いつもブログをお読みくださる皆さま、令和7年の新春、あけましておめでとうございます。
本年は広宣流布の決戦場たる20年代に突入して6年目。ますます激動と混迷を極める日本と世界を横目に、2028年・令和10年までに断じて300万をなし、日本を動かす第三度の一国諫暁に立たんとご決意される浅井会長のもと、全顕正会は一致結束して爆発的な折伏弘通を展開しています。
そこに昨年12月度総幹部会において会長より頂いたご指導はたいへん有難く、決戦場第6年の本年、いよいよ力強い大前進をなさんと決意するものです。
ご報恩の思いだけで前進した一年
ご講演の冒頭、浅井会長は、昨年一年間の前進を振り返られました。
先生のご遺志を継ぎ、ただそのお心だけを見つめ前進を重ねた結果、会員総数は259万513名となり、300万まで残すところ40万9千余名となったこと。
この当初からは想像もつかない大前進が叶った不思議について会長は、「蒼蠅驥尾に附して万里を渡り…」との立正安国論の一節を引いて、次のように指導下さいました。
「一日にさほど飛ぶ力がない青バエでも駿馬という優れた馬の尻尾に付いていけば一日に万里を渡るという。
私たちはそれぞれ智恵もないし力もない、言うに甲斐なき凡夫ではあるが、先生が命を焦がして熱願してこられた国立戒壇建立を真剣に見つめて前進するところに、大聖人様から格別の御守護を頂き、そして先生に手を引かれて、自分たちでは想像もできないような御奉公が叶う身になっているのである」と。
すべては大聖人様の御意に適う正しき団体に身を置き、正しき師匠に師事し得たゆえであり、この一年の大前進こそ、「このまま先生が指さされたごとくに御奉公を貫いていけば、必ず日本を動かす三百万は大事に間に合い、大聖人様があそばす順縁広布のお手伝いが叶う」ことを意味するものとお聞きしては、勇躍歓喜を抑えられません。
次いで会長は、昨年の御奉公をつぶさに列挙されました。
浅井先生の御逝去という深い深い悲しみの中、「知恩報恩」の思いで立ち上がられた会長のもと、日曜勤行の再開と御書講義のネット配信により全顕正会員が先生のご指導に包まれる中、「大聖人様に久遠元初から付き随われた本眷属、遣使還告のお方」であられる先生の仏法上の重大なお立場をしかと拝しました。
また、体力の衰えが窺われていた先生が命がけの思いで愛媛会館御入仏式に赴かれたお姿、ご逝去3月前に記された「あと5年以内に成すべし」との300万へのご決意、「早く、大聖人様の唯一の御遺命たる国立戒壇建立を実現しなければいけない」と我ら弟子に最後に遺された甚重のご命令、全顕正会員が国立戒壇建立への誓いを新たにした一周忌法要、そして顕正会「第二の原点」を刻んだ最終法戦、ついに成し遂げられた顕正会始まって以来の4万5千名に及ぶ大折伏。
これら一つ一つが瞼に浮かんでは、この一年の前進がいかに偉大であったかが胸に迫り、すべては会長の強きご一念によるものと伏して拝するばかりです。
先生が顕わされた「眼前の証拠」
次いで浅井会長は、「顕正会の大前進の根底にあるものは、先生の御金言どおりの美事な成仏の妙相であり、これこそが私たちの大確信の源である」として、重大指導を下さいました。
智恵浅き私たちには、難しい教義によって仏法の正邪を判断することができません。しかし浅井先生が顕わされた眼前の証拠、すなわち偽戒壇・正本堂の崩壊、解散処分で潰れて当然の顕正会が三百万になんなんとする仏弟子の大集団となった不思議、そして御金言に毫末も相違せぬ先生の成仏の妙相を拝見するとき、浅井先生そして顕正会の正しさが理屈抜きにわかります。なんと有難いことでしょうか。
いま先生のご恩徳と良き臨終が記された「特別追悼号」によって、多くの学会員や一般の人々が続々と入会・入信してきていることを聞くほどに、「先生はご自身の臨終という『眼前の証拠』を以て、学会員を、そして全日本人を救っておられる」との会長の仰せが強く胸に迫ります。
