来年(令和7年)の教学試験のテキストは・・・

 11月度総幹部会で、来年(令和7年)の教学試験の出題範囲が発表されました。それによると、来年は登用・5級・3級試験があり、登用試験と5級試験のテキストは「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」、3級試験のテキストは同書に加えて「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」のようです。

 ことに今回は、浅井会長から直々に、教学の大事と有難さを懇切に教えて頂き、大感激でした。

「有難い」の思いで

 まず浅井会長は、顕正会の教学のあり方と学び方、そして目的について、次のように仰せ下さいました。

 本年も大勢の人たちが入信・入会してきておりますが、それらの同志に、基礎教学書を通して、日蓮大聖人の尊さ、御本尊様の有難さを教えていきたいのであります。

 先生は顕正会の教学についてかく仰せであります。

 「顕正会の教学は、しりたげな法門を名利のために学ぶのではない。信に始まって信に終わる。

 信心があれば、日蓮大聖人の仏法を少しでも知りたいと思う。そして学べばますます信は深まり、絶対信を得る。この信心が成仏につながるのである」と。

 教学を学ぶに当っては、心のない暗記をする必要はありません。繰り返し繰り返し命に刷り込む思いで基礎教学書を拝読することが大事であります。

 そして読み終えたときに「なんと尊い仏様にお値いできたものか。なんと有難い御本尊様に縁できたものか。これで私も成仏させて頂けるのだ」と心から「有難い」という思いが湧いてくればそれでよい。それこそが「教学を学ぶ目的」であります。

 この歓喜が、成仏への唯一の実践法たる恋慕渇仰の信心口唱となり、また宿命転換の大利益を頂ける折伏の実践へと繋がり、かくて一人ひとりが力ある広宣流布の人材に成長していくのであります。

顕正新聞令和6年12月5日号

 いかがでしょうか。「信に始まり信に終わる」顕正会の教学は、信心を深め、一生成仏と広宣流布につながる絶対信を得ることが目的です。ですから、心ない暗記をする必要はなく、「繰り返し繰り返し命に刷り込む思いで拝読を重ねる」ことが何より大事なのだと。なんと有難いことでしょうか。

「基礎教学書」は先生のご信心の結晶

 次に浅井会長は、「基礎教学書」がいかに尊く有難い書籍であるかについて、次のように指導下さいました。

 先生は、現代人に日蓮大聖人の仏法をわかりやすく伝えたいと、平成元年に基礎教学書の元になった「折伏理論解説書」を発刊された際、こう仰せ下さいました。

 「過去何十年も大聖人様の御書を拝読しては、感激した御文をノートに書き留めてきた。それをどのように理解せしめていくか思索を重ねた。

 夜寝ていても目が覚めて『こういう表現で書こう』とヒントが浮かぶと夜中の何時でも起きて忘れないうちにメモをとった。それをまとめたのが折伏理論書である。これには顕正会発足以来の私の思いが詰まっている」と。

 その折伏理論書を土台として大幅に筆を加えられたものが「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」であります。

 海のごとく広く深い日蓮大聖人の仏法の肝要を、愚鈍の我らが平易な言葉で学ぶことができるのは、決して当り前のことではありません。

 お若きころから日寛上人の御指南を通して御書の極理を師伝され、血の滲むご研鑽を重ねられた先生が、心血を注いで著して下さった基礎教学書なくしては決して叶うものではなく、これこそ先生のご信心の結晶というべき重書であります。

 そして、日蓮大聖人の大事の御遺命と、広布前夜の正系門家をいかなる大魔障が襲い、それを先生がいかに身命を賭して守り奉られたのか、御遺命守護の戦いを通して、先生の仏法上の重きお立場をしかと拝することができます。

 されば、先生の「まさに広宣流布のための『基礎教学書』である。全顕正会員が熟読し、心肝に染めてほしいと念願している」とのお心を体し、深く学んでいかねばなりません。

顕正新聞令和6年12月5日号

 いかがでしょうか。浅井先生が過去何十年もの歳月をかけて研鑽された御書の極理を、何としても現代人にわかりやすく伝えたいと、昼夜を別たず思索に思索を重ねてまとめられたものが「基礎教学書」であり、「顕正会発足以来の私の思いが詰まっている」との先生のお言葉を伺っては、まさに「先生のご信心の結晶」と大感動が込み上げます。

