三百万への誓い

「三百万への誓い」特集号が出来しました

 冨士大石寺顕正会の7月度総幹部会を特集した、顕正新聞8月5日号が出来しました。その名も「三百万への誓い」特集号

 今回、浅井会長は、昨年の6・7月法戦の成果表の余白に、浅井先生が記されたメモを見つけたことを教えて下さいました。そこには、先生が心中密かに思い定めておられた三百万の達成時期が書き留められていたのです。

 「300万までの残、563,964人、あと5年以内に成すべし」と。

 このことをお聞きした瞬間、私自身、言葉にならない衝撃を覚えました。同時に、「あと4年、2028年・令和10年までに大成長をもってお応えせん!」との闘志が湧いてきました。

 それでは、さっそく内容を見ていきましょう。

三万突破の死身弘法

 いま顕正会の弘通の勢いは凄まじいものがあります。

 浅井先生が御逝去されて以降、すべての法戦で過去最高の弘通がなされており、この6・7月も「3万2040名」という空前の大折伏がなされました。

 会長は、「この大前進は凡夫になし得るものではなく、偏に大聖人様の御守護、そして先生が手を引いて下さっておられるものと思っては涙が込み上げてくる」と。広布の前進が新たな段階に入ったことを感じます。

先生の一周忌に成長した姿ご覧頂かん

 会長は、浅井先生が御逝去されてからの9か月あまり、先生の大聖人様に対し奉る大忠誠心と深きご慈愛・ご恩を一日片時たりとも忘れたことはなく、「甚重の師恩に一分でも報いてまいらんと前進を重ねてきた」と。

 そして、10月16日の先生の一周忌を迎えるにあたり「霊山にまします先生に弟子の成長した姿を晴れてごらん頂き、ただ三百万を早める折伏を以て御報恩に擬し奉らんと心に決めている」と明かして下さいましたが、会長の師弟相対の深きお心に命が震えました。

「出世本懐成就御書」の重大さ

 次いで会長は、7月に拝聴した「出世本懐成就御書」の重大さを指導下さいました。

 熱原の法難における法華講衆の「一心欲見仏・不自惜身命」のお振舞いこそ、大聖人出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」御建立への「唯願説之」であり、浅井先生の66年にわたる激闘もまた国立戒壇建立への「唯願説之」であったこと、ゆえに「今、先生のご遺志を継いで戦う私たちこそ本抄を命に刻み、大聖人様に南無し奉る熱原のごとき信心で、その御跡を慕う大気運を巻き起こさねばならない」こと、さらに出世の御本懐たる「戒壇の大御本尊」を捨てさせられた全学会員こそ本抄を心腑に染め、池田大作一党の大罪を知らねばならないこと・・・。

 これらの大事を指導頂いては、本抄の重大さがいっそう胸に迫り、御在世と先生の激闘に厳然たる御本仏の賞罰を深く命に刻み、私も「師子王の子」になって御遺命成就の御奉公に御供させて頂く決意です。

顕正会「原点の月」8月

 次いで会長は、迎える8月は顕正会の「原点の月」であるとして、顕正会の一貫不変の大精神を指導下さいました。

 ちなみに、なぜ8月を「原点の月」というのかといえば、顕正会の「発足」と「解散処分」という2つの大事が、ともに8月だからです。

 当初、宗門最大の末寺・法道院に所属するも、信徒をカネ集めの道具とし、無理な供養を強いる道念なき住職の姿をごらんになった浅井先生は、「この寺院に所属していては、広宣流布の御奉公はできない」と、苦難をご覚悟のうえで昭和32年8月3日に「妙信講」(顕正会の前身)を発足し、「小細工は必要ない。ただ信心で行けばいい。大聖人様の御意に適う信心さえあれば、必ず道は開ける」との確信で進まれた結果、怨嫉する住職の頭越しに第65世・日淳上人より異例の講中認証を賜ったのでした。

