いろんな宗教があるけれど、日蓮大聖人の仏法だけが成仏の叶う唯一の大法で、この仏法を正しく実践している唯一の団体が「冨士大石寺顕正会」です。
今回は、顕正会と似て非なる団体、創価学会と日蓮正宗がなぜ間違っているのかをお話したいと思います。
日蓮大聖人の御遺命=国立戒壇
創価学会と日蓮正宗(宗門)も、昔は日蓮大聖人の仏法を正しく実践していました。
でも、学会・宗門は、政治野心に燃える池田大作と、その権力と金力にへつらう2代の貫首によって、大聖人のただ1つの御遺命に背き、教義を改変してしまったのです。
日蓮大聖人の御遺命とは、広宣流布の暁に、国家意志の表明を手続として、富士山に本門戒壇を建立すること。これを端的に「国立戒壇」といいます。
この国立戒壇の建立を、顕正会はもちろん、学会・宗門も唯一の宿願・大目的としてきました。
ゆえに富士大石寺の歴代上人は、大聖人の御遺命について
「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(64世・日昇上人、奉安殿慶讃文)等と述べてきました。
また、のちに御遺命に背いた66世・細井日達も、登座直後には、「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である」(大白蓮華・昭和35年1月号)と正論を述べていました。
さらに、御遺命破壊の元凶である池田大作も、かつては「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華・59号)と述べていました。
これらを見れば、富士大石寺門流の七百年来の唯一の宿願が国立戒壇の建立にあったこと、太陽のごとく明らかです。
学会・宗門の御遺命違背
ところが、のちに国立戒壇が世間の批判を受け、選挙に不利になるとみた池田大作は、国立戒壇を否定することを思いつきました。そこで、昭和47年に「正本堂」という建物を建て、これを「御遺命の戒壇」と偽り、大宣伝したのです。
これを見て、本来、学会を諫めるべき立場にある宗門は、学会の金力・権力にへつらい、正本堂を「御遺命の戒壇」と認めてしまいました。
このあり得ない教義改変、御遺命違背の文証を見てみましょう。
池田大作はこう言いました。
「夫れ正本堂は末法事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又仏教三千余年、史上空前の偉業なり」(発誓願文)
宗門究竟の誓願が「国立戒壇」から「正本堂」に巧妙にスリ替えられているのがわかります。
宗門の66世・細井日達もこう言いました。
「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」(大白蓮華・昭和43年1月号)
ここでも大聖人の唯一の御遺命が「国立戒壇」から「正本堂」にスリ替えられています。
このように、学会・宗門は、日蓮大聖人の唯一の御遺命である国立戒壇を放棄し、いちばん大事な教義を改変してしまいました。だから彼らは御遺命違背の逆徒であり、魔の眷属なのです。
御遺命守護の戦い
このとき、顕正会の浅井先生だけが「正本堂は御遺命の戒壇ではない。日蓮大聖人の御遺命は国立戒壇建立である」と学会・宗門を諫め、御遺命守護の戦いに立たれました。そして先生の連々たる諫暁により、平成10年、ついに偽戒壇・正本堂は崩壊しました。
この正本堂崩壊という大現証こそ、正本堂を「御遺命の戒壇」とうそぶいてきた学会・宗門が御遺命違背の逆徒であり、顕正会だけが御遺命の正義を守り奉る正しい団体であることを顕わす、何よりの証拠です。
大聖人の御心のままの信行が叶う有難さ
いかがでしょうか。創価学会・日蓮正宗は、ともに日蓮大聖人の唯一の御遺命に背く師敵対の団体です。だから彼らは間違っているのです。
他にもたくさんの謗法や間違いを犯していますが、これがいちばんの根本です。
ですから、学会・宗門でいくらお題目を唱えても功徳はなく、かえって罰を受け、入阿鼻獄の道を歩んでしまうのです。
そこに、いま日蓮大聖人の御心のままに、正しい信行が叶う顕正会員の立場は、なんと有難いことでしょうか。
いよいよ大確信に立って、広宣流布・国立戒壇建立の御奉公に励んでいきたいと思います!