時に適う御奉公

「時に適う御奉公」特集号が出来しました

 冨士大石寺顕正会の4月度総幹部会を特集した顕正新聞5月5日号が出来しました。その名も「時に適う御奉公」特集号

 浅井会長は「佐渡御書」と浅井先生の激闘を通して、全顕正会員が先生の「師子王心」を心腑に染めて立つべきこと、そして「時に適う御奉公」とは何かを教えて下さいましたが、大感動でした。

 それではさっそく内容を見ていきましょう!

「佐渡御書」を心腑に染めよ

 みなさんは「佐渡御書」という御書をご存じでしょうか。

 これは大聖人様が御年51歳の文永9年3月、流罪の地・佐渡で著わされた御書です。あの開目抄の翌月、同抄と同じ御趣旨を、平易・簡略にして改めて門下一同に下されたものです。

 浅井先生は、佐渡御書の大意について、「日蓮大聖人の師子王のごとき御振舞いを通して、『仏法のために身命を惜しまぬ者、必ず仏に成る』ということを、我ら末弟に教えて下さった御書」と仰せです。

 では、大聖人様の師子王のごとき御振舞いとはいかなるものでしょうか。それはあの竜の口の法難を拝見すればよくわかります。

 大聖人様は、邪法を信ずる国家権力者と悪僧らの結託により、理不尽な死罪をお受けになられました。しかし大聖人様は、師子王のごとき御気魄で泰然と頸の座に臨まれ、御頸まさに刎ねられんとした刹那、突如「月のごとく光りたる物」が出現。ついに国家権力がひれ伏してしまったのです。

 この不惜身命の御修行により、大聖人様はついに久遠元初の自受用身の成道を遂げられ、末法下種の本仏と顕われ給うたのです。

 かかる実証体験を裏付けとして、大聖人様は全門下に対し、次のように仰せ下さいました。

 「師子王の如くなる心をもてる者、必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し」と。

 なんと崇高で力強いお言葉でしょうか。

師子王心に同心し奉った熱原の法華講衆

 こう書くと、「大聖人様はなんとすごい仏様なんだろう。私たち凡夫には、とても真似できません・・・」と思う方がいるかもしれません。本当にそうですよね。

 でも私たち臆病な凡夫も、この師子王心を凡心に映すことができるのです。

 浅井先生のご指導を拝してみましょう。

この師子王心は、御本仏しか持ち得ない。凡夫は臆病なものである。しかし臆病な凡夫も、大聖人に南無し奉る信心に立つとき、忠誠心に立つとき、御本仏の師子王心を凡心に映して、身命を惜しまず御奉公を貫くことができる」と。

 御在世にその実証を示して下さったのが、あの熱原の法華講衆です。

 名もなき農民が、当時天下の棟梁・平左衛門の「汝ら、法華経を捨てて念仏を唱えよ。さもなければ首を刎ねん」との脅しにも屈せず、「南無妙法蓮華経」と一死を賭して唱え切った振舞は、とうてい凡夫のなせるわざではありません。

 これこそ大聖人様の師子王心に同心し奉った姿であり、未来事の広宣流布の瑞相、国立戒壇建立の先序です。ゆえに大聖人様は深く深く御感し給い、法華講衆を「願主」として、ついに出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」を建立されたのです。

浅井先生の「師子王心」を拝せよ

 それから七百年、広布前夜に至り、正系門家に未曾有の大悪が起きました。それが、第六天の魔王その身に入る最高権力者・池田大作に、「時の貫首」以下の全僧俗がへつらい、偽戒壇・正本堂を建て、大聖人唯一の御遺命たる国立戒壇建立を否定した「御遺命破壊」の大悪です。

 このとき、御遺命をただ一人守り奉られた浅井先生もまた、御本仏の師子心に同心し奉り、身命を賭して御奉公を貫かれたのでした。

 先生がいかに佐渡御書を心腑に染められていたか。それは「佐渡御書こそ妙信講の精神」との常の仰せと、御遺命守護の激闘のさなかに7回も講義されたことを見てもわかります。

 そこに全講員は本抄を心腑に染めて大勇猛心に立ち、あの激烈な御遺命守護の戦いがなされ、偽戒壇・正本堂はついに音を立てて崩れ去ったのです。なんと凄いことでしょうか。

 では、浅井先生の何ものをも恐れぬ「師子王心」とは、いかなるものだったのでしょうか。それは解散処分の前夜、御身の破れるのをご覚悟のうえで決然と諫暁に立たれたときの師子吼を拝すればよくわかります。

 「それでは妙信講はどうなるのか、つぶされるではないかと・・・。

 へらぬ口のようではあるが、解散・除名などは少しも悲しむことではない。嘆くにはあたらない。むしろ喜びである。

 妙信講には世間の失一分もない、ただ法を惜しむゆえに、いま大聖人様の御遺命を守り奉り、御金言に方人申し上げている。その為に首を刎ねられるなら本望ではないか

 「妙信講の悲しみはすでに御遺命が曲げられてしまったことにある。正系門家が公式決定として、無慚にも御遺命を曲げてしまった。かかる仏法の最悪の事態を見ながら、妙信講だけは安穏である、そしてのうのうと嬉し顔にて暮らしていては、大聖人様に申しわけが立たない」と。

