顕正新聞12月5日号の「世相閻魔帳」に、またまた宗門の禿人の腐敗堕落ぶりをあばく記事が掲載されていました。タイトルは「食法餓鬼・水島日叡のえげつなさ」です。
「あれ、『水島日叡』って、最近どこかで聞いたような・・・」と思われた、そこのあなた!
そうなんです。じつはこの「水島日叡」、顕正新聞9月25日号でも醜悪な正体をあばかれてしまった、イタすぎる坊主なのです(詳しくは、こちらをご覧ください)。
埼玉県所沢市にある宗門末寺「能安寺」の住職で、宗門の「教学部長」、そして次期貫首候補である「能化」の地位にまで登りつめた、元創価学会員の水島。なんと能安寺の公式サイトに、「当寺は、釈尊(お釈迦様)に始まる仏教を唯一正統に伝える伝統宗派である日蓮正宗のお寺です」、「ほかの伝統的な宗派のお寺と同じく、当寺も日蓮正宗という伝統宗派のお寺です。しかし、当宗は、お釈迦様が教えたとおりの教義を厳正に守り今に伝える唯一の宗派です」などと、まるで釈尊(お釈迦様)の仏教みたいなことを書いて世間にへつらっていたというから驚きです。ほんとうに卑しい連中ですよね。これを「摧尊入卑」といいます。
ところが・・・、何ということでしょう!閻魔帳によると、「かかる腐敗堕落の実態が満天下に晒され、のっぴきならない事態に発展したのかは知らないが、十二月二日現在、能安寺公式サイトは閉鎖され、誰もアクセスできない状態となってしまった」というのです!
確認してみたところ、以前には確かにあった能安寺の公式サイトが、こんな感じになっていました↓ まさに〝閻魔砲〟ですね(笑)
厚顔無恥な禿人も、このようなインチキなサイトを指弾されて、さすがに恥ずかしくなったのでしょう↓
それでは、前回のおさらいはこのくらいにして、さっそく今回の閻魔帳の内容を見ていきましょう!
まず閻魔帳は、「本コラムとしては、池に落ちた犬を打つつもりは毛頭ないが、今回も能安寺のお粗末で驚くべき実態が明らかとなったので紹介していきたい」として、能安寺が行っている「諸祈念願い」なるものを紹介しています。
能安寺では「新入信者・入講者のみなさんへ」と題する「能安寺法華講信行部」作成の指導冊子を配布している。一瞥したところ、「諸祈念願い」という、顕正会では見聞きしたことの無いものが紹介されていた。いわく
「・当病平癒祈念
・厄払い祈念
・七五三
・安産祈念
・旅行祈念
・成人式
・進学祈念
・就職祈念
・自動車祈念(交通安全)
等がありますので、寺院で諸祈念申し込み用紙に記入し、御供養を添えて願い出て下さい」と。
年の瀬になるとテレビCMを頻繁に打つ「佐野厄除け大師」の宣伝文句と見紛うその内容には、思わず仰け反ってしまった。
かりそめにも信徒のことを思うのであれば、金銭などを要求せず、信徒のために無償で真摯に祈ってあげればよい話である。
ところが能安寺の水島は、むしろ悩める信徒から「諸祈念願い」の名目でカネをせしめているらしい。水島が信徒を〝食い扶持〟としか認識していない証左といえる。
大聖人様は立正安国論に、国を亡ぼし人を悪道に堕とす悪比丘の姿を法華経・涅槃経等を引かれ
「利養に貪著するが故に、白衣の与めに法を説いて、世に恭敬せらるること六通の羅漢の如くならん」
「像(かたち)を持律に似せ、少しく経を読誦し、飲食を貪嗜して其の身を長養し、袈裟を著すと雖も猶猟師の細めに視て徐(おもむろ)に行くが如し」
と示し給うておられるが、現在の宗門の禿人らの姿が映し出されているかのようだ。
顕正新聞令和3年12月5日号
