「御遺命守護の戦い」年表

公式ホームページを見ていたら・・・

 以前から、浅井先生の「御遺命守護の戦い」をわかりやすく年表にまとめてみたいと考えていました。でも、これが意外と難しくて、「あれも、これも」と内容を盛り込み過ぎると、膨大な量になってしまいます。

 ところが先日、顕正会の公式ホームページを見ているとき、ふと「顕正会の足跡」というページがあるのを思い出しました。

 さっそく読み返してみたところ、なんということでしょう!浅井先生の「御遺命守護の戦い」の肝要部分が、とてもわかりやすくまとめられているではないですか!

 そこで、私がヘタな年表を作るよりも、これを見て頂くのが一番ではないかと思い、今回の記事にそのままURLを貼り付けることにしました(笑)

 宗史に刻まれる浅井先生の御遺命守護の激闘、そして顕正会の大河のごとき歴史を、ぜひこの年表を通して大観して頂ければと思います。

【顕正会の足跡】

顕正会の足跡 | 冨士大石寺顕正会 - 公式サイト
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御遺命破壊と御遺命守護の「本質」

 いかがでしょうか。この年表をご覧頂けば、昭和40年代に起きた御遺命破壊の大悪と、顕正会の御遺命守護の戦いの「本質」が、自ずと見えてくるのではないでしょうか。

 浅井先生は、御遺命破壊の本質につき、広布前夜に御遺命成就を何としても妨げんとする「第六天の魔王の働き」であり、御遺命守護の戦いの本質につき、「大聖人様がこの大悪をお許しにならなかったもの」と指導くださいました。

 そもそも正系門家・冨士大石寺は、日蓮大聖人の御遺命たる本門戒壇の建立を唯一の宿願・悲願として死身弘法をしてきた宗門です。

 では、御遺命の本門戒壇とはいかなるものかといえば、三大秘法抄に示されるごとく、「王仏冥合・王臣受持」すなわち広宣流布の暁に、「勅宣並びに御教書を申し下して」すなわち国家意志の公式表明を手続として建立される国立戒壇です。ゆえに歴代上人もまた、国家意志の公式表明による戒壇建立を700年間叫び続けてこられたのです。

 この伝統法義に対して異議を唱えた貫首は、創価学会の池田大作に阿諛追従した第66世・細井日達と第67世・阿部日顕の2人だけです。

(右から)池田大作、細井日達、阿部日顕

 つまり、日蓮大聖人、日興上人以来、一貫不変であった本門戒壇の正義、すなわち広宣流布の暁における国家意志の表明による戒壇建立は、この2代の貫首によって否定され、改変されてしまったのです。これが「御遺命破壊」の大悪です。

 このとき、宗門全僧俗が池田の威を恐れ、時の貫首の権威に盲従する中、ただ御一人、御遺命の正義を堅持され、学会・宗門の御遺命破壊を諌めてこられたのが浅井先生です。その結果、学会・宗門ともに「御遺命の戒壇」と讃嘆した偽戒壇・正本堂は、わずか26年で崩壊し、地上からその姿を消したのでした。これまさしく、大聖人が御遺命破壊の大悪を許し給わず、浅井先生をして諫暁せしめ、諸天をして学会・宗門に自界叛逆を起こさしめ、正本堂を打ち砕き給うたものと伏して拝するのほかありません。

わずか26年で崩壊した偽戒壇・正本堂

 そこに、偽戒壇・正本堂が大聖人の御威徳によって消滅した以上、宗門は御遺命違背の大罪を深く懺悔し、御遺命の本門戒壇の意義を「正本堂以前」に戻さなければなりません。具体的には、国立戒壇(広宣流布の暁における国家意志の公式表明を手続とする戒壇)の正義に立ち還らなければいけないのです。

 あの細井日達ですら、正本堂以前においては、「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命である」(大白蓮華昭和35年1月号)、「事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇堂を建立することでございます。勿論この戒壇は広宣流布の時の国立の戒壇であります」(大日蓮昭和36年5月号)と正義を述べていたのですから―。

 しかるに宗門は、正本堂が崩壊した後も、未だに国立戒壇の御遺命に背き続けているのです。

 このことは、平成16年8月の全国教師講習会、そして今般(平成31年2月)その内容に加筆・修正を加えて発刊された「近現代における戒壇問題の経緯と真義」なる冊子において阿部日顕が、「結局、道理から言っても『国立戒壇』は誤りですから、『国立戒壇論の誤りについて』のなかにおいて『国立戒壇が間違いだ』と言ったことは正しかった」などと放言しているとおりです。