解散処分は「最高の勲章」

 また、浅井先生の師子王心・大忠誠心が、いかに堅固であられたか。それは、数年前のある日、先生が会長に仰せられたお言葉に表われています。

 「近い将来、正しき貫首上人が御出になった時、私は松本日仁尊能化の擯斥処分の取り消しを直ちに求める。

 しかし顕正会の解散処分については違う。ただ御仏智に任せ奉るの思いではあるが、私からは絶対に解散処分の取り消しは求めない。

 なぜなら、大聖人様の御遺命を守り奉ったゆえに蒙った『解散処分』は、仏弟子にとって最高の『勲章』だからである。こんなに有難いものはない」と。

 いかがでしょうか。大恩ある松本尊能化の御事を常に念頭に置かれる忠義もさることながら、解散処分から半世紀を経てなお、いささかも変わらぬ先生の大聖人様に対し奉る一貫不変の大忠誠心には、ただただ涙が込み上げます。

 浅井会長は、この先生の崇高な御心について、次のように仰せられました。

 「信心なき愚人の毀誉褒貶など一切目もくれず、ただ大聖人様の御頷きを賜ることのみを本望とされる先生の、どこまでも澄み切ったご信心に涙が止まりませんでした。

 普通の凡夫であれば、理不尽な解散処分を受ければ、ただその非道を恨み、あるいは愚痴や不満を募らせ、あるいは抗議を行い、あるいはそれを以て事を成し遂げられぬ言いわけとすることでありましょう。

 これ、己れの名誉や保身を大事に思うがゆえ、そして忠誠薄く、心弱きゆえであります。

 しかるに、先生におかれては、大聖人様の御悲しみ・御憤りをそのまま御身に味わわれ、むしろ不当なる死罪を蒙ったことを大聖人様の御心に適い奉るの悦びとされる、そのあまりにも崇高にして透徹のお心に、ただ低頭するばかりであります

 「私たちは、かかる浅井先生の弟子であります。ならば全員が先生の大忠誠心を深く命に刻み、いかなる魔障も困難も乗り越えて、御遺命成就の重大御奉公に勇み立たねばなりません」と。

 思えば、御在世に戒壇の大御本尊の「願主」となられた熱原の法華講衆は、大聖人様の師子王心に同心し奉り、あの大事な御奉公を貫かれました。

 いま広布前夜に御遺命成就の御奉公を貫き、国立戒壇建立の「願主」となるべき顕正会こそ、全員が浅井先生の師子王心を心腑に染めて立たん――との浅井会長の御心をひしひしと感じては、「私も『師子王心』に立たせて頂きたい」との想いが衝き上げます。

遥拝勤行と広告文こそ時に適う御奉公

 最後に浅井会長は、広布最終段階における「時に適う御奉公」とは何かを教えて下さいました。

 大聖人様が佐渡御書に「正法は一字一句なれども、時機に叶いぬれば必ず得道なるべし。千経万論を習学すれども、時機に相違すれば叶うべからず」と仰せのように、成仏は「時に適う修行」によってはじめて叶うのであり、いかに経論を学び御書をそらんじたとしても、時に適わなければ成仏は叶いません。

 そこに、広布最終段階における「時に適う御奉公」とは何でしょうか。

 浅井会長はズバリ、「恋慕渇仰の『遥拝勤行』に励み、大聖人様の大恩徳が顕わされた『広告文』を以て広宣流布のお手伝いをしていくこと」とお示し下さいました。

 では、なぜ「遥拝勤行」なのでしょうか。

 1つには、正系門家が御遺命に背く師敵対に陥っているからです。このとき、御遺命に背いて参詣することはかえって罪を作ることは、内房尼御前への仰せに明らかです。ゆえに距離を乗り越えて直接、戒壇の大御本尊を遥拝し奉る遥拝勤行こそ、まさに時に適った信行なのです。

 2つには、この恋慕渇仰の遥拝勤行こそ、大罰により日本国一時に信ずる広宣流布のとき一国に満ち満ちる信行であり、国立戒壇建立の「唯願説之」につながるからです。

 次に、なぜ「広告文」なのでしょうか。

 1つには、いま発行部数1億部にならんとする広告文こそ、日蓮大聖人の大恩徳を全日本人に教える「開目」のメスだからです。亡国の大罰たる他国侵逼が眼前になるとき、全日本人が日蓮大聖人の大恩徳にめざめて帰依信順するうえで、広告文による事前告知が不可欠です。

 2つには、正系門家で最大の信徒団体だった創価学会が、身延と同じく大聖人様を凡夫視して貶める「未曾有の邪教化」に陥った今、大聖人様こそ久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏であられることを声を大にして顕わさなければならないからです。その大事を全日本人に教えるのが、他ならぬ広告文なのです。

 浅井会長は「まさしく遥拝勤行と広告文こそが広布最終段階の『時に適う御奉公』」であること、ゆえにそれを実践する私たちは、今生には功徳を頂き、後生には永遠に崩れぬ成仏の大果報を得させて頂けることを教えて下さいましたが、これもすべては大聖人様の御声を信心の耳で聞き奉られる浅井先生が確立し、遺して下さった信行であれば、「この大なる師恩、何を以てかこれを報ぜん」とのご報恩の思いが込み上げます。

 私も恋慕渇仰の「遥拝勤行」と「広告文」で「時に適う御奉公」を真っすぐに貫き、御遺命成就のお手伝いに励んでいきたいと思います!