新証言が続々と
日蓮大聖人の一期の御遺命たる国立戒壇を否定し続けた悪比丘「阿部日顕」の悪臨終の姿が満天下に晒され、いま宗門に激震が走っているようです。
その相はなんと「色黒く、恐ろしい形相で、部屋中に悪臭が漂っていた」そうで、「本来、宗門では『死に化粧』はしないものだが、あまり色が黒かったので死に化粧をするしかなかった。しかし何度塗っても白くならず、最後に厚塗りをして、何とか白くした」というのです。いやはや、なんとも恐ろしい堕獄の相ですね!
この阿部日顕の悪臨終が特集号を通じて広く全国に知れ渡ったことで、いま法華講員たちがこれまで胸に秘めていた新証言を続々と語るようになってきました。今回の新証言もその1つです。
法華講員の壮年「思い当たることがある」
金城隊長が広告文を配布する中、東京から沖縄に観光で訪れた一壮年を折伏する機会がありました。
広告文を見るや、壮年は自分が法華講員であることを明かしてきたので、隊長は「阿部日顕の臨終」特集号を見せて折伏しました。すると、さぞ大反発するかと思いきや、なんと壮年は、
「思い当たることがある」
と語り出したのです。
阿部日顕「アーーー!!」と奇声
それは、その壮年が大石寺に登山して御開扉を受けたときのことです。
当時、阿部日顕が導師を務めていたのですが、その勤行中に突然、阿部日顕が
「アーーー!!」
と大きな奇声を発したのです。
これには、この壮年を含め周囲の法華講員たちもみな驚愕し、以来、ずっと心の底に不信感があったとのことでした(顕正新聞令和5年7月25日号より)。
この姿をみるとき、阿部日顕が生きながらにして悩乱し、無間地獄に堕ちる前相を示していたものと思わずにはいられません。
臨終直前から「顔が黒ずんでいた」阿部日顕の現罰
そういえば阿部日顕は、臨終の直前からすでに顔が黒ずみ、様々な病に苛まれて懊悩していました。
令和元年10月の総幹部会で発表された、阿部日顕が晩年に都内の病院に入院していた際の悲惨極まるその姿が思い起こされる。いわく
「阿部日顕は心臓の手術をしたものの、傷口が感染症を起こしてなかなか治らず、また既往病歴も30以上」
「腎機能もかなり低下し、顔色は常に黒ずみ、自分で老廃物を排出できないことから、左足の付け根から管を入れて透析する状態」
「認知症の症状も加わり、自らの病状すら理解できず、透析の管を自分で引っ張って外しては血まみれになり、ために、つなぎタイプの病衣を着せなければならず、日々ナースコールが鳴り止まない深刻な病状」と。
池田大作と同様、阿部もまた現身に阿鼻の業苦に苛まれていたこと疑いない。
https://sesouenmacho.hatenablog.com/entry/20230623/1687446000
法華講員たちが目にした阿部日顕の「アーーー!!」と奇声を発する姿も、もしかしたら認知症が進行した姿だったのかもしれません。いずれにしても「時の貫首」としてあり得ない醜態。まさに現罰というほかありません。
法華講員、正義にめざめて続々と入会
いま時を感じて正義にめざめた法華講員たちが、日蓮正宗から顕正会に続々と入会してきています。とても全部は紹介しきれないので、一部だけ紹介したいと思います。
長崎で戦う男子部178隊の副長が知り合った林さんは、学会・宗門を経て顕正会に入会しました。
入会後、遥拝勤行を励ましていくと、阿部日顕書写の本尊を返納することを決意し、返納後は「新たな決意で、冨士大石寺に向い奉り遥拝勤行をさせて頂きます」と語っていました。
林さんは宗門では功徳が全くなく、「死ねば楽になれる」と自殺まで考えていたそうで、そのようなときに副長が広告文配布に訪れてくれたのです。
実は林さんは、以前にも広告文を受け取ったことで自殺を思いとどまったことがあったそうで、副長から改めて新広告文で折伏を受けて入会し、ついに命を救って頂けたことに、浅井先生の御慈愛によって一人の法華講員が救われたものと有難さでいっぱいになりました。
宮崎で戦う男子部49隊の組長が、知人の壮年を折伏しようと、まずはリモートの基礎教学書の読み合わせに誘ったところ参加が叶いましたが、このときは「興味がない」の一点張りで逆縁でした。
しかし翌週の読み合わせに誘うとまた参加が叶い、そのときは前週とは打って変わって最後まで真剣に参加しました。
同席した総支隊長補が、浅井先生のお心を熱く語っていくと、壮年は「実は私は法華講員です。今村支隊長や高佐班長から四回ぐらい折伏されたが、最後は『しつこい』と追い返した」と打ち明けてきたのでした。
そこで総支隊長補が、宗門の御遺命違背と大聖人様の御意に適う信心の大事を語っていくと、「私の信心で南海トラフ地震を迎え撃てますか?」と不安そうに質問してきたので、再度、総支隊長が「正しい信心を一緒にやりましょう!」と促すとついに決定したのでした。
