歓喜に弾んだ弘通が全国で
顕正会の会館に行くと、いつも若い人たちがたくさんいて、明るく活気に満ちています。特に日曜日は大勢の人たちが来てすごい熱気ですよね(笑)
みんなで日曜勤行に参加して、感激を語り合った後、「さあ、広宣流布だ!」といって広告文を片手に折伏や配布に飛び回ります。全国の至るところで、この歓喜に弾んだ力強い弘通がなされているのです。
平日もいろんな駅で顕正会の人たちが自発で広告文を配っていますね。私もよく配布に参加するのですが、これがまた楽しいんですよね(笑)冷たくあしらう人もいますが、素直に受け取る人や、「あ、これ見たことある!」といって耳を傾ける人も多くなってきました。
こうして顕正会の弘通は、広宣流布・国立戒壇建立に向けて、月々日々に力強く進んでいるのです。
これって、よくよく考えると、本当に不思議なことだと思うんです。ふつう世間の人たちは、自分の損得で動きますよね?でも、顕正会員は、別におカネや名誉のためにやっているわけではありません。
なぜ顕正会には、これほど熱烈な信心がみなぎっているのでしょうか?どうして顕正会は弘通が進むのでしょうか?
浅井先生のご指導を拝してみましょう。
遥拝勤行の功徳の歓喜で弘通が進む
今や学会も宗門も、折伏弘通が全くできなくなってしまった。
その中で、どうして顕正会は弘通が進むのか。
顕正会は解散処分を受けた時はわずか一万二千であったが、今や二百十三万を超えんとし、日本国を独走している。
この不思議は何によるのか。
答えはただ一つ。遥拝勤行に大功徳があるからです。
いま学会も宗門も、第六天の魔王にたぶらかされて、大聖人唯一の御遺命たる「国立戒壇」を捨ててしまった。大聖人様の御心に背いては、登山しても勤行しても、大聖人様には通じない。だから功徳がないのです。
その中で、顕正会はひとり大聖人様に忠誠を貫き、たとえ登山を妨害されても、一筋に遥拝勤行に励んでいる。ゆえに大功徳を頂くのであります。
「御遺命守護」特集号7
いかがでしょうか。顕正会はひとり大聖人に忠誠を貫き、御遺命を守り奉るゆえに、大聖人の御心に叶い、遥拝勤行で大功徳が頂けるのです。だから、みな歓喜で沸き立ち、自然と弘通が進むんですね。
遥拝勤行の有難さ
こう書くと、「ふん!何が功徳よ!顕正会は解散処分を受けて大石寺に登山できないじゃない!そんなんじゃ功徳なんて頂けるわけないわ!」という法華講員の人たちの声が聞こえてきそうです。「(ワタシだって、なかなか功徳を頂けないんだから・・・)」という心の声も・・・(笑)
でも、これは大きな間違いなんです。先ほどの浅井先生のご指導にもあるように、功徳を頂けるかどうかは、大聖人の御心に叶うか否かにかかっているのです。だから、学会や法華講では、「大聖人様の御心に背いては、登山しても勤行しても、大聖人様には通じない。だから功徳がない」という残念すぎる結果になるのです。
信心に距離は関係ありません。大聖人の御心に叶うとき、どれほど離れていても直ちに戒壇の大御本尊・日蓮大聖人に通じ、大功徳が頂けるのです。
浅井先生のご指導を拝してみましょう。
信心に距離は関係ない。どれほど離れていようと、「有難い」「お慕わしい」と恋慕渇仰して南無妙法蓮華経と唱え奉れば、直ちに日蓮大聖人・戒壇の大御本尊様に通じて、「祈りとして叶わざるは無く、罪として滅せざるは無く・・・」の大功徳が頂けるのであります。
大聖人様は佐渡に住む千日尼御前に対し、身延山中からこう仰せ下されている。
「御身は佐渡の国に御座せども、心は此の国に来たれり。乃至、御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ」と。
この仰せこそ、遥拝勤行の大精神であります。
また日寛上人は、戒壇の大御本尊を信じてしっかりと勤行に励むべきことを、観心本尊抄文段に次のごとく仰せられている。
「本尊に於ては最極無上の尊体、尊無過上の力用なり。故に行者応に須く信力・行力の観心を励むべし。乃至、一たび人身を失えば万劫にも得がたし。一生空しく過ごして永劫悔ゆること勿れ」と。
もし勤行を怠けて一生成仏が叶わずに人生を終えてしまったら、万劫を経ても再び人間として生まれることは難しい。ゆえに「一生空しく過ごして永劫悔ゆること勿れ」と仰せ下さるのです。
「御遺命守護」特集号7
なんとも有難いご指導ですね。ますます「遥拝勤行」が楽しみになってきました(笑)
詳しくは、こちらの記事もご覧ください。
功徳を頂きつつ広宣流布を進めん
いかがだったでしょうか。このように、顕正会では、遥拝勤行で大功徳が頂けるゆえに、自然と弘通が進むのです。
浅井先生は、次のように叫ばれました。
いよいよ顕正会員は距離を乗り越えて、戒壇の大御本尊様を我が家から直接拝みまいらせ、功徳を頂きながら、広宣流布を進めたい。
広宣流布の前進に犠牲はない、悲壮もない。「こういう功徳を頂いた」「これで成仏ができる」との歓喜で、折伏が進むのです。まさに顕正会員は功徳を頂きながら広宣流布を力強く進めるのであります。
宗門も学会も、国立戒壇の御遺命に背いているゆえに、すでに広宣流布を進める資格も力も失っている。
御遺命を守り奉った顕正会が立たずして、誰人が広宣流布の御奉公をなすか。
さあ明年から、広宣流布の決戦場たる二十年代に突入する。
「御遺命守護」特集号7
私もこれまでたくさん功徳を頂いてきましたが、こうやって日々、有難い功徳を頂き、自分が幸せになりながら人と国を救っていけるなんて、なんと有難いことでしょうか。しかも明年から、いよいよ浅井先生が見つめてこられた「広宣流布の決戦場」に突入するのです。今からワクワクする歓喜がこみ上げます。この歓喜こそ、顕正会の弘通の原動力なのです