新型コロナで憂鬱なあなたへ
「あーあ、最近、楽しいことないなぁ・・・」と、憂鬱な気持ちでこのサイトを見ている、そこのあなた!
たしかに、ここ最近はテレビを見ても新聞を見ても「コロナ」「コロナ」ですから、嫌でも気分が沈んできますよね。また、知り合いや身内が感染した方にとっては、他人事ではありません。
でも、どれだけ嫌でも、避けたくても、新型コロナが無くなるわけではありません。これからしばらくは新型コロナと隣り合わせの生活が続いていくことでしょう。
では、私たちはどうやって新型コロナを乗り越えていったら良いのでしょうか。今回の記事では、その方法について書いてみたいと思います。
ぜひご一読いただければ幸いです。
どうして憂鬱なのか=環境に押しつぶされているから
そもそも、私たちはどうして憂鬱な気持ちになるのでしょうか。ちょっと世間に耳を傾けてみましょう。
「そりゃあそうだろう!このまま行けば、来月にはオレの店はおしまいさ。もうお先真っ暗だよ・・・」という経営者さん。
「来年は受験なのに、授業も遅れちゃって、どうしたらいいんだ・・・」という学生さん。
「コロナが怖くて、外も出歩けない。子どもも旦那もうちにいて、ストレスが溜まってしょうがないわ!!」という主婦さん。
「せっかく就職できたのに、ずっと自宅待機で。僕の人生、どうなっちゃうんだろう・・・」という新入社員さん。
・・・こうして見ると、みなさん、本当に切実ですよね。
もちろん、人それぞれ置かれている立場や状況が違います。大変さの度合いも人によって全く異なるでしょう。
でも、大局的な目で見ると、実は全員に共通するある「原因」があるんです。
それは、「周りの環境に押しつぶされそうになっている」ということです。
人の幸せは、自分と周りの環境との関係性の上に成り立っています。ですから、周りの環境が厳しくなり、それに押しつぶされてしまうと、生きていること自体が苦しくなってしまいます。これを仏法で「地獄界」といいます。
苦難を乗り越えていく方法=「生命力」をつけること
では、どうしたらこれを乗り越えていくことができるのでしょうか。答えは、とってもシンプルです。
周りの環境に負けない強い「生命力」を具えるということです。
こう書くと、「ふん、どうせそんなことだろうと思ったよ!そんな気休めで何とかなるほど、世の中、甘くないんだ!!」と憤る方がいるかもしれません。
たしかに、単なる「気休め」では、問題の解決にはなりません。どんなに明るく振る舞おうとしても、自分で自分に言い聞かせても、しょせんは表面的です。ちょっと嫌なこと、苦しいことがあれば、すぐ元に戻ってしまいます。
しかし、いま論じている「生命力」というのは、そういう表面的なものではありません。周りの環境すら変えていく、生命の根本の話なのです。
そもそも人の生命はどうなっているのでしょうか。これがわからないと「幸せ」を語れないはずなのですが、それを知らない、考えたこともない人が大半です。
日蓮大聖人は、いかなる人の生命も「十界」を具えており、その中の1つに「仏界」という仏様と同じ素質があることを明かしています。詳しくは、こちらの記事をご覧ください。
この「仏界」というのは、いかなる逆境をも乗り越えていく強い生命力を具えた境界です。また、自分の生命に「仏界」が涌現すれば、周りの環境もそれに感応し、自然とその人を守る働きとなってきます。これを仏法で「依正不二」といいます。
このように、もし自分の生命に「仏界」が涌現すれば、いかなる逆境をも乗り越える「生命力」が湧き、環境もその人を守る働きとなり、幸福な境界に変わってきます。生活上に不可思議な御守護を頂き、自然と道が開けてくるのです。
だから、たとえ新型コロナウィルスが蔓延する中にあっても、これを乗り越えていくことができるのです。
いえ、新型コロナだけではありません。人生のあらゆる苦難を乗り越えていくカギも、実はこの「生命力」にあるのです。
今後、新型コロナを引き金とする経済崩壊や、巨大地震、異常気象、内乱、他国の脅威等が起きてくることを思えば、強い「生命力」をつけていくことがいかに大事かがおわかり頂けると思います。
命に仏様が宿ってくださる方法=勤行
「へえ、そんなにすごい話があるなんて知らなかった!でも、どうしたら『仏界』って湧いてくるの?やっぱり、難しいんでしょう?」と思われた、そこのあなた!
