広布の決戦場第5年を迎えました

「六百万学会員を救わん」特集号2が出来しました

 令和6年の新春を迎えました。今年もよろしくお願いします。

 さて、顕正新聞1月5日号が特集号として発刊されました。その名も「六百万学会員を救わん」特集号2!

 第1面に広がる霊峰富士の美しい写真には心が洗われ、第10面の「顕正会発足より今日までの弘通の足跡」に刻まれた「浅井昭衞先生御逝去(令和五年十月十六日)」の御文字を拝しては粛然と襟が正されました。

 それにしても、元旦号が「特集号」として発刊されたのは、今回が初めてではないでしょうか。本特集号には、昨年12月度総幹部会における浅井会長のご講演が掲載されていますが、「六百万学会員を救い、急ぎ三百万を成し遂げん」との浅井会長の御心の表れと伏して拝しては、私もこの特集号を手に一人でも多くの学会員を救っていきたいと思います。

 それでは、さっそく見ていきましょう。

池田大作の臨終に刮目せよ

 ご講演において浅井会長は、浅井先生の御逝去のわずかひと月後というタイミングで池田大作の死亡が発表されたことに「厳たる御仏意を拝する」として、その所以につき、「浅井先生の美事な臨終の相と、臨終の相について全く言及のない池田大作のそれとの天地の違いに、多くの学会員が深刻なる動執生疑を起こすこと必定だから」として、「これこそ『入阿鼻獄』となる六百万学会員を救い給う大聖人様の大慈大悲」であることを指導下さいました。

 学会首脳部がどのような考えで池田の死亡を発表したのか知りませんが、ちょっとタイミングが悪すぎますよね。浅井先生の美事な成仏の妙相に全顕正会員が大歓喜とご報恩の思いで奮い立つ中、池田大作の方は、家族葬で密かに荼毘に付したことを後から発表し、しかも学会幹部をはじめ誰一人その臨終の相に触れられないのですから・・・。

 これこそ、池田大作が決して誰にも見せられない悪臨終だったことを雄弁に物語っています。

 こう書くと、「そ、そんなの言いがかりだ!池田先生の臨終の様子を公表するかどうかは学会が決めることで、顕正会にとやかく言われる筋合いはないっ!」という学会員の悲痛な叫びが聞こえてきそうです。

 でも、大聖人様の弟子にとって最も大事なことは何でしょうか。それは「臨終」です。なぜなら、臨終の相こそ、成仏・不成仏を判ずる決め手だからです。

 浅井先生は、大聖人様が御書の至るところで、臨終を証拠として仏法の邪正、信心の純・不純、強弱を厳しく判じ給うておられることに寄せて、「ここに生きた仏法を拝する」「大聖人の弟子として、臨終のことを重大と思わなくなったら、それはもう仏法ではない、大聖人の弟子ではない」と断じられましたが、池田の臨終の相に一言も触れられないこと自体が、学会のやっているモノが「仏法」ではなく、彼らが「大聖人の弟子」ではないことの証なのです。

 浅井会長は、なぜ全学会員が池田大作の臨終の相に刮目しなければならないのかについて、「学会員にとって『永遠の師匠』である池田大作の臨終の相は、学会が大聖人様の御意に適うか否か、ひいては『師は針のごとく、弟子は糸のごとし』であれば、全学会員の成仏・不成仏を占う重大事」ゆえ、と指導下さいました。

 この仏法の道理を噛みしめるほどに、「翻って、浅井先生の御金言どおりの成仏の妙相は、先生のご信心が大聖人様の御意に適い奉るゆえであり、よって先生が指さされたまま信心修行に励むならば、一生成仏を遂げさせて頂き、ついには広宣流布の大願も成就することを意味しているから、有難いのである」との仰せが命に沁み入り、なんとも言えない有難さに包まれました。

 この特集号を手に、臨終の大事と「私は六百万学会員を救いたい」との浅井先生の御心を伝え、一人でも多くの学会員を救っていきたいと思います。

浅井先生のご指導こそ広布へのレール

 次いで浅井会長は、昨年12月3日から再開された日曜勤行により大勢の顕正会員が大歓喜と大熱気で沸き立っていることに触れられ、これらの構想を打ち出した目的につき、「偏に三百万の大陣を急ぎ構築せんがため」と仰せられ、「それには、北は北海道から南は沖縄にいたる、日本のあらゆる地域に、社会のあらゆる階層に、信心強き人材が老若男女を問わず、無数に出てこなければならない。そして一人ひとりが、百人・千人・万人を率いる力ある広布の人材に成長しなければならない」と指導下さいました。

 今回の総幹部会では、「公認会計士」や「弁護士」の試験に若くして合格した優秀な方たちの登壇発表が印象的でしたが、今後あらゆる地域、あらゆる階層に力ある広布の人材が続々と出てくることを思うと、胸の高鳴りを抑えられません!

