学会・宗門から正しい顕正会へ(4)

 顕正新聞令和4年4月25日号が出来しました。今回も正義にめざめて顕正会に入会した方々の素晴らしい登壇がたくさんあり、大感激でした。いくつかを取り上げて紹介したいと思います!

「社会憲章」黙認の学会幹部に呆れる 御遺命死守の先生は何と凄いお方か

 Fさんは令和3年11月、創価学会から顕正会に入会しました。

 昭和40年頃、鳥取市内の宗門末寺・日香寺で妻と一緒に学会に入信したFさんは、正本堂の供養に参加し、勧められるまま聖教新聞等を購入、選挙のときは仕事を休んで動き回ったものの、功徳を感じたことはなく、8年前に学会を脱会しました。一方、妻は学会に籍を置いたままでしたが、脳梗塞と肺気腫を患い、Fさんが介護する生活を送っていました。

 そのようなとき、婦人部の総班長が広告文の訪問配布に来て折伏を受けました。総班長が浅井先生のご講演をDVDで視聴させていると、その場に学会員たちがやってきて妨害し、警察まで呼んだそうです。しかし、夜に再び総班長が来て、「顕正会で大聖人様に通じるお題目を唱えましょう」と折伏してくれ、まず妻が入会しました。

 その後、Fさんも妻と一緒に遥拝勤行を実践していくと、妻の唇がピンク色になり、顔色もよくなり、笑顔も見られるようになり、この功徳に感激したFさんは令和3年11月22日、鳥取会館で晴れて顕正会に入会したのでした。

 入会後、総幹部会DVDの視聴や顕正新聞の拝読、同志との感激の語り合いの中に、浅井先生のご指導に大感動したFさんは、「自分もお手伝いがしたい!」との思いが湧きあがり、職場の同僚や同級生等を次々に折伏し、3名の素直な入信・入会が叶いました。

 また、地区の学会幹部に本尊を返納する際、総班長から「創価学会 社会憲章」について問われたときの学会幹部の確信なき姿を見ては、「創価学会はすでに崩壊している」と感じたそうです。

 いまFさんは、大聖人に通ずるお題目を唱える中、正座ができるようになり、体調も良くなり、毎月の通院が2ヶ月に1回になる等、次々と有難い功徳を頂いており、「『全学会員を救いたい』との先生の御一念によって救って頂いた自身こそ三百万を急ぎ、鳥取の地より無二の師匠・浅井先生にお応えしてまいる決意」と熱く語っています。

「正本堂崩壊は大聖人様の御裁断」に衝撃 急ぎ全学会員に真実を教えたい!

 Hさんは令和4年2月3日、創価学会から顕正会に入会しました。

 50年前、学会二世の妻との結婚を機に学会に入信したHさんは、地元の組織をまとめる役職を任され、約10年間、大石寺に毎年登山していました。しかしその後、妻が精神疾患で体調を崩し、30年間の入院生活の末に亡くなり、妻と同じく学会員である義理の兄や妹も同じ精神疾患で亡くなったそうです。

 Hさんは妻が亡くなってからもしばらくは学会活動を続けましたが、次第に選挙だけの学会に疑問を感じて組織から離れました。体調不良のため病院を受診すると「心筋梗塞」との診断を受け、手術が必要と言われていたとき、知人の婦人部班長が折伏してくれたのでした。

 最初は入会を断ったものの、班長は顕正会の正しさ、お題目の有難さを熱心に伝えてくれました。そして、未入会のまま参加した総部のリモート座談会において、「御遺命の戒壇」と信じて長年登山していた正本堂が、実は「偽戒壇」であり、大聖人の御裁断により崩壊したことを知り大衝撃を受けたHさんは、自然と「素直に正しい信心がしたい」との思いが湧き、顕正会に入会したのでした。

 入会後、Hさんは恋慕渇仰の遥拝勤行に励み、「創価学会必ず崩壊」特集号を手にすると「すぐに学会員に配りたい!」との思いが衝き上げ、真実を何も知らない学会員に本当のことを知らせんと、いま広告文や特集号を近所の学会員宅に配布しています。「全学会員に必ず読んでほしい。騙されていることに気づいて、正しい信心をしてほしい」と願って、一軒一軒配布しているそうです。

 Hさんは現在82歳ですが、「残された人生、『入阿鼻獄』から救って頂いた自身こそ、一刻も早く学会員を救う戦いを進め、三百万を明日のごとく急がれる無二の師匠・浅井先生にお応えする決意」と熱烈に語っています。

姿を消した池田大作、集会も代読だった 「社会憲章」で学会の誤りハッキリわかる

 同じく学会から入会したHさんは、夫の暴力に怯える地獄界の生活を送っていたとき、学会員の友人に勧められて学会に入信しました。しかし、学会の会合では信心の話は一切なく、人の悪口を言い合うだけの集まりに嫌悪感を懐き、あるとき学会をやめたいと幹部に伝えると「やめるんだったら死んでしまえ」と罵られ、愕然としたそうです。