また会長は、同志の良き臨終に寄せて、「これ現在の顕正会の前進が、大聖人様の御心に寸分違わずの証拠」と有難さに咽ぶとともに、「私は、先生がご逝去された際に堅めた、あの紅涙の誓いを果たせず、志半ばで臨終を迎えた同志の思いを決して忘れない。国立戒壇建立の暁まで、それら同志の熱い思いを担い御奉公していく所存である」と述べられました。
会長が、御遺命成就をともに誓った純粋けなげな同志たちの臨終を、いかなるお心でお聞きになっておられたのか。総幹部会で良き臨終についての報告を、いつも身じろぎ一つせず、登壇者をまっすぐに見つめて聞いておられる会長の、胸の奥に秘められた深く温かなお心を伺っては、思わず涙が溢れました。
創価学会の凋落が急加速
一方、創価学会の凋落ぶりはまことに顕著で、池田大作の不自然な死亡公表と悪臨終により、いよいよ崩壊の時を迎えています。
浅井会長は、学会が恐れ多くも日蓮大聖人を凡夫視し、久遠元初の自受用身にてましますことを否定した「未曾有の邪教化」をごらんになるや、「もし先生がこの未曾有の邪教化をごらんになれば何と仰せられるか」を謹んで拝し、三度にわたって徹底呵責されました。
すると、この「未曾有の邪教化」をもたらした「創価学会教学要綱」を発端として、学会教学部の元重鎮が執行部に反旗を翻すという醜い自界叛逆が起こり、にわかに内部分裂が表面化してきたのです。なんと凄い展開でしょうか。
会長は、「『末法万年までの正本堂』と謳われ、学会・宗門の誰もがその永続を信じて疑わなかった偽戒壇・正本堂が、先生の諫暁によって凡慮を絶する不思議を伴い音を立てて崩壊したごとく、池田大作亡きあとの学会も一時に崩壊すること、断じて疑いない」「すべては大聖人様の御仏意であり、先生のご一念によるものと伏して拝している」と仰せられましたが、偽戒壇・正本堂が浅井先生の諫暁によって崩壊したように、創価学会もまた、先生のご遺志を継ぐ浅井会長の呵責によって必ず崩壊することを確信するばかりです。
「今一重強盛に御志あるべし」
最後に浅井会長は、昨年の前進を振り返るほどに、「大聖人様の厳たる御守護と、先生が進むべき道を指し示し、グイグイと手を引いておられる」ことを実感し、ゆえに「顕正会の前進は必ず亡国に間に合い、お役に立たせて頂けるものと私は確信している」と述べられた上で、大事な指導を下さいました。
「しかし、決して油断があってはいけない」と。
会長は、「人の心かたければ、神の守り必ずつよし」「其れよりも今一重強盛に御志あるべし」との乙御前御消息の一節を引かれ、これこそ〝いささかも信心の油断があってはならぬ〟との大聖人様の大慈大悲であり、「恋慕渇仰の絶対信に立つ日妙殿においてかくのごとし。いかにいわんや愚鈍の我らにおいてをや」として、次のように仰せられました。
「現在の顕正会の前進は、先生から託された御遺命成就への御奉公を、わずか一歩踏み出したに過ぎない
私たちが見つめるべきところは、2028年・令和十年までに断じて三百万を成し、あらゆる社会の階層に力ある広布の人材を打ち揃え、日本を動かすその大陣容を以て、先生のご遺志のままに第三度の一国諫暁に立たせて頂くこと。
そして先生が命を焦がして熱願された国立戒壇建立を成し遂げることである。
ゆえに、この一年の戦いを終えた今、私は『人の心かたければ、神の守り必ずつよし』『其れよりも今一重強盛に御志あるべし』との仰せを深く命に刻んでいる」と。
顕正会始まって以来の空前の大折伏がなされるも些かも油断せず、私たちが見つめるべきところは日本を動かす三百万、そして御遺命成就の一事であると力強く示され、今一重のご決意を堅められる会長の凛然たるお姿を拝見しては、愚鈍な自身も何としても会長の驥尾に付し、御遺命成就のお役に立たせて頂かんと決意せずにはいられません。
迎えた広布の決戦場第6年、「先生の大忠誠心より発する広布の大情熱、捨身のご決意、無限の責任感を一分なりとも知る弟子として、もしわずかの困難で愚癡や弱音を吐いたら、先生にお叱りを受けると、私は常に自誡している」との会長のお言葉を胸に、私も広告文と特別追悼号を手に、広宣流布のお手伝いに励んでいきたいと思います!