近現代における戒壇問題の経緯と真義

 このように、現在の宗門僧俗は、未だに御遺命の正義に背き続けているゆえに、大聖人の御心に背き、現身に罰を受け、悉く無間地獄に堕ちていくのです

「常住此説法」=大聖人の御眼を恐れよ

 さて、ここまでわかりやすく書いても、「法主絶対論」で洗脳されている法華講員などは、「でも、時の猊下が仰っしゃることなんだから、それに従うのが正しいんだ!」と言い張ることでしょう。

 もちろん、時の貫首上人の仰せが御金言に照らして正しいときは、それに従うのが当然です。しかし、もし違っていたらどうすべきか。そのときこそ、「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」との日興上人の御遺誡にまかせ、御本仏の御金言を本としなければなりません。

 大聖人は弘安5年10月13日に御入滅されるも、「非滅の滅」であられれば、而も実には滅度せず、常に此に住して法を説いておられます。

 その大聖人の御前で、大聖人が御自ら定められた「勅宣並びに御教書を申し下して」等の条件を勝手に歪曲した挙句、正本堂崩壊後も未だに背き続けているのですから、大聖人の御心に背き、御罰を被ること必定です

 要するに、大聖人の御金言と歴代上人の御指南のままに御遺命の正義を堅持しているのが浅井先生率いる顕正会であり、細井日達・阿部日顕の己義に従い御遺命の教義を改変したままにしているのが現在の宗門(日蓮正宗)ということです。仏弟子ならば、大聖人の御眼をこそ恐れなくてはなりません。

「大事に小瑞なし」

 最後に、基礎教学書における浅井先生のご指導を通して、これまでの激闘の総括と、これからの御奉公の姿を拝したいと思います。

 日興上人は遺誡置文の冒頭に「富士の立義、聊も先師の御弘通に違せざる事」と記し給うておられる。以来七百年、ただ清純に、大聖人の御法魂たる戒壇の大御本尊を護持し奉り、国立戒壇建立の御遺命を熱願して来たのが、冨士大石寺門流である。

 この唯一の正系門家において、なぜ今、国立戒壇の御遺命が否定され、さらに戒壇の大御本尊否定という極限の大謗法まで出来したのであろうか―。

 それは、広宣流布が近いからである。広布前夜のこの大悪こそが、広宣流布・国立戒壇建立の大瑞なのである。

 大聖人様は仰せあそばす。「大事には小瑞なし、大悪起これば大善きたる。すでに大謗法国にあり、大正法必ずひろまるべし。各々なにをか嘆かせ給うべき。迦葉尊者にあらずとも、舞をも舞いぬべし。舎利弗にあらねども、立ちて踊りぬべし。上行菩薩の大地より出で給いしには、踊りてこそ出で給いしか」(大悪大善御書)と。

 広宣流布・国立戒壇建立は、御本仏日蓮大聖人の究極の大願であられる。この大事が成るときには小瑞はない。想像を絶する極限の大謗法までついには起きる。そして、その大悪こそが、大事が成る大瑞なのである。

 さらに撰時抄には広宣流布の前相を「其の時、天変地夭盛んなるべし。乃至、前代未聞の大闘諍一閻浮提に起こるべし」と。すでに世界大闘諍そして他国侵逼の影はいま日本に刻々と迫りつつあるではないか。

 また上野抄には「ただをかせ給え。梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」と。大海の潮が満ちるように、時いたれば広宣流布は一時に成る―と仰せ給う。その「時」は、すでに近い。

 広宣流布の時には、大聖人様は諸天に申し付けて、日本一同が信ぜざるを得ぬ客観情勢を作らしめ給い、同時に無数の地涌の菩薩に一国を諫暁せしめ給うのである。

 すでに二百万の仏弟子の大集団は濁悪の日本国にあり。その死身弘法はやがて一千万・三千万・六千万となる。この集団は一念も御仏を忘れ奉らず、ただ大聖人様の御意のままに、身命も惜しまず「早く日蓮大聖人に帰依し奉り、国立戒壇を建立すべし。これより外に亡国を遁れる道はない」と一国を諫暁する。

 この諫暁の師子吼が、天下にこだまし一国に満つるとき、日本国一同、一時に信じ、頭を地につけ掌を合わせて「南無妙法蓮華経」「南無日蓮大聖人」と唱え奉るのである。

 すべては日蓮大聖人の絶大威徳による。

 この大事の御化導をお手伝いさせて頂ける顕正会は、何と有難い立場であろうか。「舞をも舞いぬべし」の仰せが胸に湧く。

 すでに凡慮を絶する「正本堂崩壊」の大現証は見せて頂いた。御遺命の国立戒壇建立は大地を的とする。いよいよ恋慕渇仰・不惜身命の絶対信に立ち、共に励まし共に労り、最後の御奉公、命かけて貫かせて頂こうではないか―。以上。

基礎教学書・第10章