 そのような中、先に顕正会に入会した娘から折伏を受け、学会での嫌な経験から断ったものの、未入会のまま参加したビデオ放映等でみる顕正会員のまじめな姿勢に驚き、次第に顕正会の正しさを理解するようになりました。近所の学会員の目が気になり入会の肚が決まらないHさんに対し、娘は何度も折伏してくれ、「学会では幸せになれない。一緒に顕正会で信心したい」との言葉に心が動き、ついに「家族みなで幸せになりたい」と入会を決意し、令和2年4月、仙台会館で顕正会に入会したのでした。

 入会後はまじめに勤行を実践し、オンライン座談会に参加し、基礎教学書を学ぶほどに感激が込み上げました。そして、2月度総幹部会で先生より、学会が大聖人の御心に背く「創価学会 社会憲章」を新たに作ったことを聞いては「学会は間違っている」とハッキリとわかり、「このことを多くの学会員に伝え、救っていかなければ」との決意が込み上げました。知り合いの学会員に次々と電話をかけ、顕正会で信心していること、学会は間違っていることを伝えると、たとえ暴言を吐かれても先生の下で御奉公が叶う有難さが勝り、「あのおとなしかったHさんが…」と、生命力あふれる姿に驚く学会員もいるそうです。

 Hさんは学会当時、池田が書いたとする論文を、集会で毎回、幹部が代読していたことを思い出しては、「このときすでに池田は、現身に阿鼻の業苦を味わっていたのだ」と確信し、「いま大聖人様に直接通ずるお題目を唱えることが叶い、現当二世に功徳を頂ける身になり得たことが本当に有難く、これも偏に正しき師匠・浅井先生に師事し得ればこそと、師恩報謝の念でいっぱい」と溌剌と語っています。

先生に「入阿鼻獄」から救って頂いた! 遥拝勤行で大御本尊様に通ずる有難さ

 Nさんは令和4年2月19日、創価学会から顕正会に入会しました。

 山口県宇部市で生まれ育ったNさんは、理容院を経営する両親のもと何不自由なく生活していましたが、結婚を機に家庭不和等に苛まれて離婚。その後、再婚相手の妹から学会のビデオを見せられ、業が深い自分でも変われるかもしれないと、昭和60年、求めて学会に入信しました。

 しかし、当初から学会組織や池田大作に付いていく気は全くなく、池田大作は「外国に行って多くの勲章をもらうだけの人」という印象で眼中になく、聖教新聞の勧誘も選挙活動もせず、学会に対する不信が募ったものの、「日蓮大聖人様は絶対」と信じ、常に御本尊様を思い浮かべは心の中でお題目を唱えていたそうです。

 そのようなとき、顕正会の婦人部班長から折伏を受け、広告文に示された「成仏する者は、臨終ののち色が白くなり、軽く、柔らかく、かつ何とも柔和な相となる」との一文に仏法を知り得た喜びでいっぱいになり、「学会では教えてもらえなかった成仏のことを指導して下さる浅井先生は『正しい師匠』」と確信し、晴れて顕正会に入会したのでした。

 ていねいな入会勤行に安堵感が込み上げ、その日から熟睡できるようなる功徳を頂き、本物の信心に巡り値えた有難さが込み上げたNさんは、数日後、学会版本尊を学会の拠点に返しに行きました。次々と幹部が来て引き留めようとしましたが、Nさんは「学会は自分から入ったけど、成仏できないとわかったからやめる。顕正会の信心なら成仏できるから、ここでやる。誰にも迷惑はかけていないので、とやかく言われる筋合いはない」と言い切り、肩を落として帰る幹部を見ては、「この人たちは成仏が叶わないのだ」と可哀そうに思ったそうです。

 基礎教学書を学ぶと「三世常住の生命」「死は終わりではない」等、ずっと知りたかったことの答えが解き明かされていて大感激し、「誑惑の正本堂崩壊す」DVD等を視聴するほどに、悪師・池田大作の道連れにされて無間地獄に堕ちる直前に先生に救って頂いた感謝の思いが込み上げ、「浅井先生の急がれる戦いに私もお応えしたい」と奮い立ち、夫と友人4名の入会・入信が叶いました。勤行が続かなかった夫も、Nさんが職場の同僚が優しくなった等の功徳を語り続けると、「わしの数珠と経本はどこにある」と求めてきたそうです(笑)

 Nさんは、浅井先生の「忠誠の証」たる遥拝勤行の実践が叶う無上の喜びをかみしめ、自身が生まれ育った山口県宇部市に「山口会館」を建立して頂ける有難さ、そして間に合って先生をお迎えする戦いができる大果報に歓喜し、大情熱をもって広宣流布に御奉公する決意を語っています。

まじめな学会員・法華講員が続々と入会

 いかがでしょうか。皆さん、正しい顕正会に入会して功徳ある信心が叶う有難さに歓喜し、広宣流布・国立戒壇建立への燃えるような情熱がたぎっており、素晴らしいですね!