正本堂崩壊をもたらした「平成二年の諫暁書」

 次に浅井会長は、「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」の凄さと重大意義について、次のように仰せ下さいました。

 以前にもお伝えしましたが、先生はこの諫暁書を認めておられるときにかく仰せ下さいました。

 「この諫暁書を書きながら、強く感じたことがある。それは、阿部教学部長の深く巧みなる誑惑を破折しているうちに、自然と国立戒壇実現への道が、はっきりと浮かび上がってきたことである。顕正会の一国広布への戦いの道が、この悪書のおかげではっきり見えてきた。

 私は書きながら、〝すべて大聖人様が手を取って教えて下さった〟ということを、肌身に感じ、喜びおさえがたきものをおぼえた」と。

 三大秘法抄の文々句々をズタズタに切り刻み、御本仏の御聖意をねじ曲げに曲げた阿部日顕等のたばかりを破折された先生のお筆は、あたかも剣豪の太刀捌きのごとく痛快きわまりなく、日蓮大聖人の御金言と、日寛上人等の歴代先師上人の御指南を縦横無尽に引用され、あらゆる邪難を自在に一刀両断されるさまは「巧於難問答の行者」そのもので、大忠誠心から発するその護法のご一念にはただ圧倒され、言葉にならぬ感動と興奮を抑え切れません。

 その中に、「王仏冥合」「王臣受持」のうえに「勅宣・御教書」の発布という国家意志の公式表明を以て富士山天生原に建立される国立戒壇こそが日蓮大聖人の御遺命であり、それこそが日本を金剛不壊の仏国と化す唯一の秘術であることが太陽のごとく明らかになり

 さらには、真の国主たる皇室の重大使命をはじめ、仏法の眼から見た憲法論、さらには個人と国家・国家と仏法の関係等を詳らかにされる先生の卓抜のご見識は誰人も比肩すること能わず、広布前夜にかかる重大事を顕わされた先生に畏敬の念でいっぱいになりました。

 まことに御遺命破壊という未曾有の大悪を以て、かえって御遺命の本義・御本仏の御聖意を燦然と輝かしめられた「変毒為薬」と拝し、かかる歴史的重書を恣に学ばせて頂ける我らの宿縁を強く噛みしめるべきであります。

 そして、この諫暁書と横浜アリーナ大総会における先生の捨身の師子吼によって、それまで一枚岩であった池田大作と阿部日顕は「修羅と悪竜の合戦」のごとき凄絶・醜悪なる死闘を展開し、ついに偽戒壇・正本堂は轟音とともに崩壊したのであります。

 先生は諫暁書の「あとがき」に「すべては諫暁書のままになったのである」と記しておられますが、立正安国論奥書の「未来亦然る可きか。此の書は徴有る文なり」との一節が彷彿とし、御遺命の国立戒壇も凡慮を絶する不思議を以て必ず事実となるとの大確信が込み上げてまいります。

顕正新聞令和6年12月5日号

 いやはや、なんとも有難いですね!

 広布前夜にたった一度だけ起こる、第六天の魔王の働きによる御遺命破壊の大悪。その大悪の深く巧みな邪難をすべて一刀両断し、かえって御遺命の本義、御本仏の御聖意を燦然と輝かしめられた浅井先生とは、一体いかなるお方であられるか。まさに会長仰せのごとく「久遠元初以来の大聖人様の本眷属」と拝するほかなく、しかもこの諫暁書によってついに偽戒壇・正本堂が崩壊に至った史実を拝見するとき、まさに広布史上に永遠に刻まれる「歴史的重書」であることは間違いなく、かかる重書をほしいままに学ばせて頂ける宿縁を噛みしめるばかりです。

 今年ももうすぐ終わり、明年はいよいよ広布の決戦場第6年。

 「これまでに入信した同志を励まし教学をともに学ぶ中、多くの人材を育て、広布の決戦場第六年を戦う万全の態勢を整えていこう」との会長の仰せを胸に、私も後輩とともに教学研鑽に励み、明年を戦う万全の態勢を整えていきたいと思います。