亡国の先難

「亡国の先難」特集号が出来しました!

 8月度総幹部会を特集した顕正新聞9月5日号が出来しました。その名も「亡国の先難」特集号!

 いま日本や世界に現れ、また現れつつある亡国の先難をつぶさに示し、いよいよ亡国の大難たる自界叛逆・他国侵逼が事実となること、お救い下さる仏様は日蓮大聖人ただ御一人であられることを、仏法の鑑に照らして教えて下さった、たいへん有難い浅井先生の御指導が掲載されています。

 また、今回のご指導では、戒壇の大御本尊の重大尊貴と大功徳を懇切に教えて頂き、私自身、これまで以上に勤行の有難さが深まりました。いま「有難い」「御慕わしい」との恋慕渇仰の勤行に励み、日々功徳を頂きながら、広宣流布のご奉公にワクワクする思いで励ませて頂いている有難さを、改めて噛みしめるものです。

 それでは、さっそく浅井先生の御指導を拝していきましょう!

お題目の大功徳

 ご講演の冒頭、浅井先生は、私たちが唱えるお題目の功徳がいかにすごいかについて指導下さいました。

 なんと大聖人様が法華題目抄という御書に、「たとえ難しいことは何もわからなくても、ただ南無妙法蓮華経と、一生の間にただ一遍だけ唱えても、ついには成仏することができる」(取意)と仰せられているというのです!

 「へえー、そうだったんだ!じゃあ私は昨日勤行やったから、もう成仏できちゃうのね!」と勘違いしている、そこのあなた!・・・早とちりはいけません(笑)

 日寛上人は、この御文について、「もし大聖人様の仰せのごとくならば、我ら衆生、一生の間にたった一遍だけお題目を唱えるだけで成仏にいたるのであろうか」との問いを設けられた上で、次のように御指南くだされています。

 「答えて云く、若し過去の謗法無き人は実に所問の如し。遂に不退に到るべし。然るに我等衆生は過去の謗法無量なり、此の謗法の罪滅し難し。乃至、故に信力強盛に妙行を励むべきなり」(法華題目抄文段)と。

 つまり、「もし過去に謗法の罪がない人は、実に大聖人仰せのごとく、一生の間にたった一回、お題目を唱えても成仏ができるのである。だが、我ら衆生は過去の謗法が無量であり、その罪は滅し難い。ゆえに信心強盛に唱題に励むべきである」ということです。罪障深い私たちですから、油断は禁物ですね!

 また、浅井先生は、千日尼抄を引いて、「たとえ過去の罪障がどれほど深くとも、信心つよくお題目を唱え奉れば、必ずいかなる罪障も消える」と指導下さいました。「譬えば黒漆(くろうるし)に白物(おしろい)を入れぬれば白色となる。女人の御罪は漆のごとし、南無妙法蓮華経の文字は白物の如し」と。白粉(おしろい)が真っ黒でドロドロしている漆(うるし)の原液を白く変えてしまうように、お題目の御力はいかなる罪障をも消して下さるのです。なんと有難いことでしょうか。

 このように、お題目の功徳は、過去の罪障がない人であれば、たった1回唱えただけでも成仏が叶うほどであり、どれほど深い罪障の人であっても、わずか一生の間にすべての罪障を消して成仏することが叶うのです。なんと凄いことでしょうか。1回1回の勤行がますます楽しみになりますね!

戒壇の大御本尊は最極無上・尊無過上

 では、なぜお題目にこれほどすごい功徳があるのかというと、それは私たちが信じ唱え奉る「本門戒壇の大御本尊」に偉大な御力がましますからです。

 日寛上人は、観心本尊抄文段において、次のように御指南下されています。

 「本尊に於ては最極無上の尊体、尊無過上の力用なり。故に行者応(まさ)に須(すべから)く信力・行力の観心を励むべし。乃至、一たび人身を失えば万劫にも得がたし。一生空しく過ごして永劫悔ゆること勿れ」と。

 浅井先生は、この御指南について、次のように指導下さいました。

 大聖人様の留め置かれた「本門戒壇の大御本尊」は、この大宇宙において「最極無上の尊体」、これ以上はない尊い法体である。それは、まさしく御本仏・日蓮大聖人の御当体であられるからです。すなわち日蓮大聖人の御生命を文字で顕わせば戒壇の大御本尊の御相(おすがた)になる。ゆえに戒壇の大御本尊の体は、まさしく生きてまします日蓮大聖人であられる。ゆえに「最極無上の尊体」なのです。

