学会・宗門から正しい顕正会へ(5)

 顕正新聞には毎回、学会や宗門(日蓮正宗)から正義にめざめて顕正会に入会し、功徳にあふれている方々の登壇がたくさん掲載されています。今回は顕正新聞令和4年5月5日号、5月15日号からいくつか紹介したいと思います。

学会幹部の凄絶な末路、自身も罰の連続 学会授与の本尊を返納、遥拝勤行で大功徳

 令和3年2月に学会・宗門を経て顕正会に入会したHさんは、池田大作の側近中の側近で、後に池田から離反した元学会教学部長「原島嵩」の親戚にあたる方です。

 両親が学会幹部だったHさんは、20代で男子部長に抜擢されて選挙活動に飛び回り、牙城会の一員として池田大作の自宅周辺や学会本部の警備もしたそうです。

 その後、御遺命違背の罰で学会内部に自界叛逆が起き、原島嵩が池田に反旗を翻して宗門に移ったそうですが、最期は悲惨な悪臨終を遂げ、同じく池田に造反して宗門に移籍した山崎正友も金銭苦で病院にも行けず孤独死したそうです。

 一方、学会の罰も凄まじく、熱心に学会活動に励んだ母は46歳の若さで交通事故で急死し、Hさんも30歳のときに会社が倒産して約1億円の借金を抱えて一家離散になり、すべてを失いました。その後、職場の社長の誘いで宗門に移ったものの、広宣流布の情熱など微塵もない住職の姿に嫌気が差し、再び学会に戻るも不信感が頂点に達し、勤行すら実践できずにいたそうです。

 そのようなとき、女子部の支区長補が広告文配布でHさん宅を訪ねてくれ、広告文を片手に「顕正会だけが大聖人様に通ずるお題目を唱えている唯一正しい団体」と聞いて衝撃を受け、その情熱に心が動き、素直に入会したのでした。

 入会後、遥拝勤行を実践すると生命力が湧き、自身が唱えるお題目が大聖人様に通じていることを理屈抜きに実感し、オンライン総部集会に参加して同志の情熱と感激に触れると自然と「お応えしたい」との思いが湧き、折伏に奮い立ちました。

 するとその直後、弁護士から突然連絡があり、前年に亡くなった叔母の遺産を相続できると聞いては大変驚き、経済苦だったHさんは大聖人様のお励ましに大感激しました。

 その感激のまま、職場の顧客のSさんという93歳の学会員の婦人を折伏し、広告文と「学会員を救う特集号7」抜粋カラーコピーで大事を語り、「何としても八百万学会員を救いたい」との浅井先生の御心を伝えると、反発が一転して決定し、無事に入会が叶いました。

 入会後、「こんなに素敵なところに来られるなんて夢みたい、有難い」と手を合わせ、深々と御本尊様に頭を下げるSさんの姿を見ては、入阿鼻獄から救うことが叶った有難さが全身に充満し、Hさん自身、「救って頂いた御恩に報いるべく、浅井先生の急がれる三百万を見つめ、随力弘通の証を以てお応えしていく決意」と熱く語っています。

旧ソ連の非道、母・姉は爆死 父は捕虜 生き残った無念 正師に出値得た歓喜に

 令和2年に創価学会から顕正会に入会したMさんは、昭和34年、宿命転換が叶うと信じて学会に入信し、朝夕の勤行を欠かさず実践し、会合に参加し、叔母と従姉妹の入信を叶え、大聖人様・御本尊様絶対と信じていました。

 しかし次第に選挙一色になっていく学会に不信感を懐き、正本堂完工式にキリスト教神父を招いたと聞いては「学会は何かおかしい」と感じ、次第に組織から離れていきました。その後、勤行だけは続けていたものの、5年前に妻をガンで亡くしたMさんは大変ショックを受け、心はいつも重く悶々としていたそうです。