いかがでしょうか。「厄払い祈念」とか「旅行祈念」とか、あれこれ口実をつけて供養をむさぼる職業坊主の卑しさが、文面からにじみ出ていますね。「かりそめにも信徒のことを思うのであれば、金銭など要求せず、信徒のために無償で真摯に祈ってあげればよい」との指摘が、あまりに的確でイタすぎます。これが職業坊主の実態なのです。
閻魔帳によると、あの卑怯・貪欲・無道心の阿部日顕すら、かつて次のように述べていたそうです。
「仏力、法力に対する自らの信心と自らの修行によって仏になっていくということが、大聖人の真実の大慈大悲でございます。僧侶の力とか、あるいはお布施を出してお経をあげてもらい、あるいは祈祷をしてもらえば幸せになれるとか災いが払えるとか、そういう考え方がそもそも邪の、誤った宗教なのであります」(昭和58年9月)
この阿部発言によれば、〝坊主にカネを払って祈念してもらう〟という能安寺の「諸祈念願い」は、「その考え方そのものが邪」であり、「誤った宗教」ということになります。いつも的外れなことばかり言う阿部日顕にしては、めずらしく的確な指摘ですね(笑)
もっとも、この発言は「昭和58年9月」当時のものですから、その後、学会と仲間割れして食えなくなったことで、阿部日顕もコロリと方針転換したのでしょう。いやはや、なんとも卑しい連中ですね。
また、閻魔帳では、能安寺の信徒が行うインチキな勧誘手法も紹介されています。
能安寺の寺報「能安」令和元年6月1日号に、「四十九日法要で十四名の折伏成就」と題する信徒の体験手記が掲載されていたそうなのですが、その勧誘手法がとても酷いものだったのです。いわく
「いざ四十九日法要がやってきて、母方の兄妹、私達の従兄妹等十四名が来寺されました。ここからお塔婆供養による折伏を始めました。妻と二人で、『本来なら正宗信徒でないとお塔婆供養はできなく、四十九日で、もう次の場所へ行ってしまうから、信徒としてお塔婆供養をお願いできませんでしょうか、母が一番喜ぶことなので』と真剣にお願いをしました。すると何の抵抗も無く、皆さん御授戒用紙を書いてくれました」と。
閻魔帳は次のように喝破しています。
要するに、能安寺では亡くなった信徒の法要を〝絶好の勧誘のチャンス〟と捉えているようだ。法要に大勢の親戚を集め、いざ法要当日、何も事情を知らずに能安寺を訪れた親戚に対し、唐突に「信徒としてお塔婆供養をお願いできませんでしょうか」と懇願して勧誘するらしい。
法要開始直前に「信徒としてお塔婆供養を」と情に絡めて懇願されれば、普通の人は「もう寺に来てしまった以上、法要に出ないで帰るわけにはいかない」「そこまで『お願い』されたら仕方ない」と、やむなく応じる他ないだろう。これが宗門の〝折伏〟と称するものだそうだ。
顕正新聞令和3年12月5日号
いかがでしょうか。宗門のアコギな勧誘手法には開いた口がふさがりません。このような卑しい姿を恥ずかしげもなく「寺報」に掲載できてしまうのですから、もはやその神経を疑うしかありません。
法要の場を利用し、「塔婆供養するには信徒になる必要があるから」と不意打ち的に〝懇願〟して用紙を書かせる勧誘手法。このような卑しい所行を「折伏」といえるはずがありません。もっとも、大事の御遺命をなげうった師敵対の輩に「折伏」を行ずる資格など始めから無いのですから、この体たらくもある意味必然なのかもしれません。
そこにいま、日蓮大聖人の御遺命を奉じて、大聖人の大慈大悲と絶大威徳を一国に告げ知らしめる唯一の仏弟子の大集団・顕正会の一員として、広布最終段階のお手伝いをさせて頂けることは、なんと有難いことでしょうか。
いよいよ大確信に立って、広宣流布のお手伝いに励んでいきたいと思います。