阿部日顕の悪臨終

「阿部日顕の臨終」特集号が出来しました

 日蓮大聖人の御遺命を破壊せんとした「師子身中の虫」阿部日顕の悪臨終が白日の下に晒された歴史的な総幹部会を特集した顕正新聞6月5日号が発刊されました。その名も「阿部日顕の臨終」特集号

 本特集号こそ、大聖人様の御意に適う仏弟子の集団は浅井先生率いる顕正会だけであり、御遺命違背の大罪を深く懺悔しない限りすべての宗門僧俗は入阿鼻獄であることを現証をもって証明した、まさに歴史的な特集号です。

 浅井先生のご指導の全文は、顕正会公式サイトをご覧ください。

「阿部日顕の臨終」特集号 | 顕正新聞社 - 公式サイト
...

 それでは、さっそく内容を見ていきましょう!

立正安国論に示し給う「亡国の根本原因」

 最近ニュースを見ると凶悪な犯罪が頻発していますね。国の舵取りをする政治家たちも自分の地位や利権ばかり。異常気象や戦争も地球規模で起きています。これらの災難はどうして起こるのでしょうか。

 大聖人様は「立正安国論」に災難興起の原理をお示し下されています。

 「世皆正に背き、人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」と。

 ―一国が挙って正しい仏法に背くならば、諸天善神はその国を捨て去る。このゆえに魔や鬼が国土に乱入して、災難が相次いで起こるのである――との仰せです。

 まさに亡国の根源は、大慈大悲の日蓮大聖人を信ぜず背き奉り、諸天がその国土を捨て去るところにあるのです。

諸天善神の厳たる存在

 こう書くと、「ちょっと待って!『諸天』って言われても、何のことか全然わからないんだけど・・・」と思う方がいるかもしれません。

 たしかに、私たちがふつうに生活していても「諸天」という言葉を耳にしないので、「いったい、どんなものなんだろう」と思うのは当然だと思います。そして「諸天」が何かわからないと、立正安国論の「善神国を捨てて相去り」等のお言葉の意味もわからず、仏法に背くとどうして災難が起こるのか、実感がわかないですよね。

 そこに浅井先生は、「もし諸天善神の存在とその宇宙的力用を知るならば、これら諸天に申しつけて御化導をあそばす大聖人様の絶大威徳を、深く拝し奉ることができる」として、諸天善神の存在について大事な指導を下さいました。

 諸天も善神も共に「宇宙に具わる仏法守護の生命活動」で、中でも私たちの目に見えるのは太陽(大日天子)と月(大月天子)です。

 これらの諸天は、御本仏日蓮大聖人に背く国があれば、まず大地震・異常気象・大飢饉・大流行病等の天変地夭を以てこれを罰し、なお迫害を続けるなら、人の心に入って内乱を起こさしめ、ついには隣国の王を動かしてその国を侵略せしめる、と御書に説かれています。まさに宇宙的スケールの力用ですね。

 では、諸天はどのように天変地夭や内乱・戦争等を起こすのかというと、目に見える諸天の代表である太陽・月を例に考えてみるとすぐにわかります。

 そもそも地球上のあらゆる生物は、太陽と月の力用によって発生し、かつ生命を維持しています。そのため、すべての生物にとって太陽と月の影響は根底かつ死活的です。もし太陽や月に異変が起これば、地球上には直ちに異常気象をもたらし、大旱魃・森林火災・大洪水・大風・大飢饉等が地球規模で発生し、ひいては内乱・戦争等を誘発するのです。

 「なるほど。たしかに太陽や月の影響だけ見ても、そこに異変があれば、異常気象や内乱・戦争が起きてくるかもしれないね。まして目には見えないけど、もっと強い諸天の存在があるとしたら、なおさらだ。でも、人々が仏法を信ぜずに背くことが、どうして諸天に影響を与えるのかな。それって人の心の問題でしょう?」と思われた、そこのあなた!

 素晴らしい質問ですね(笑) 何を隠そう、そこに仏法の深い哲理があるのです。

 浅井先生のご指導を拝してみましょう。

 太陽や月に精神活動があるごときこの仰せは、一般世間の人々の理解を超える。だが仏法は、宇宙自体を一大生命体として、その中の太陽・月等もことごとく色法(物質)・心法(精神)を具えた生命体としてとらえている。