ご安心ください!その方法はとても簡単なんです。
自分の家で、朝晩、「勤行」を実践していく―ただこれだけです。
「えっ、ウソ?そんなに簡単なの!?」と驚かれるかもしれませんが、何を隠そう、そんなに簡単なんです(笑)
この勤行の実践により、私たちは御本尊の功徳を頂き、幸せになり、一生のうちに成仏させて頂けるのです。私たちの生命に、仏様が宿って下さるからです。なんと有難いことでしょうか!(詳しくは、こちらの記事をご覧ください)
朝晩、勤行を実践していくと、「有難い」という歓喜の心が湧いてきます。これは自分の命に仏様が宿ってくださるからです。すると、何ということでしょう!毎日がとても楽しくなってくるのです。そして、気づけば悩みが解決し、仕事や生活も守られ、真っ暗だった人生に希望の光が差してきます。自然と道が開けてくるのです。これが日蓮大聖人の仏法の大利益です。
また、たとえ過去世の宿業により、人生の途中で命を失うことがあったとしても、御本尊を強く信ずる人は必ず成仏を遂げさせて頂けます。人は必ず死ぬのですから、透徹した目で見れば、寿命の長短は問題ではありません。最も大事なことは、一生のうちに成仏が叶うか否かです。
このことが本当に命に収まったとき、生きるも死ぬも、すべてが有難くなってきます。「成仏」という無上の仏果を得させて頂ける「ゴール」が約束されているからです。なんと有難いことでしょうか!詳しくはこちらの記事をご覧ください。
勤行が一番楽しい!
いかがでしょうか。朝晩、勤行を実践していくと、こんなにも有難い大利益を頂けるのです。ですから、私は、朝晩の勤行そのものが、実はとっても楽しいんです(笑)勤行していると、何とも言えない有難い気持ちに包まれます。
最後に、この勤行の有難さをお教えくだされた、浅井先生のご指導を拝してみましょう。
当体義抄
当体義抄には
「正直に方便を捨て、但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、乃至、本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり」と。
「本門寿量の当体蓮華の仏」とはまさしく日蓮大聖人の御事です。
我ら凡夫が、ただ御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身がそのまま当体蓮華の仏に成ると仰せ下されている。
まことに勿体ない、恐れ多い限りでありますが、我ら凡夫の身がそのまま御本尊、日蓮大聖人と一体にならせて頂ける。
すべては御本尊の仏力・法力によるのであります。
だから私たちは何もわからなくてもいい。ただ御本尊を信じて、日蓮大聖人の御名を南無妙法蓮華経と唱え奉れば、「名は必ず体に至る徳あり」で、自然と体である御本尊・日蓮大聖人と一体になり、我ら凡夫が仏に成らせて頂ける。これが即身成仏です。
ゆえに本因妙抄には
「信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば、凡身即仏身なり」
とズバリと仰せ下されている。
そして臨終には、その証拠が現われるのです。
だから私は、顕正会員の良き臨終の報告を聞くたびに、いつも有難さが込み上げてくるのであります。
一生空しく過せば万劫必ず悔いる
そして日寛上人は最後に、こう仰せでしょう。
「故に唯仏力・法力を仰ぎ、応に信力・行力を励むべし。一生空しく過して万劫悔ゆることなかれ」と。
人間に生まれることは難しいのです。決して当り前と思ってはいけない。だから「自殺願望」などというのは、とんでもない勘違いですね。
もし一生空しく過してしまったならば、いつの日にか、再び人間に生まれることができようか。
だからこの一生のうちに、何としても成仏させて頂かなくてはならない。さもなければ万劫に悔いを残す。死んだあとで「しまった」と言っても、もう遅いのです。
勤行がいちばん楽しい
そうなると、勤行を怠けてはいられない。勤行が喜びになる、歓喜になるのです。
だから私は、勤行がいちばん楽しい。
勤行のときは、もう難しい御法門のこともすべて忘れる。そして赤ん坊が母親の乳房にすがって無心におっぱいを飲むように、ただ有難い、ただお慕わしいの思いだけで、南無妙法蓮華経を唱え奉る。
だから、私は勤行がいちばん楽しい。
大聖人様は御義口伝に
「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」
と仰せ下されている。
そのうえ、今はすでに広宣流布の前夜ですよ。このとき大事な御奉公をさせて頂けるのは、なんと有難いことか。
「多摩会館御入仏式」顕正新聞平成29年7月25日号より
いかがでしょうか。なんとも有難いご指導ですね。書いているうちに、だんだんと勤行が待ち遠しくなってきました(笑)
この恋慕渇仰の勤行こそ、新型コロナはもちろん、いかなる人生の苦難をも明るく乗り越えていくための肝要なのです。