 まだまだ沢山あり、とてもすべては紹介しきれないのですが、あと少しだけ手短に紹介したいと思います。

 ある法華講員の婦人は、若い頃から長年、学会で活動するも、池田大作の代になって信心が堕落していく学会組織に不信感が募り、学会を離れて宗門に移ったそうです。しかし、宗門も広宣流布への情熱や活気がなく「悶々としていた」と吐露し、配布で知り合った女子部の総班副長に「これも何かの縁だから」と電話番号と住所を教えてくれました。

 後日、副長が改めてこの婦人を折伏すると、真剣に耳を傾けるものの入会を断っていましたが、別れ際に突然、婦人の方から「今から行かないの?」と副長たちを呼び止め、自ら入会の意志を示し、大阪会館で入会が叶ったのでした。

 婦人は入会勤行後、「きょう一日で、自分がこんなにたくさんのことができるとは思っていなかった。これも仏様のお導きですね」と本当に嬉しそうな笑顔で語り、それまで足腰が悪く杖を突いて歩いていたのが、帰りには杖なしで軽やかに歩けるようになった姿に大感激したそうです。

 婦人は、これまで学会・宗門への疑念から「実は『何が正しいんですか?』と大聖人様に祈っていた」そうで、これも大聖人様がお導き下さったものと有難さでいっぱいとなりました。

 学会員のOさんは、女子部の総班副長が折伏すると、他の顕正会員からも顕正新聞をもらって読んでいる様子でしたが、「学会から籍を移す気はない」と頑なだったため、2月度総幹部会における浅井先生のご指導を視聴させました。

 するとOさんは、「浅井先生のお姿は池田大作とは全く違う」と言い、白血病が完全寛解した体験発表には「凄い!」と驚き、Oさん自身、これまで病苦の連続であったことを話し始め、さらに「〝学会には功徳がない〟と思っていたところに、顕正会員から富士山に向かってお題目を唱えることを勧められ、遥拝勤行を実践していた」と明かしてきたのでした。そこで翌日、副長が改めて遥拝勤行の有難さを伝えると、ついにOさんは顕正会に入会が叶いました。

 島根県に住む学会歴40年の婦人は、特集号における浅井先生の「創価学会は必ず崩壊する」との仰せを読み聞かせると、掲載された遠山清彦の写真を手で叩きながら、「そう、この男が許せない。もう公明党の信用はなくなった」と言いだし、学会の間違いを認め、素直な入会が叶いました。

 山口県に住む学会歴60年の婦人は、顕正会の男子部班長から折伏を受けるも、「自分は学会で勤行していく」と逆縁でしたが、後日、班長が改めて特集号を持参し、2月度総幹部会のネット配信を視聴させました。

 すると婦人は、「池田大作こそ『吾が一門の人々の中にも、信心もうすく、日蓮が申す事を背き給わば…』とのお叱りに当る大悪人」との浅井先生のご指導を視聴するや、学会の呪縛から解き放たれたように大きく頷き、池田を「大悪人」と叫びだし、有難い入会が叶いました。

 婦人は入会勤行中、一所懸命にお題目を唱え、長年の苦労を思い出したのか涙し、「昔懐かしいころに戻った。気分が晴れた」「有難い、有難い」と何度もお礼を言っていたそうです。

 女子部班長の折伏で創価学会から入会したTさんは、大聖人の絶大威徳を初めて聞いて感激し、毎日勤行を申し上げ、「学会とは違う」と感激しており、日曜日の御奉公に喜んで連なり、折伏にも奮い立っているそうです。

遥拝勤行で大功徳が頂ける有難さ

 かつて浅井先生は、今や学会も宗門(日蓮正宗)も折伏弘通が全くできなくなってしまった中で、どうして顕正会は弘通が進むのかについて、次のように指導下さいました。

 答えはただ一つ。遥拝勤行に大功徳があるからです。

 いま学会も宗門も、第六天の魔王にたぶらかされて、大聖人唯一の御遺命たる「国立戒壇」を捨ててしまった。大聖人様の御心に背いては、登山しても勤行しても、大聖人様には通じない。だから功徳がないのです。

 その中で、顕正会はひとり大聖人様に忠誠を貫き、たとえ登山を妨害されても、一筋に遥拝勤行に励んでいる。ゆえに大功徳を頂くのであります。

「御遺命守護」特集号7

 いま学会・宗門(日蓮正宗)で罰を受け、功徳を失っていた学会員・法華講員たちが、浅井先生の御一念に引かれて続々と顕正会に入会し、遥拝勤行でたちまち大功徳を頂いている姿を見聞きしては、同志としてほんとうに嬉しく思うとともに、改めて顕正会員となり得た有難さをかみしめます。

 私も「忠誠の証」たる遥拝勤行に励み、大功徳を頂きながら一人でも多くのまじめな学会員・法華講員たちを救っていきたいと思います!