 草木や国土のような精神活動がないと思われる物質世界を、仏法では「非情」というが、法華経はこの非情世界にも色心の二法が存在することを明かしている。

 ゆえに観心本尊抄には「観門の難信難解とは百界千如・一念三千、非情の上の色心の二法・十如是是れなり」と。

 非情世界に心法が具わっていることを理解することは極めて「難信難解」ではあるが、これが生命の実相たる一念三千の深理であります。

 中国天台宗の「中興の祖」といわれる妙楽大師、この人は中国天台宗における大智者ですね。大聖人様の下種仏法における日寛上人のような立場の人です。

 その妙楽大師がこう言っている。「一草・一木・一礫・一塵、各一仏性、各一因果あり、縁了を具足す」(金錍論)と。

 いいですか。一草・一木・一礫・一塵にさえ仏性があり、色心の二法が具わって成仏するという。いわんや諸天たる太陽・月においておやです。まさに太陽・月は、色心の二法を具えて常に人の心に感応しつつ、地球に強い影響をおよぼしているのであります。

顕正新聞「阿部日顕の臨終」特集号

 いかがでしょうか。宇宙は一大生命体であり、その中の太陽・月を含むあらゆる存在は色心の二法を具え、人の心に常に感応しつつ、相互に影響し合っている。これが生命の実相であり、仏法が説き明かす哲理なのです。

 こうしてみると、人々が正しい仏法に背くことで、その民族の生命が濁り、これが諸天に感応して種々の天変地夭・内乱・戦争等を引き起こすことがよくわかりますね。

 そして、諸天善神が御本仏日蓮大聖人の御化導を厳然と守護し奉っていることは、竜の口刑場に現われた「月のごとく光りたる物」や「越智の星下り」、さらに立正安国論の御予言どおりに起きた自界叛逆(内乱)・他国侵逼の現証を見れば明らかです。まさに諸天は、大聖人様のお申しつけのままに動き、御化導を助けまいらせているのです。

 このことを知るとき、諸天に申しつけて御化導をあそばす大聖人様の絶大威徳を如実に拝し奉ることができます。

 この御本仏の大境界を、出世本懐成就御書に「設い大鬼神のつける人なりとも、日蓮をば梵釈・日月・四天等、天照太神・八幡の守護し給うゆへに、罰しがたかるべしと存じ給うべし」と仰せられているのです。

阿部日顕の臨終の悪相

 さて、話は変わります。

 今回の総幹部会では、婦人部の浅沼副長の「活動報告」で、阿部日顕の臨終の悪相に関する重大な報告がありました。

 その内容は、浅沼副長が広告文配布で出会った元宗門僧侶の証言で、友人の宗門僧侶から聞いた阿部日顕の臨終の相は、次のようなものでした。

 「その相は、色黒く、恐ろしい形相で、部屋中に悪臭が漂っていた。本来、宗門では『死に化粧』はしないものだが、あまり色が黒かったので死に化粧をするしかなかった。しかし何度塗っても白くならず、最後に厚塗りをして、何とか白くした

顕正新聞「阿部日顕の臨終」特集号

 いかがでしょうか。凄まじい悪相ですよね。

 大聖人様は教行証御書に、真言の悪僧どもの臨終について、「一切は現証には如かず。善無畏・一行が横難・横死、弘法・慈覚が死去の有り様、実に正法の行者是くの如くに有るべく候や」と仰せられています。

 また神国王御書には、中国真言宗・元祖の善無畏三蔵の臨終の悪相について、「死する時は黒皮隠々として骨甚だ露わると申して、無間地獄の前相其の死骨に顕わし給いぬ。人死して後 色の黒きは地獄に堕つとは、一代聖教に定むる所なり」と。

 これらの御金言に照らせば、「色黒く、恐ろしい形相で、『死に化粧』を何度塗っても白くならなかった」阿部日顕の悪臨終こそ、まさに「無間地獄に堕ちた現証」に他なりません。

 では、日蓮正宗の最上位、「時の貫首」の立場にありながら、なぜ阿部日顕は無間地獄に堕ちてしまったのでしょうか。

 浅井先生は、その原因たる悪行について、池田大作にへつらって「国立戒壇論の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」という2冊の悪書を書き、その中で三大秘法抄の御聖文を一々にねじ曲げ、「正本堂こそ御遺命の戒壇である」と謀った大謗法であり、まさに阿部日顕こそ正系門家における「師子身中の虫」と断ぜられました。

 この阿部日顕がいかに無道心・恥知らずの悪人であったかは、偽戒壇・正本堂が崩壊した後の彼の態度を見れば一目瞭然です。

 どういうことかというと、阿部日顕は正本堂崩壊後の平成16年、全国教師講習会で、かつて自身が著わした2冊の悪書について「あれは池田大作に書かされたんだ。正本堂を『御遺命の戒壇』としたことは間違いであった。少しはみだしや言い過ぎがあった」(取意)と、ふざけた態度で幕引きを図りました。