 そしてこの御本尊様には、我ら凡夫を仏にして下さる偉大な力用がまします。ゆえに「尊無過上の力用」と仰せられる。

 ゆえに我らはこの大御本尊を深く信じて南無妙法蓮華経と唱え奉り、「観心」すなわち成仏の修行に励まなければいけない。ひとたびこの身を失うならば、いつの日か再び人間として生まれることがあろうか。ゆえに一生空しく過ごして永劫に悔いを残してはいけない―と。これが日寛上人の有難い御指南であります。

顕正新聞9月5日号

 いかがでしょうか。なんとも有難いご指導ですね。

 いま学会は戒壇の大御本尊を「受持の対象にしない」と言って捨て奉り、宗門は御遺命違背の大罪を未だに改悔せず、戒壇の大御本尊を「営利の具」として御開扉料稼ぎに狂奔しています。このような極限の大謗法、師敵対に陥った無道心の輩には、大聖人が生きてましますことも、その御遺命に背く恐ろしさも、戒壇の大御本尊の重大尊貴も、まったくわからないことでしょう。

 いま全顕正会員の戒壇の大御本尊に対し奉る信心はいよいよ深く、澄み切っていますが、これもすべては浅井先生の透徹の御信心に守られればこそであれば、師恩報謝の思いでいっぱいです。

遥拝勤行こそ忠誠の証

 いま顕正会員は、自宅から戒壇の大御本尊を遥拝し奉り、朝晩、恋慕渇仰の勤行に励んでいます。浅井先生は、この遥拝勤行こそ「忠誠の証」であるとして、次のように指導下さいました。

 いいですか。戒壇の大御本尊様は、日蓮大聖人より日興上人に密附された最極無上の尊体で、広宣流布のその日まで、御宝蔵に秘蔵されるべき大御本尊であられる。

 ゆえに歴代上人は客殿で丑寅の勤行をなされたのち、座を改めて、客殿から御宝蔵にまします戒壇の大御本尊を遥拝される。これが「秘蔵し奉る」の大精神なのです。

 いずれの時代からか、遠き広宣流布を待ちかねて御開扉を願い出る篤信の者もあり、これを時の貫首上人は「内拝」として特別にお許しになることもあったが、現在のような、登山者を募集しての営利目的の御開扉などは言語道断、大聖人様の御心に背き奉ることこの上もない

 このような不敬の登山はかえって罪を作るのです。内房尼御前の故事を見ればよくわかりますね

 いま顕正会は、解散処分によって自然と遥拝勤行の道が開かれたこと、大聖人様がこの遥拝勤行をお教え下されたものと、私は深く拝しております。まさしく遥拝勤行こそ「忠誠の証」であり「広布最終段階の信行」なのであります。

 戒壇の大御本尊様は「一閻浮提総与」の大御本尊であられる。「総与」とは、全人類の一人ひとりに、総じて授与して下さったということ。この大御本尊をいま恋慕渇仰して、一人ひとりが、直接、距離を乗り越えて拝みまいらせる遥拝勤行は、なんと有難いことか。

 信心に距離は全く関係ない。日本列島のどこから拝みまいらせようと、いや地球上のどこから唱え奉ろうと、直ちに大聖人様に通ずるのです

 ゆえに大聖人様は、千里離れた佐渡に住する千日尼御前に

 「御身は佐渡の国にをはせども、心は此の国に来たれり。乃至、御面(おんかお)を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ」と。

 ―いま千日尼御前は遠い佐渡の国にいるが、心はこの身延に来ているのである。御面を見るとか見ないではない。心こそ大切なのである―と。

 なんと有難い御教示か。この仰せこそ遥拝勤行の大精神であります。

 そして、遥拝勤行で最も大事なことは「日蓮大聖人眼前にまします」の信心に立つことです。

 戒壇の大御本尊は、生きてまします日蓮大聖人の御当体であられる。ゆえに大聖人様を「有難い」「お慕わしい」と恋慕渇仰して、日蓮大聖人の御名を「南無妙法蓮華経」と唱え奉る。そのとき「名は必ず体に至る徳あり」(十章抄)で、直ちに大聖人様に通じ、我ら凡夫が日蓮大聖人・戒壇の大御本尊と一体にならせて頂き、ついには一生成仏が叶うのであります。