 そのようなとき、顕正会の婦人部総班長が広告文を持って訪問してくれ、基礎教学書を開いて1つ1つの疑問に丁寧に答えてくれ、雲晴れる思いになったMさんは、3度目の折伏でついに肚が決まり、本部会館で入会したのでした。

 入会後、恋慕渇仰の遥拝勤行に励むと心がスッキリし、それまでの暗かった気持ちが晴れ、味わったことのない安堵感に包まれるのを感じました。さらに、それまで苦しいものばかりだった夢の中に、亡くなった妻が微笑んで出てくる功徳を頂き、「大聖人様に直ちに通ずる恋慕渇仰の遥拝勤行とはなんと有難いのか」と実感したそうです。

 いまMさんは、浅井先生の下、国立戒壇建立を見つめた御奉公が叶う有難い宿縁に居ても立ってもいられず、本部会館に参詣するたびに広告文を購入し、学会員や元同僚を次々と折伏し、配布にも加わり、4名の素直な入信が叶っているそうです。

 入信した人たちを励まさんと自転車で2時間かけて通い、ともに基礎教学書の感激を語り合っているそうですが、現在85歳とお聞きしては、その熱烈な信心に尊敬の思いが込み上げます。

 また、Mさんの両親は満州開拓団で満州に渡り、Mさん兄弟もそこで生まれ育ったそうですが、父はシベリアで捕虜になり、母と姉たちは終戦3日前に旧ソ連が日ソ不可侵条約を破って攻撃したときに爆撃で亡くなり、当時シベリアにほど近い地域でたくさんの子供たちが声もなく銃殺されたそうです。

 それらの記憶は消えず、地獄のような思いを懐いて人生を送ってきただけに、Mさんは「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり」との御金言が心に沁み入り、遥拝勤行で母と姉たちの成仏を願い回向が叶うことが本当に有難く、心が晴れる思いになりました。

 Mさんは、いまウクライナがロシアに容赦なく侵略される姿を見ては、幼少の頃の体験と重なり、この悲惨をお救い下さるために大聖人様は「国立戒壇建立」を御遺命下さったのだと有難さが込み上げ、「すべてを解決する術は『国立戒壇建立』以外なし」との大確信で広宣流布に立っています。

池田大作の亡びの始まり、会合で目撃 入会後、恋慕渇仰の遥拝勤行に大感動

 令和3年9月に創価学会から顕正会に入会したMさんは、昭和60年、友人に誘われて23歳のときに創価学会に入信し、正本堂にも参詣し、学会活動に取り組む中、学会二世の妻と結婚し、2人の子どもにも恵まれました。

 しかし、御遺命破壊の学会に籍を置いて身の保つはずがなく、徐々に生活が狂い始め、Mさんを学会に誘った学生部長を務める紹介者は、家庭崩壊し、実の親にも見放され、誰にも看取られず50代の若さで亡くなり、Mさんは「池田大作を師匠と仰いでがんばった結果がこれか」と、学会への不信感が頂点に達したそうです。

 ちなみにMさんは、池田大作が学会員の前に最後に姿を見せた平成22年5月の同時衛星中継に参加していましたが、そのときの池田大作は呂律が回っていなかったそうで、「いま思えば第六天の魔王その身に入りし池田大作の亡びの始まりの瞬間だったのだ」と語っています。

 Mさん自身、学会で信心しても功徳は全くなく、罰で生活は苦しくなる一方で、妻はうつ病でパニック障害を発症し、2人の子どもも精神を患い、妻と娘から何度も刃物を向けられ、1年前には離婚をめぐる裁判が始まり、和解金として500万円を用意したものの、国際ロマンス詐欺で800万円を騙し取られ、弁護士にも逃げられる等、まさに福運が尽きて完全に行き詰まり、自宅で必死にお題目を唱えていたとき、顕正会の女子部員が訪問配布に来てくれ、その熱意に心が動き、顕正会に入会したのでした。

