顕正会と政治

顕正会と「政治」の関係は?

 最近、安倍晋三元首相の銃殺事件を機に、邪教・統一教会と自民党との深い癒着がクローズアップされるようになってきましたね。

 顕正新聞8月25日号の「世相閻魔帳」では、謗法にまみれた政権与党の実態を、「現在の自民党は戒壇の大御本尊を捨て奉り『極限の大謗法』を犯した学会、外道の教えで人々を苦しめる統一教会、『神国日本』を目論む邪教・生長の家の原理主義者たちが中核を担う日本会議等の謗法団体とあまりに密接な関係を有している」と指摘していますが、そのおぞましさには思わず慄然としました。

 こう書くと、顕正会のことをよく知らない方は、「ふん!そんな偉そうなこと言ったってダメさ!どうせ顕正会も政治権力にすり寄って、政治家とズブズブの関係なんでしょう!?」と疑うかもしれません。

 でも結論から書くと、それは全くの間違いです。

 顕正会は、権力にへつらわず、自ら政治に出て権力を得ようともせず、ただ信心の力で大聖人様の仏力・法力を頂き、毅然として時の政治権力を仏法に帰伏せしめる「在野の諫暁団体」だからです。

 浅井先生のご指導を拝してみましょう。

顕正会は「在野の諫暁団体」

 妙信講(注、顕正会の前身)は信心一本の講中です。いかなる権力にもへつらわず、近づかず、ただ正直に「正法は国を治め、邪法は国を乱す」との御意を生一本に一筋に云い貫く在野の諫暁団体であります。

 その為にうまく立ち廻れず逆境に立とうとも、大聖人は必ず御照覧下さるに違いない。かって御在世において熱原の農民の方々が地位も権力も、財力も持たずに唯信心の力で御意に叶う御奉公を為し遂げた。妙信講も捨身の信心で、与えられた諫暁団体の大使命を堂々と果たしていこうではありませんか。

 広宣流布は仏意・仏勅であります。凡夫の力で出来るのではありません。

 今の慢心している政治家共も、一同に大聖人に合掌する時が必ず来るのです。一切に行き詰って身に危険が迫った時、どれほど我慢な者でも手を合わせる。あの大悪のダイバですら、臨終の苦しみには「南無」と唱えたということです。

 今の日本人も大聖人を軽んじ慢心するとも、国家的な罰の体験を味い、政治も行き詰まり、経済も手が打てなくなった時、そして第三次世界大戦の危険が身に迫った時、始めて一切のおごりを捨てて、ちょうど子供が親に強く叱られた時思わず嘆願するように、「南無日蓮大聖人」と合掌する時が来るのです。

 本門戒壇はこのように大聖人に帰依する真心が一国にみなぎった時、始めて建てられるのであります。(冨士42・6月号)

「顕正会『試練と忍従』の歴史」

 いかがでしょうか。昭和42年のご講演にもかかわらず、まるで今頂いたご指導のようですね。それは浅井先生のご指導が一貫不変だからです。

 ちなみに、創価学会が大聖人様の御遺命である「国立戒壇」を放棄したのは、公明党をつくり選挙に出て政治権力を得ようとの野心を懐いた第3代会長・池田大作に魔が入り、御遺命よりも選挙の方が大事になってしまったからです。

 このとき、学会・宗門の御遺命違背を諫め、一国に対して国立戒壇の正義を堂々と叫んでこられた御方は、浅井先生ただお一人です。

 また、安倍晋三元首相が憲法を改正し、国家神道を復活させ、日本を「神の国」せんとする野望を懐いていることを見抜かれた浅井先生は、平成25年2月から令和3年11月に至るまで、なんと62回にわたって顕正会の集会でこれを責め、そのご講演を掲載した顕正新聞を彼のもとに送付し続けました。しかし、安倍晋三元首相は、体調不良を理由に2度も辞任しながら、なお政権の座を狙い、「神国日本」という謗法の実現に執念を燃やしていました。ここに諸天は許さず、彼はついに銃弾に斃れ、その野望は永遠に潰えたのです。

 このように、御本仏日蓮大聖人の仰せを基準として、たとえいかなる権力者が相手であってもその謗法を敢然と諫め、御遺命実現に身を捨てて戦ってこられたのが浅井先生です。この姿を見れば、時の政治権力にへつらい、すり寄る反社会的な邪教や学会・公明党とは次元を異にする顕正会の清純さは一目瞭然ではないでしょうか。

 まさに浅井先生率いる顕正会こそ、いかなる権力にもへつらわず、また自ら政治に出て権力を得ようともせず、ただ信心の力で毅然と時の政治権力を諫め、仏法に帰依せしめる「在野の諫暁団体」なのです。