 この遥拝勤行は、広宣流布の時には必ず一国に満ちる。そしてこの恋慕渇仰の信心が「勅宣・御教書」となって凝集されるとき、御遺命の国立戒壇が建立される。そしてその国立戒壇に、いよいよ「本門戒壇の大御本尊」が御出ましあそばすのであります。

 この重大御化導は、大聖人様の絶大威徳によって必ず遠からず成る。

 そしてこの御化導をお手伝いし奉るのは、解散処分を受けるとも一筋の忠誠を貫き、その死身弘法いま三百万に成らんとしている顕正会以外には、あるべくもないのであります。

顕正新聞9月5日号

 いかがでしょうか。私も遥拝勤行のとき、「日蓮大聖人眼前にまします」の思いでお題目を唱えていますが、そのたびに戒壇の大御本尊・日蓮大聖人と一体にならせて頂ける有難さ、大歓喜に包まれ、有難さでいっぱいになります。広宣流布の暁にはこの恋慕渇仰の信心が国中に満ち、「勅宣・御教書」となって凝集されるとき、いよいよ御遺命の国立戒壇が建立される―。その時に思いを馳せれば、今からワクワクしてきますね!

亡国の先難いま明らか

 いま広宣流布の前夜を迎えて、亡国の予兆である「先難」が次々と現れつつあります。

 日蓮大聖人は立正安国論において、「先難是れ明かなり、後災何ぞ疑わん」として、先難がすでに明らかである以上、後災たる自界叛逆と他国侵逼の大難が起こることは必定であると御断言され、「奥書」には「未来亦然る可きか」として、広宣流布の前夜には再び安国論にお示しのごとくの現証が起こることを前もって仰せ給うておられます。

 浅井先生は、いま相次いで現れつつある先難として、異常気象、巨大地震、大疫病、経済崩壊、人心の荒廃について詳しく教えて下さったうえで、「以上、『先難』として五例を挙げましたが、いよいよこれから、広布前夜の『後災』たる自界叛逆と他国侵逼が事実となる」と仰せられました。

 これら1つ1つの事象についての先生の卓抜の御見解とわかりやすいご指導にはいつもながら目からウロコですが、これらすべてを「仏法より事起こる」先難として括られ、今後の日本に起きてくる後災とその解決方法を御断言される先生の仏法上の深き御見識と御確信には大感動が込み上げます。上は政治家から下は全国民に至るまで、すべての人に知ってほしいと思います。詳しくは、顕正新聞社公式ホームページをご覧ください。

日本一同一時に信ずる時が来る

 最後に、浅井先生は叫ばれました。

 この亡国の大難をのがれる道はただ一つ。

 日本一同に日蓮大聖人を深く信じ奉り、御遺命たる国立戒壇を建立する以外にはない

 凡夫の目には、日本一同が一時に信ずることなどは、とうてい不可能に見える。

 だが、国亡び、我が命も危うい、というような非常事態が眼前になったとき、始めて全日本人は

 「日蓮によりて日本国の有無はあるべし

 「我日本の柱とならむ・・・等と誓いし願やぶるべからず

 との大慈大悲の師子吼が心魂に徹し、一同に頭を地につけ掌(たなごころ)を合わせて「南無日蓮大聖人」「南無妙法蓮華経」と、声をつるべて唱え奉るにいたるのであります。

 必ずこういう時が一時に来る。

 まだ大罰の現れない時は、慢心の者は大聖人様を軽視しているかもしれない。だが、いよいよ国亡び、我が命も危うしとなったとき、人々は始めて顕正会の諫暁を深刻に理解する。そして偉大な尊い大慈大悲の大聖人様に手を合わせる。

 一同に頭を地につけ掌を合わせて「南無日蓮大聖人」「南無妙法蓮華経」と、声をつるべて唱え奉るにいたるのであります。

 上野抄の

 「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし

 との仰せはこのことであります。

 いま広布の最終段階に生まれ合わせ、この重大御化導のお手伝いをさせて頂けるとは、顕正会は何たる宿縁か、何と有難いことか。

顕正新聞9月5日号

 いま日本と世界に現れつつある先難こそ亡国の先兆であり、広宣流布が近いことを意味するのであれば、大聖人様があそばすこの重大御化導のお手伝いが叶う宿縁の有難さは何ものにも代えがたく、歓喜雀躍する思いです。

 私も広告文と特集号を手に、一人でも多くの人々に日蓮大聖人の大恩徳を教え、人と国を救うお手伝いに励んでいきたいと思います!

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