学会・宗門から正しい顕正会へ(7)

 顕正新聞には毎回、学会や宗門(日蓮正宗)から正義にめざめて顕正会に入会し、功徳にあふれている方々の登壇がたくさん掲載されています。今回は顕正新聞令和4年6月15日号、6月25日号からいくつか紹介したいと思います。

学会幹部の母の悪臨終に疑問、脱会 広告文で入会、遥拝勤行で功徳頂く 「正本堂崩壊」先生の大忠誠にひれ伏す

 令和4年5月、創価学会から顕正会に入会したAさんは、昭和61年、20歳のときに学会に入信しました。先に母親が学会に入信し、日蓮大聖人の仏法を学びたいとの思いから学会に入信したものの、学会は選挙一色で、座談会では仏法の話は全くなく、池田大作を賞嘆する話ばかりで、池田の「人間革命」を現代の御書と言われるも興味がわかず全て破棄したそうです。

 学会に入信した当初はまじめに勤行を実践し、幹部に言われるまま1日3時間の唱題をするも、足が痛いだけで功徳を感じることは全くなく、かえって三毒どっぷりの生活となり、ギャンブルや酒に溺れ、アルコール依存症で2度にわたり約3か月も入院したそうです。

 また、あるときAさんの知人が飛び降り自殺をしてしまい、幸い一命を取り留めたため、大聖人様の仏法を教えて救ってあげたいと思い、学会幹部に相談したところ、なんと「選挙が忙しいので、やりたければ自分一人でやれば」と心ない言葉を投げかけられ、学会への不信感が頂点に達したそうです。

 母親も幹部から言われるまま「しらゆり長」として毎日1時間の唱題と選挙活動に励み、まじめに頑張っていたものの、63歳のときに突然乳がんを発症し、あっという間に苦しんで臨終を迎えたそうで、「一生懸命信心していた母がなぜ?」との疑問がぬぐえなかったそうです。しかも、学会幹部に母の臨終のことを連絡すると、「あっ、そう。ところで選挙がんばっている?」と対応され、本当に嫌気が差したそうです。

 このように、Aさんは約30年間学会に籍を置くも何一ついいことがなく、今から5年前、ついに学会を脱会したのでした。

 すると本年、Aさんの団地のポストに1枚の広告文が投函されており、霊峰富士と立正安国論の御真跡の写真が目に飛び込み、学会では聞いたことのない凄い内容に衝撃を受けたそうです。そして本年5月、顕正会の男子部班長たちが団地を訪問し、功徳の感激を熱烈に話してくれたそうで、「大聖人様の仰せのままの正しい団体で、功徳の出る仏法を一緒にやりましょう!」との言葉に、すぐさま顕正会への入会を決意したのでした。

 松山会館での丁寧かつ厳粛な入会勤行には有難さが込み上げ、「誑惑の正本堂崩壊す」のDVDを視聴しては浅井先生の大聖人様に対し奉る大忠誠心にひれ伏す思いとなり、はじめて総部集会に参加しては学会時代には経験したことのない感激あふれる集会に感激が止まらず、自然と折伏の決意が湧き、いま記憶をたどって学会員宅を訪問しているそうです。

 学会では身につかなかった勤行が今では毎日楽しく実践できるようになり、すると不眠症が治る大功徳をすぐさま頂いたそうで、Aさんは「『入阿鼻獄』から救って頂いた自身こそ大成長を遂げ、本年、二十年ぶりに愛媛に赴いて下さる先生に、何としてもお応えしてまいる決意」と熱く語っています。

顕正会に入会できた有難さでいっぱい 大量飲酒も控え健康に、医師も驚く 成仏の相を目の当たりにし、ただ号泣

 平成30年1月に創価学会から顕正会に入会したKさんは、昭和23年に群馬県沼田市で生まれ、物心がついた頃には両親が学会に入信していましたが、その後、池田大作が会長になり、選挙一色になった学会に不信を懐き、一家で学会を脱会したそうです。

 Kさんは19歳のとき、相手が学会員とは知らずに結婚してしまい、すると学会員の夫から暴力を受け、自殺を図ったこともありました。離婚後は老人病院で夜勤のヘルパーの仕事をするも、夜勤明けには酒を飲まないと眠れない地獄界の毎日だったそうです。