 しかし、それにもかかわらず彼は、「だが、道理から言っても国立戒壇は誤りであるから、『国立戒壇論の誤りについて』の中において、国立戒壇が間違いだといったことは、正しいと思っている」と、国立戒壇だけは頑なに誹謗し続けたのです。何という大悪人でしょうか。

 ここに浅井先生は平成17年、阿部日顕に公開対決を申し入れられました。しかし阿部日顕をはじめ全宗門僧俗は公開対決から完全逃避。誰ひとり法論に立つことができませんでした。

 浅井先生は阿部日顕の三大謗法に止めを刺すべく、「最後に申すべき事」と題する一書を送付されました。その末文にいわく

 「これが小生の最後の諫めである。もしこの言(ことば)を卑しんで一分の改悔もなければ、後生の大苦こそまさに恐るべし。

 顕立正意抄の仰せに云く

 『我が弟子等の中にも信心薄淡(うす)き者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし。其の時我を恨むべからず』と。

 以上、用捨は貴殿に任す。小生はただ謹んで

御本仏日蓮大聖人に言上し、御裁断を仰ぎ奉るのみである」と。

 するとその3か月後の平成17年11月、阿部日顕が御開扉の導師を務めんとしたとき、戒壇の大御本尊の御前にある大扉がどうしても開かないという不思議な現証が起き、これに怖畏を生じた阿部日顕は、翌12月、ついに猊座を退きました。

 その阿部日顕の臨終の相が、今回初めて明らかになったのです。

 浅井先生は、「顕立正意抄の『我が弟子等の中にも信心薄淡き者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし』との厳たる仰せを、まさに眼前にした思いである」と仰せです。

阿部日顕の悪臨終が意味すること

 いかがでしょうか。この阿部日顕の悪臨終を見るとき、たとえ「時の貫首」であっても大聖人一期の御遺命に背くならば入阿鼻獄となることがわかります。顕立正意抄の「我が弟子等の中にも…」の御金言のなんと重いことか。

 また、浅井先生は「最後に申すべき事」において、阿部日顕に対し、「後生の大苦を恐れよ」として、次のように仰せられていました。

 「もしこの大苦を免れんと願うならば、世親・馬鳴が大乗論・起信論を造って大乗を讃歎したごとく、汝もまた国立戒壇を讃歎して大罪を滅せよ。もしそれが為し得ぬなら、せめて早く猊座を退き、謹慎せよ。

 これが小生の最後の諫めである。もしこの言を卑んで一分の改悔もなければ、後生の大苦こそまさに恐るべし」と。

 ところが無道心・恥知らずの阿部日顕は、「大扉開かず」の大現証に畏怖して猊座を退いたものの、御遺命違背の大罪について「言いすぎやはみ出しがあった」などと軽口を叩くだけで、国立戒壇への誹謗はついに懺悔訂正しませんでした。その結果、入阿鼻獄となったのです。

 この現証を見れば、「時の貫首」以下すべての宗門僧俗もまた、御遺命違背の大罪を深く懺悔した上で「国立戒壇こそ大聖人の御遺命である」と讃嘆しない限り、入阿鼻獄は必定と言わなければなりません。

 言い換えれば、「言いすぎやはみ出しがあっただけ」などと誤魔化している「信心薄淡き者」は、大聖人様がお許しにならないということです。

「破邪」の次は「立正」

 学会・宗門が一体になっての御遺命破壊の大悪は、なぜ起きたのでしょうか。

 それは、学会も宗門も信心薄淡くして、大聖人様を忘れてしまったからです。

 浅井先生は、「顕正会は一念も大聖人様を忘れ奉らず。『もし大聖人ここにましませば、何を命じ給うか』これだけを行動原理として来た」と。発足以来六十有余年、些かも変わらない先生の一貫不変の大忠誠に、熱涙が込み上げます。

 浅井先生は叫ばれました。

 「『破邪』の次には『立正』の御奉公に敢然と立たねばならない。『立正』とは広宣流布・国立戒壇の建立であります。この大事は、御本仏の究極の大願、一期の御遺命であれば、時至れば必ず成る

 「しかもその時は、もう近い

 「まさに正系門家の未曾有の濁乱・御遺命破壊の大悪こそ、広布の瑞相・御遺命成就の大瑞だったのであります

 「広布最終段階のこの大事な時に御奉公が叶うとは、顕正会は難と有難い宿縁か。絶対信で打ち固めた三百万の仏弟子の大集団が立つとき、日本は必ず動く。いよいよ三百万をめざし、力強く歓喜の大前進をしたい」と。

 私も広告文とこの特集号を片手に、広宣流布の御奉公にいっそう励んでいきたいと思います!