冨士大石寺顕正会の令和4年11月度総幹部会で、来年(令和5年)の教学試験の出題範囲が発表されました!
それによると、来年は登用・5級・4級試験があり、登用試験のテキストは「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」、5級試験のテキストは「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」と「最後に申すべき事」、4級試験のテキストは「立正安国論謹講」のようです。
浅井先生は、教学試験の目的について、「試験を通して日蓮大聖人の御事を知り、信心を深めるためである」「信心が深まれば勤行が楽しくなる。人にも勧めるようになる。それが一生成仏と広宣流布につながるのである」と仰せ下されています。
そこに浅井先生が心血を注いで著わして下さった「基礎教学書」を拝読して恋慕渇仰の信心を深めさせて頂ける有難さは言葉に尽くせません。
いま私の組織でも、先輩を中心にみなで基礎教学書を学んでいますが、拝読するほどに日蓮大聖人の大恩徳と三大秘法の大功徳に胸が高鳴り、「なんて有難い仏法なんだろう!」と感激でいっぱいになります。
世間には無数の書籍があふれていますが、拝読するだけでこんなにも歓喜が込み上げてくる本は他にないと思います。そして、この「有難い」「お慕わしい」との理屈ぬきの恋慕渇仰の思いが、わが身の功徳と一生成仏、そして広宣流布に立つ原動力になるとは、なんと凄いことでしょうか。
私もはやる思いでイソイソと教学研鑽に励んでいきたいと思います。
「最後に申すべき事」は、浅井先生が平成17年、100万顕正会の解散を賭した対決申入れから完全逃避した阿部日顕に送付された一書です。
阿部日顕というのは、当時、宗門(日蓮正宗)の管長だった人物で、「御遺命の破壊」、「戒壇の大御本尊に対し奉る誹謗」、「謗法与同」という三大謗法を犯した大悪人、師子身中の虫です。
浅井先生は、このような大悪人が宗門の貫首として蟠踞するのを大聖人様がお許しあそばすはずがないと、護法のため公開対決を申し入れました。しかし、阿部日顕をはじめ宗門のすべての僧俗は、この顕正会の命運を賭した公開対決の申入れから、ついに逃げてしまいました。ここに宗門(日蓮正宗)の敗北が確定したのです。
しかし「これでは事は済まない」と、阿部日顕の三大謗法に止めを刺し、その邪智・悪逆の骨髄を断ち切ったのが「最後に申すべき事」でした。
すると、なんと言うことでしょう!浅井先生が本書を阿部日顕に送付した直後、阿部日顕が導師を務める御開扉の際、なんと大御本尊の御前の大扉がどうしても開かないという未曽有の事態が発生したのです。これに怖畏を感じた阿部日顕は、ついに浅井先生の求めに応じて猊座を退きました。まさに「大聖人様の御裁断」と拝し奉るほかありません。
「立正安国論謹講」は、浅井先生が立正安国論の重大御聖意を詳しく解説して下さった書籍です。
立正安国論というのは、日蓮大聖人の一代御化導を貫く大綱の御書で、文応元年7月16日、時の国主・北条時頼に対し、「一切の邪法を捨てて三大秘法の正法を立て、仏国を実現すべし」と促し給うたものです。
ことに未だ何の兆しもない時に、仏法の道理に照らして「自界叛逆」(国内の反乱)と「他国侵逼」(他国の侵略)の二難を厳然と予言され、それが寸分違わず的中した大現証には、御本仏の仏智の偉大さにただひれ伏すばかりです。
まさに立正安国論こそ、理論と現証の一致をもって御教示下された、未来永遠にわたる国家安泰・世界平和の一大指南書なのです。
そして「仏国」実現の方途である「立正」とは、三大秘法を立てること、その所詮は広宣流布の暁に「勅宣・御教書」たる国家意志の表明を手続として国立戒壇を建立することであれば、国立戒壇の御遺命を捨てた創価学会・宗門(日蓮正宗)には、もはや立正安国論の御聖意がわかるはずもありません。
そこに、国立戒壇の御遺命をただ一人守り奉られた浅井先生から、立正安国論の御聖意を正しく教えて頂ける「立正安国論謹講」の有難さがあるのです。
来年は広布の決戦場の第4年。20年代に入ってからの激動を思えば、いったいどんな年になるのでしょうか。月々日々に色濃くなる三災七難の様相をみれば、「広宣流布甚だ近し」と思わずにはいられません。
「何(いか)なる世の乱れにも」(呵責謗法滅罪抄)の御金言を胸に、いま一重の強い信心に立ち、来年もがんばっていきたいと思います!