 その数年後、池田大作と細井日達により偽戒壇・正本堂の誑惑が始まったことを思えば、まさに御遺命破壊という未曽有の大悪が起こる直前に、浅井先生率いる妙信講が発足したことは本当に不思議であり、「すべては御仏意であり、必然であった」との会長の仰せを深くかみ締めるばかりです。

 その後、浅井先生が「御遺命守護の戦い」にお立ちになり、学会・宗門と激烈なる論判を交わされると、学会は二度も文書で誑惑を訂正し、細井管長は宗門の最高指南たる「訓諭」の訂正文まで作りました。なんと凄まじいご気魄でしょうか。

 すると、このまま行けば御遺命違背の悪事が露見すると恐れた池田大作は、昭和49年8月12日、ついに細井日達をして妙信講に解散処分を下さしめたのでした。ふつうの団体なら潰れて当然です。

 しかし浅井先生は、「解散させられても折伏はできる。折伏は形式ではない。大衆に謗法を捨てさせ、南無妙法蓮華経と唱えしむることが折伏なのである。この時、御本尊をお下げしないのは宗務院が悪い。だがそれを理由に折伏を怠ければ妙信講の怠慢となる。解散処分を受けても、折伏を進める講中がたった一つだけあったということを、宗門の歴史に残そうではないか」と叫ばれ、それまで宗門の歴史で誰も行ったことのない、「遥拝勤行による大規模な死身弘法」を強力に推進されたのでした。

 かくて先生は、死身弘法を背景に諫暁を重ねられ、偽戒壇・正本堂をわずか26年で崩壊に至らしめ、顕正会を三百万になんなんとする仏弟子の大集団になさしめたのです。

 まさに「発足」から「解散処分」、さらには今日に至るまでの66年に及ぶ浅井先生の一貫不変の御精神こそ、「大聖人に対し奉る一筋の忠誠心、すなわち広宣流布の大道念以外にない」ことを伏して拝しては、熱涙がこみ上げます。

「解散処分」の重大意義

 そこに浅井会長は、「奇しくも解散五十周年の大節に当たる本年の八月をここに迎え、謹んで鑑みるに――」として、大事な指導を下さいました。

 「まさしく、御遺命のゆえに蒙った解散処分により、先生が率いられる顕正会は日本国で唯一御本仏の御遺命を守り奉り、国立戒壇めざして戦う仏弟子の大集団となった」と。

 そして、「これ下種御本仏の順縁広布の御化導が最終段階に至ったものと恐れながら拝する」と。

 いかがでしょうか。御遺命破壊という700年来未曽有の大悪が出来したとき、熱原のごとき不惜身命の大忠誠を貫かれた浅井先生が死罪に等しき「解散処分」を蒙ったことで、御遺命成就の願主となる「仏弟子の大集団」が出現するとともに、いよいよ御本仏の順縁広布の御化導が「最終段階」を迎えたのだ――と。

 なんと重大な「時」に生れ合わせたのかと、震える大感動を抑えられません。

あと4年で三百万を断じて成さん

 最後に会長は、浅井先生が昨年記し留められた「300万までの残、563,964人、あと5年以内に成すべし」とのご筆記と、亡国をもたらす激動の客観情勢をごらんになり、次のように叫ばれました。

 「私は、先生がご決意された2028年・令和10年までに三百万を断じてなし、第三度の一国諫暁に立たせて頂かんとお誓いするものである

 「六十六年にも及ぶ大河のごとき先生の激闘は、偏に御遺命を成就するためのものであれば、その大事な御奉公を先生より託された私たちの果たすべき責務の重みを痛いほど感じ、ただ非力のすべてを抛ち、『師子王の子』として『立正』成就の唯願説之の戦いに身を捨てん」と。

 この浅井会長の重大なご決意をお聞きしては、私も非力のすべてを抛ち、あと4年に赤誠を尽くしてお応えせん!との闘志がこみ上げます。

 この二度とない「仏法を得べき便り」にお手伝いが叶うとてつもない宿縁を噛みしめ、広告文と特集号を手に、胸躍る大歓喜で広宣流布のお手伝いに励んでいきたいと思います!