 では、どうしたら「力ある広布の人材」に成長することができるのでしょうか。

 浅井会長はズバリ、次のように指導下さいました。

 「入信した大勢の同志を、浅井先生のご指導にふれさせていくことが極めて大事であり、これこそが広宣流布までのレールである

 「御在世における日興上人・日目上人の峻厳なる信行を今に移された先生のご指導そのものが、『広宣流布のゴールまでのレール』なのである

 「これらを血肉とし、ただ真っすぐに前進するならば、私たちは必ず一生成仏と広宣流布を叶えさせて頂ける」と。

 いやはや、なんとも有難いですね。よく学会や宗門(日蓮正宗)から入会してきた人たちが浅井先生のご指導を拝聴して、「こんな凄い指導は学会では聞いたことがない!」、「坊主の話は退屈で眠いだけだったけど、浅井先生のご指導は情熱と確信が違う!」と大歓喜して折伏に奮い立つさまを見聞きしますが、これこそ御遺命をただ一人守り抜かれた浅井先生だけがなし得る大聖人様の御心のままのご指導ゆえと伏して拝しては、この有難いご指導を溢れんばかりに拝し、歓喜雀躍して広宣流布に勇み立つことができる私たち顕正会員の立場は何と有難いのかと、感激でいっぱいです。

 私も後輩たちと一緒に浅井先生のご指導を心肝に染め、力ある広布の人材に成長していきたいと思います。

広宣流布は必ず成る

 最後に浅井会長は、「先生の御遺志を継いで広布最終段階を戦う私たちは『広宣流布は断じて成る』との、揺るぎない大確信に立つべきである」として、重大な指導を下さいました。

 もし、日本一同に日蓮大聖人を信じて南無妙法蓮華経と唱えるに至る「広宣流布」を「凡夫の力」で実現しようとしたら、ちょっと難しそうですよね?

 でも、広宣流布は「凡夫の力」でやるのではありません。御本仏・日蓮大聖人の絶大威徳と大慈大悲によって一時に成るのです。

 かつて浅井先生は、次のように指導下さいました。

 「広宣流布ができるとか、できないとか、私は少しも心配したことがない。すべては大聖人御一人の絶大威徳と大慈大悲によって成されるのである。私たちはそれぞれの立場で、力に随って、大聖人の御化導をお手伝い申し上げれば、それでいいのである

 「『春を留めんと思へども夏となる』と。大聖人様のお力で広宣流布は必ず成る。これは歴史的必然なのである」と。

 いかがでしょうか。信心のない学会・宗門の輩ならいざ知らず、大聖人様を「絶対の御本仏」と信じ奉る私たち顕正会員は、この浅井先生のご指導を深く拝し、命の底から「広宣流布絶対」を確信することができます。だから顕正会は強いのです。

 次いで浅井会長は、「三時の弘教は則ち如来の告勅なり。進退全く人力に非ず」との日目上人申状を引かれ、正・像・末の三時に仏法が流布することも「すべて仏様のお力による」ことを、像法時代の聖徳太子と伝教大師、御在世の法華講衆と上野殿と日興上人・日目上人、さらに不世出の大学匠・第26世日寛上人の御姿を通して指導下さいましたが、大事な時に大事な方が出現して大事な使命を果たしてきた仏法の不思議を目の当たりに拝し、大感動が込み上げました。

 そこに、日寛上人が広宣流布のため「後代の君子」「後世の弟子」に贈られた御筆記を、16歳で立正安国論を拝して発心されたお若き浅井先生が防空壕の中で手にされ、その御指南を通して御書の極理・仏法の奥義を拝され、たったお一人で御遺命守護・成就の戦いにお立ちになり、あらゆる大魔障を打ち破って偽戒壇・正本堂を崩壊に至らしめ、日本を揺さぶる御在世以来の「開目の大運動」「広宣流布の大潮流」を起こされた御姿をつぶさにお聞きしては、ひとえに只事ではなく、「まさしく先生こそ、広布前夜に一度しか起き得ない御遺命破壊という未曽有の大悪が出来したときに、大聖人様が召し出されたお方」との浅井会長の仰せに、深く頷くばかりです。

 この先生の六十六年におよぶ戦いによって、いよいよ広布の決戦場に到達し、一国に「総罰」が現れる中、その大忠誠心・絶対信に異体同心する広布の一大生命体・顕正会が、亡国迫る日本に存在していることこそ、まさに「大聖人様の御遺志」であることを大確信しては、「まさしく『進退全く人力に非ず』、すべては御本仏の絶大威徳・大慈大悲によって、広宣流布は必ず成るのである」との浅井会長の仰せに大確信が込み上げます。

 広布の決戦場第5年、私も広告文と特集号を手に力づよい御奉公をなし、御遺命成就のお手伝いに励んでいきたいと思います!