ヒンズー教の神を祀っていた大草一男(法華講大講頭)の言い訳

素直に反省できない大草一男

 顕正新聞8月5日号の「世相閻魔帳」に、またまたおもしろい記事がありました。以前にブログで書いた、大草一男(法華講大講頭)が宗門の行事でヒンズー教の神を祀っていた件(詳しくはこちら)の続報です。

 どうやら謀略紙「慧妙」が、この一件についての言い訳を掲載したようなのですが、その内容があまりにも幼稚で、思わず笑ってしまいました。素直に反省すればいいものを、ほんとうに信心がないんですね(笑)

 御遺命違背の宗門にダマされている法華講員の皆さんには、ぜひ現在の宗門の腐敗堕落の実態を直視してほしいものです。

目の前に置かれていたのに「気づかなかった」と言い張る大草一男

 まず、大草一男がどんな言い訳をしたかを見てみましょう。「慧妙」7月16日号には次のように書かれているそうです。

 「だいたい、その場に招かれて着席しただけだから、その前のほうに、向こう向きに置いてある物など、裏側から見て何なのかわかろうはずもない。この写真が出て初めて、こんなものが置いてあったとわかったくらいである

 「顕正会が騒ぐまで気がつかなかった、という次第である。ただそれだけのことであり、しかも、これは実際のヒンズーの本尊などではなく、ただの装飾品にすぎない」と。

 つまり、「こんなものがあるなんて気づかなかった」、「しかも、ただの装飾品だ」と言い訳をしているわけです。

 念のためもう一度写真を見てみましょう。

 いかがでしょうか。ヒンズー教の神の禍々しい像が、大草一男の目の前に置かれています。誰がどう見たって気づきますよね?それを、「この写真が出て初めて、こんなものが置いてあったとわかったくらい」なんて平然と言っているのですから呆れてしまいます。

 法華講の人たちは、つまらない言い訳を考える前に、まずはこの事実をしっかりと受け止め、彼の人となりをきちんと理解しましょうね。

大草の目線から見てみても・・・

 さらに強烈だったのは、今回、世相閻魔帳に新たに掲載された、大草側の目線から見た写真です。当日、大草一男の席から見ると、この像はどのように見えていたのでしょうか・・・。その衝撃の写真がこちらです。

 ・・・えーっと、誰がどう見ても、ヒンズー教の像ってわかりますよね?少なくとも「ただの装飾品」でないことは明らかです。

 それなのに、彼は「その場に招かれて着席しただけだから、その前のほうに、向こう向きに置いてある物など、裏側から見て何なのかわかろうはずもない。この写真が出て初めて、こんなものが置いてあったとわかったくらい」なんて見え透いたことを言っているわけです。はっきり言って、「大嘘つき」と思わざるを得ません。

 しかも、単なるウソではなく、仏法上の重罪である「謗法与同」をごまかすウソであれば、無間地獄の業因となることは疑いありません。

「まるで親に叱られた小学生」

 世相閻魔帳は、この大草一男の「謗法与同」をごまかす言い訳について、「まるで親に叱られた小学生が咄嗟にウソをついたような、いかにも稚拙な弁明である」と一笑した上で、次のように破折しています。

 では実際の写真で大草一男の弁明を検証してみる。

 まず、写真のガネーシャ像には礼拝のための燭台が付属され、像のすぐ横には礼拝皿が設置されて花が供えられている。つまり、大草の目の前にあったガネーシャ像は「置かれた」といより「祀られた」と表現した方が実態に即していよう。

 また、大草の席からガネーシャ像がどのように見えていたかを別の角度から撮影された写真で確認してみると、掲載写真のとおり、裏側からでも謗法の像であることが一目瞭然である。もし、これでも「知らなかった」というなら、早急に眼科で目の治療を受けた方がよい。

顕正新聞令和3年8月5日号

 いやはや、なんとも痛烈ですね(笑)

「現地NGO」の正体は・・・?

 また、「慧妙」によると、大草は次のような言い訳もしているようです。

 「写真は、今から六年前、ネパール現地の組織(NGO)の代表者が交代することになり、大草講頭らがそのセレモニーに招かれた時のものである

 「このセレモニーは、主体が現地NGOであり、招かれた側の大草講頭らは、事前に会場の状態などチェックしていない。それ故、そこにそんな物があったということに気付いていなかったのだ」と。

 まるで、悪いのはぜんぶ「現地NGO」で、そこに招かれただけの大草一男に罪はない、とでも言いたいようです。

 では、この「現地NGO」とは、いったいどんな組織なのでしょうか?〝閻魔砲〟は次のように鋭くえぐっています。

 そもそも、大草一党が「現地NGO」と誤魔化している団体の名前は「Nichiren Shoshu Spritual Organization Nepal」(NSSON・直訳すると「宗教団体 日蓮正宗 ネパール」)で、団体のロゴには妙観講の講章(鷹が鶴を喰らうようなデザイン)が掲げられている。要はネパールの妙観講員で構成された信徒組織なのである。

 その証拠に、妙観講の指導教師・小川只道や宗門僧侶らはNSSONが現地で主催した他の行事に遥々日本から参加し、酒宴に興じたり、御本尊を奉持して勧誘したりしている

 また、大草が「(現地NGOの)セレモニー」と謀っている行事の写真にはNSSONの名称とFirst National Convention」(第一回全国大会)と印刷された横断幕が貼られている上に、参列者の胸に妙観講の講章が印刷された花徽章がつけられていることからも、歴とした妙観講の行事であることは紛れもない事実である。

 しかるに大草は、かかる謗法与同が露見した途端、ネパールの妙観講員で構成された信徒組織(NSSON)をあたかも妙観講とは無関係な「現地NGO」と誤魔化し、また、邪教の神が自分の眼前で祀られていたのに「気付いていなかった」「知らなかった」「不可抗力」となどとしらばっくれて幕引きを図ろうとしているのだ。実に卑怯で姑息ではないか。

顕正新聞令和3年8月5日号

「師敵対の逆徒」の自覚を持たねばなりません

 前回の記事にも書きましたが、二祖日興上人は遺誡置文において、「謗法と同座すべからず、与同罪を恐るべき事」と謗法与同を厳しく誡められ、末文には「此の内一箇条においても犯す者は日興が末流にあるべからず」と仰せられています。

 この御遺誡に照らせば、大草一男、そして宗門(日蓮正宗)がヒンズー教の神を祀った謗法与同は、とうてい許されるものではありません。だから彼らは日興上人の末流ではなく、大聖人の弟子ではないのです。

 まして、真摯に懺悔することもなく、ただ言い訳に終始しているのですから、このままいけば入阿鼻獄は避けられません。

 大聖人一期の御遺命に背き奉っただけでなく、このような謗法与同も平然と犯す師敵対の輩が、御遺命の正義を守り奉る浅井先生・顕正会のことをかりそめにも謗るとは、身の程知らずもいいところです。自分たちが「師敵対の逆徒」であることをよくよく自覚し、後生を真剣に恐れ、懺悔滅罪に努めなければなりません。