「最後に申すべき事」(1)~これまでの経緯~

 「対決を逃避した阿部日顕管長に『最後に申すべき事』」は、平成17年8月28日、浅井昭衞・顕正会会長が阿部日顕・日蓮正宗管長(当時)に送付した一書です。

 まず本書が送付されるまでの経緯を見てみましょう。

 浅井先生は平成17年3月25日、当時日蓮正宗の管長であった阿部日顕に対し「対決申し入れ書」を送付されました。その趣旨は、次のとおりです。

 御本仏日蓮大聖人の御法魂まします唯一の正系門家・富士大石寺において仏法が濁乱すれば、「仏法は体のごとし世間は影のごとし、体曲がれば影ななめなり」の御金言のまま、日本は必ず亡びます。しかるに阿部日顕は、三大謗法を犯して大聖人の仏法を破壊していささかの改悔もありませんでした。

 その三大謗法とは、次の3つです。

① 御遺命の破壊――大聖人の一期の御遺命が、広宣流布の暁の国立戒壇であることは御付嘱状・三大秘法抄に明々白々であるにもかかわらず、池田大作に諂って「国立戒壇論の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」の二冊の悪書を著わして国立戒壇の正義を抹殺し、今日もなお「国主立戒壇」なるたばかりを主張して、国立戒壇を否定し続けていること。

② 戒壇の大御本尊に対し奉る誹謗――昭和53年2月7日、河辺慈篤との面談において、あろうことか戒壇の大御本尊を「偽物」と断ずる重大な悪言を吐いたこと。

③ 謗法与同――身延派の謗法僧を、再三にわたり大石寺に招き入れたこと。

 この三大謗法は断じて許されざる御本仏への反逆です。これに加え、阿部日顕は法華講員に登山を強要し、営利を目的とした御開扉を強行しています。この濫りの御開扉は、戒壇の大御本尊に対し奉る不敬冒涜のみならず、大御本尊に害意を懐く悪人にその隙を与えるものです。

 浅井先生は、「以上の重大なる仏法違背を見ながら知りながらこれを黙止すれば、大聖人への不忠これに過ぎたるはない。その上、小生の貴殿に対する諫暁はすでに三十五年の長きに及んでいる。ここに事を一挙に切らんがため、公開の対決を申し入れたものである」と記しておられます。

 この対決申入れでは、勝負決着後の双方の責務として「浅井先生が敗れた時は、直ちに顕正会を解散する」、「阿部日顕が敗れた時は、直ちに御開扉を中止し、猊座を退き謹慎する」と定め、さらに、もし阿部日顕が不都合の場合には宗内僧俗による代人も可とされました。

 ところが阿部日顕はこの対決申入れから完全に逃避してしまったのです。

 まず同年4月2日、「日蓮正宗青年僧侶邪義破折班」の名義で(以下では阿部日顕が同名義で書いたものと見做して論を進めます)、ウソにウソを重ね、下劣な悪口を並べた返書を送ってきました。しかし肝心の対決はみごとに逃避していました。

 そこで浅井先生は4月27日、「重ねての対決申し入れ書」を阿部日顕に送付しました。「かかる見えすいた虚言は、無責任な匿名文書だからこそ書けるのである。果たして貴殿はこのような嘘を、小生の眼を見つめて言えるか。公場の対決が必要な所以はここにある。逃げてはいけない。早く対決を実現せよ。貴殿が並べた虚偽の一々、その席において、一指を下してこれを劈(つんざ)くであろう」と。

 しかし阿部日顕は5月4日、前回にもまして支離滅裂で下劣、虚言と悪口を並べただけの返書を送付し、結局、自身はもとより代人を立てての対決すら逃避してしまいました。いわく

 「貴殿の非道極まる〝申し入れ〟などに対し、責任あるお立場の御法主上人猊下がお受け遊ばされることなど、絶対に有り得る筈のない道理であり、また本宗僧俗もそのような馬鹿げた申し出をお受けされることは絶対に反対申し上げる。さらにまた本宗僧俗の誰人にせよ、そのような非道な〝申し入れ〟を、御法主上人に代って責任をもって受けることなど出来よう筈もない」と。

 ここに阿部日顕をはじめとする日蓮正宗の全僧俗は、浅井先生との公開対決から完全に逃避してしまったのです。

 もし阿部日顕に確信あるならば、この対決は彼らの障りとなる顕正会を除く無二の好機だったはずです。しかるにこれを逃避した事実こそ、すべてを物語っています。所詮、御遺命に背き奉る者が、命かけての護法者と、眼あわせての対決など為し得るはずもないのです。

 ただし、これでは事は済みません。

 御本仏大聖人の御心に背く貫首によって唯一の正系門家が濁乱すれば、日本が亡んでしまうからです。

 ここに浅井先生は、阿部日顕の返書における嘘とたばかりを粉砕するとともに、三大謗法を犯して一分の改悔なき阿部の天魔その身に入る正体を白日に晒し、以て大聖人の御裁断を仰ぎ奉るべく、「最後に申すべき事」を送付されたのです。

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