 入会後、恋慕渇仰の遥拝勤行を実践していくと、唱えるほどに心が穏やかに変わるのを実感し、浅井先生の激闘を拝しては「私も浅井先生の弟子として、仏法に人生をかけ切らん」と決意し、男子部に移籍後は先輩と連日感激を語り合い、御奉公に連なる中、学会では一度も味わったことのない有難い功徳を頂きました。

 Mさんは産廃回収の業務に従事し、肉体的にも時間的にも過酷な労働を強いられていたところ、顕正会で恋慕渇仰の勤行に励むと、知人から「スクールバス兼航空会社職員送迎の運転手をやらないか」と声をかけられ、好条件で転職が叶ったそうで、学会時代には味わったことのない大聖人様の大慈大悲を肌で感じたMさんは、大聖人様に通ずる正しい信心を教えて下さる浅井先生に感謝の思いでいっぱいとなり、「池田に騙されている真面目な学会員を必ずや『入阿鼻獄』から救っていかなければ」との決意に立っています。

まじめな学会員母子、反発から入会へ 息子「入信勤行の栞」に涙とまらず

 昨年8月に顕正会に入会したTさんは、学会二世でしたが、浅井先生の「悪師に付いて阿鼻獄に入る学会員を思えば、まことに不憫。何としても全学会員を救いたい」とのお心に衝き動かされ、学会員である妹家族を救う決意に立ちました。

 Tさんが先輩とともに妹宅を訪問すると、妹と夫・姑の3人が玄関先で「帰れ」と怒鳴り散らしてきましたが、それでも先生のお心を何としても伝えんと特集号を広げて真剣に語ると、なんと学会歴70年の姑が学会への怒りを露わにし、「これまで真面目に信心してきたけど、学会幹部の心無い言葉に不信が募り、学会版本尊を昨年返納した」と打ち明けてきたのでした。

 そこでTさんたちが特集号と顕正会版のお経本を見せ、池田大作は「本門戒壇の大御本尊」を全学会員に捨てさせたこと、顕正会の遥拝勤行こそ戒壇の大御本尊様に通ずることを伝えていくと、姑は遥拝勤行の有難さに歓喜し、「南無妙法蓮華経」と口にしたのでした。

 そして、同行した組長の10歳の娘さんの「私も遥拝勤行でたくさん功徳を頂いているよ。おばあちゃんも一緒にやろう」との言葉に背中を押され、ついに決定したのです。

 入会勤行後、姑は「心も身体もスッキリした」と晴々とした表情で語り、自宅へ戻ると、なんとその場で息子に感激を語り始めたそうです。

 すると、この姑の変わりように驚いた息子は、「実は毎日3時間の唱題をしてから仕事に行っているが、辛いことしかなかった」と胸の内を吐露し、正しい信心を求めて決定し、そのまま入会勤行となったのでした。

 入会勤行の際、息子は唱え奉るお題目が本当に有難かったようで、「入信勤行の栞」を読み上げると涙をこぼし、帰路の車中でも「涙が止まらない」と涙をぬぐい続け、帰宅後もしばらくの間、感涙を抑えられなかったそうです。

 これら「入阿鼻獄」から救われた真面目な学会員の姿を見ては、全学会員が心の奥では正しき師匠・正しき信心を求めていることを大確信し、何としても全学会員を救い切らんとの一重の決意が込み上げたそうです。

正義にめざめる学会員が続々と

 いかがでしょうか。御遺命の正義にめざめ、顕正会員として恋慕渇仰の遥拝勤行に励んで大功徳を頂き、広宣流布・国立戒壇建立を見つめて歓喜と情熱をたぎらせる数々の登壇には、ほんとうに胸が熱くなります。

 ほかにも多くの素晴らしい登壇がありますが、とても全部は紹介しきれないので、続きはぜひ顕正新聞をお読みください(笑)

 私も広告文と特集号を手に多くの人々に日蓮大聖人の大恩徳を教え、また学会員を正義にめざめさせるご奉公に励んでいきたいと思います!