示しの「日蓮大聖人にお味方する者は必ず勝ち、敵対する者は必ず亡ぶ」の大道理が、浅井先生の戦いのうえに実証されていることを、会長から教えて頂いたことでした。

 「神国日本」を作らんと画策し、神を主と崇め、御本仏日蓮大聖人を軽賤し、浅井先生の62度に及ぶ諫暁を無視した安倍晋三元首相が、令和4年7月8日に銃弾に斃れ、その野望が永遠に潰え去ったことは、まさに現代における「日蓮大聖人に敵対し、下種仏法の広宣流布を阻む者は必ず亡ぶ」の大現証。

 また、浅井先生の連々たる諫暁により偽戒壇・正本堂がわずか26年で崩壊し、この大悪事をなした池田大作・細井日達・阿部日顕が悉く「入阿鼻獄」となった末路こそ、「御本仏の厳しき賞罰を末法万年尽未来際まで刻み付けた」ものであること。

 これらの現証をつぶさにお聞きしては、まさに「仏法は生きている」ことを実感し、御遺命成就への確信がいや増すばかりです。

六巻抄で立たれた浅井先生の重きお立場

 次いで浅井会長は、日本の歴史において重大使命を果した聖徳太子・伝教大師を例として、仏法が流布する時には「前生所持」「宿縁」の御方が出現されることを示され、「御遺命守護」と「御遺命成就の露払い」をされた浅井先生の仏法上の重大なお立場を指導くださいました。

 先生は16歳のころ、立正安国論を拝読して発心され、それより日蓮大聖人の御書、日寛上人の六巻抄等の研鑽に精魂を傾注されました。

 20歳を過ぎたころ、中島円妙院日彰上人という「管長代務者」を務めた化儀の権威から六巻抄の講義を一対一でお受けになり、「その後、一人で真剣に、何度も何度もくり返し六巻抄を拝読して、大聖人様の仏法の奥義が胸に収まってきた」と。さらに明治以降の宗門のことや歴代猊下のお振舞いなど、お聞きするのも憚られることまで克明にお聞きになられたのでした。

 このお若き先生の「宿縁」としか言い様のないお姿をつぶさに教えて頂いては、すべては「その後に先生が御遺命守護ならびに一国広布の起こされる上での必然」との会長のお言葉が胸に迫りました。

 会長は「かかるお方でなくして、どうしてたったお一人で、宗門の最高権力者・池田大作と絶対権威の『時の貫首』が一体になってなしたその大誑惑を、打ち摧くことなどなし得ようか」として、戦時中の軍部のごとき学会に二度も文書で誑惑を訂正させ、宗門の最高指南たる「訓諭」をも細井日達に訂正せしめた先生の激闘を示されましたが、「大聖人様の御遺命を守護し奉るためには、身命を抛ち、その大悪を徹底粉砕された先生の、何ものをも恐れぬ師子王心と圧倒的な強さ、大聖人様の御心に寸分も違わぬ峻厳なる私心なき大忠誠心、『富士の地下水』に到達された透徹の教学力、まさに先生にしか絶対になし得ぬ戦い」に畏敬の念がこみ上げ、「かかる先生が、第六天の魔王の障碍により濁乱極まる宗門にお出になり、偽戒壇・正本堂を崩壊に至らしめたこと、すべては御本仏・日蓮大聖人の御化導の内なのだと思わずにはいられない」との仰せには大感動を禁じ得ません。

「富士の地下水」に達したら

 そこに思うことは、かかる浅井先生のご指導をほしいままに拝することが叶う私たちの宿縁の有難さです。

 かつて先生は、このように指導下さいました。

すべては御書に書かれている。その御書を拝読する鍵は〝極理・相伝〟にある。その相伝の極理は日寛上人がこの六巻抄に全部留めておられる。

 要するに六巻抄における日寛上人の智目を通して、御書を拝読して胸に収まってくれば、智恵が出てきて、それを生かして戦える。

 しかし、宗門は宝の持ち腐れで日寛上人を軽んじている。だから御遺命の本門戒壇について、わかったつもりであっても誑惑する者が出たら僧侶千人があっという間にわからなくなってしまった。

 ゆえに教学というのは、日寛上人の極理・師伝を通して御書を命に染めた時に、はじめて生きてくる

私は若い時から富士大石寺に伝わる大聖人様の極理、その御法門を『富士の地下水』に達するまで学ばなければ、本当の力ある御奉公ができるはずがないとずっと思い続けてきた。

日興上人は『御書を心肝に染め、極理を師伝し』と仰せになられた。

 いまから四百年前に出現された日寛上人が、あの偉大な智徳を以て御書の極理を師伝して今日に残して下さった。その日寛上人の御指南を広布前夜に戦うべき私たちが命で受けて立つのである。

 その『富士の地下水』に到達したならば、こんどは誰にでもわかる平易な言葉をもって、大聖人様の大恩徳、御本尊の御利益を大確信で日本国の一切大衆に教え伝えていく。これが広宣流布に戦う者の姿なのである」と。

 いかがでしょうか。「富士の地下水」に到達する透徹の教学力をお持ちの先生から、凡愚の我らではとうていたどり着けない、その澄んだ清水のごとき仏法の極理、相伝の大事を、平易な言葉であふれんばかりに教えて頂けた私たち顕正会員はなんと有難い宿縁でしょうか。先生に対し、師恩報謝の念は尽きません。

 まして会長より、〝大聖人様の大恩徳、御本尊の御利益を、誰にもわかる言葉で全日本人に伝えん〟とされた先生のお心の究極が「広告文」であり、まさに恋慕渇仰の「遥拝勤行」と「広告文」こそ広布最終段階における自行と化他の信行そのものと教えて頂いては、勇躍歓喜を抑えきれません。

顕正会の弘通 日本国を独走

 それにつけても、いま学会・宗門はもとより日本に蔓延るあらゆる邪教が衰退し消滅の危機に瀕する中、死罪に等しい解散処分や公権力の不当な弾圧をはねのけ、一国広布に向けて独走する顕正会の弘通は「不思議」の一語であり、顕正会を怨嫉する宗教学者すら「いったいなぜ」と驚嘆していることには驚きました。

 会長は、「私たちは顕正会の中にいると『折伏が遅れて申しわけない』と常に思っているが、外から見たら、顕正会の折伏の勢いは学会・宗門を遥かに凌駕し、そしてあらゆる邪教が消滅の危機に瀕する中、他を圧倒するものなのである。これ偏に御本仏の仏勅に応え奉らんとされた先生の広布の大道心によるものであり、仏様の賞罰の御力、いわゆる功徳と罰によって広宣流布がグングン進んでいる姿そのものである」と指導下さいました。

 今後、一国に「総罰」が現われ、他国侵逼が事実となるとき、全日本人が、身が亡び、国が亡びる恐ろしさの中に、大慈大悲の御本仏の偉大な存在に気づき、「助け給え、南無日蓮大聖人」と手を合わせ、「日本国一時に信ずる事あるべし」が事実となることを確信してやみません。

 私も広布最終段階の信行たる「遥拝勤行」と「広告文」で勇み立ち、御遺命成就のお手伝いに励んでいきたいと思います!