入会勤行後、壮年は「顕正会のリモートの語り合いは本当に凄いですね。法華講には、このような歓喜や広宣流布への情熱はありません。住職からは『元気ですか?』と連絡が来るだけですよ」と語っていました。
実はこの壮年は、宮崎の今村支隊長たちが何度も折伏を重ねていた法華講員で、酒を飲んでは顕正会を誹謗する発言を繰り返していたそうです。しかし御遺命違背の宗門に籍を置き、さらに顕正会を怨嫉して身の保つはずがなく、結果、精神的な病を患って入院を余儀なくされていたとのことでした。
今回、そのような壮年が入会に至ったことには、時の到来を強く感じます。
長崎で御奉公する婦人部の副長は、以前に逆縁だった法華講員の一婦人を思い出し、阿部日顕の悪臨終を伝えたところ、大反発していた婦人は突然黙り込み、無間地獄の恐ろしさを感じた様子で、特集号の浅井先生のご指導を真剣に聞き入り、ついに入会決定したのでした。
入会勤行後、婦人は悪かった足取りが軽やかになり、態度を改め威儀を正したそうで、阿部日顕の悪臨終が露わになった事の重大さが一重深く身に迫りました。
兵庫県の宗門末寺に所属する一壮年の有難い入会も叶いました。
訪問配布で出会った脇さんは、18年前に法華講に入り、以来、年に何度も登山を強要されていたと不満を述べつつ、宗門の腐敗堕落の実態を語ってきました。
驚いたことに、大石寺境内には喫煙所があり、みなが煙草を吸いながら学会員の悪口など下劣な会話をしているそうで、その仏弟子とはほど遠い姿に愕然としたそうです。また御開扉の際も、私語や居眠りをする者が多く、戒壇の大御本尊様にお目通りが叶う有難さは微塵も感じられなかったとのことでした。
それゆえ瞳を輝かせて大聖人様を讃嘆し、功徳の体験があふれる顕正会員の姿に心が惹かれたようで、「自分も正しい信心で幸せになりたい」と入会決定したのでした。
入会後、脇さんは「宗門では何時間お題目を唱えても何もいいことがなかったが、顕正会で遥拝勤行を実践したら生命力があふれ、心まで守られていることがわかる!」と、時間も忘れてお題目を唱えていることを大感激で話してきました。
また宗門では「広宣流布」を夢物語のように語り、遠い先のことと思っていたので、顕正会員が「広宣流布は甚だ近い」と大確信して戦っている姿は、俄かには信じ難かったと述べ、日々に頂く功徳の現証に浅井先生の正しさを確信し、「広宣流布の最終段階に間に合って御遺命成就のお手伝いが叶うことが何よりも有難い」と、折伏の決意に立ったのでした。
さっそく脇さんは、法華講で一緒に活動していた元妻を折伏しました。広告文の「母が赤子の口に乳を含めるごとき大慈悲を以て『南無妙法蓮華経と唱えよ』と一切大衆にお勧め下された」との一節を読み上げ、大聖人様の大慈大悲と絶大威徳を伝え、「宗門では何もいいことなかったやろ!顕正会で正しいお題目を唱えよう!」と力強く励まし、結果は逆縁でしたが、「広告文を片手に大聖人様を讃嘆できることが有難い」と歓喜していました。
そして、このたび明らかになった阿部日顕の凄絶な悪臨終を知った脇さんは絶句し、「自分は浅井先生に『入阿鼻獄』から救って頂いた」と涙を浮かべ、法華講員を救う決意に奮い立っています。
一方、宗門信徒の悪臨終を見た葬儀関係者の有難い入信が叶う展開もありました。
女子部の総班長が葬儀場に勤務する山内さんを折伏すると、山内さんは広告文の「成仏の相とは、臨終ののちに色が白くなり、軽く、柔らかく、かつ柔和な相となる」との一節に目を留め、何人もの臨終の相を見てきた中でも「こういう相は見たことがない」と言ってきました。
そして「日蓮大聖人ということは、学会?日蓮正宗?」と尋ねてきたため、「冨士大石寺顕正会」と伝えると、山内さんはかつて担当した宗門の葬儀の状況を教えてくれました。
その宗門信徒の遺体は硬直し、口は硬く結ばれていたそうですが、納棺の際、なんと宗門関係者が山内さんに「遺体を半口半眼にしてほしい」と、臨終の相を偽装するよう依頼してきたというのです。
しかしその遺体の顔は硬く強張り、目や口を開こうとしても全く動かなかったそうで、御遺命に背く罰の恐ろしさを痛感しました。
そこで総班長たちが、学会も宗門も御遺命違背のゆえに成仏は叶わず、御遺命を死守せられた浅井先生率いる顕正会だけが、唯一、大聖人様の御意に適う遥拝勤行で一生成仏が叶うことを大確信で伝えると、山内さんは素直に決定し、有難い入信が叶ったのでした。
「宗門の誤り」を証明した阿部日顕の末路
いかがでしょうか。これまで罰で苦しんできた大勢の法華講員たちが、阿部日顕の悪臨終の現証を契機として続々と正義にめざめ、正しき団体・顕正会に集いつつあること、すべては大聖人様があそばす御化導と伏して拝するばかりです。
「猊下サマ絶対☆ロボット」の法華講員たちこそ、目を開いてこの真実を見つめ、日蓮正宗のトップ・阿部日顕の悲惨な末路が示す「宗門の誤り」を真摯に受け止め、「国立戒壇建立こそ日蓮大聖人の御遺命である」との正義に立ち還らなければなりません。