 そのようなとき、顕正会の男子部班長が広告文配布に来てくれ、翌日、千葉会館で素直に入会したのでした。

 入会勤行の際には、それまで一度も味わったことのない清々しさを感じ、するとその直後、それまでテーブルの上に置いたまま見ていなかった半年に1回の健康診断の結果をふと見ると、「『心筋梗塞』と『脳障害』の恐れがある」と書いてあることがわかり、すぐに病院を受診することができ、医師から食事療法の指導を受けました。Kさんはその日から遥拝勤行を実践し、1ヶ月後に再度病院へ行くと、医師がたいへん驚いて、「食事療法でこんなに数値が下がるわけない。たった一ヶ月で何をしたの?」と叫ぶように言ったのです。

 Kさんは「大聖人様に命を救って頂いた」「大聖人様は何と凄いのか」と大感激が込み上げ、それまで浴びるほど飲んでいた酒を控えられるようになり、千葉会館での日曜勤行・読み合わせ・集会に参加して折伏に立ち上がり、甥の入信が叶ったそうです。

 昨年12月には婦人部に移籍し、大感激のなか基礎教学書を学んでいくと、「臨終の証拠」に強い衝撃を受けたそうです。それまで老人病院のヘルパーとして多くの臨終を見送ってきただけに、婦人部の同志の色白く、柔らかな成仏の相を目の当たりにしては、「こんなことがあるのか」「浅井先生の『仏法は空理・空論ではない』とのお言葉の通り」と大感激したそうです。

 Kさんは「罪障深き自身が、先生の『忠誠の証』たる遥拝勤行が叶い、同志と笑顔で国立戒壇のお手伝いが叶うことが勿体ないほど有難く、もっとお応えしたい」と溌剌とした決意を述べています。

信心と無関係の学会、罰だらけの生活 先生の激闘を知り、「私も戦わねば」と奮起 広宣流布・一生成仏みつめ歓喜の日々

 令和3年9月に創価学会から顕正会に入会したSさんは、昭和35年ころ、就職先の従業員のほとんどが学会員だったことから、先輩に誘われるまま学会に入信しました。

 当時は学会の御遺命破壊も露わではなく、仕事が終わると職場の人たちと夜中まで、世のためになるならと折伏に飛び回り、勉強会では意味もよくわからないまま御書全集を読み合わせ、大石寺に登山する学会員を夜行列車に乗せて誘導する「輸送班」の任に就いていたそうです。ところが、学会が政治進出に向けて動き出した頃から、信心とは全く関係のない指示が学会青年部に頻繁に下りるようになり、不信感が募ったSさんは学会活動をやめたのでした。

 しかし、御遺命に背く団体に籍を置いて身の保つはずもなく、高速道路を走行中に大型トラックに激突され、乗車していた息子が生死を彷徨い、職場の同僚と事業を起こすも共同経営者に200万円を騙し取られ、自ら事業を起こすも経営不振で借金だけが増え、子供たちとの折り合いも悪くなる等、罰の連続だったそうです。

 そのようなとき、顕正会の女子部総班長が広告文の配布に来てくれたのです。「竜の口法難御報恩勤行会」のネット配信を視聴すると、一度も聞いたことがなかった竜の口の大現証に大衝撃を受け、後日、総班長が広告文を読み上げてくれたとき、「成仏させて頂きたい」との思いが湧き、さらに「誑惑の正本堂崩壊す」のDVDを視聴して御遺命の国立戒壇建立の大事と浅井先生の激闘を知り、求めて顕正会に入会したのでした。

 それより朝晩、遥拝勤行を実践し、基礎教学書の拝読を重ねると、ことに第9章・第10章に強い衝撃を受け、御遺命破壊の池田大作とこれに全面協力した2人の貫首の卑怯な姿と、たったお一人で御遺命を死守された先生の激闘を拝するほどに、「みんな池田大作に騙されていたのだ。自分も先生と共に戦わせて頂きたい」との決意が衝き上げ、知り合いの学会員等にも「正しい信心を教えて救ってあげたい」「折伏を躊躇していては先生に申しわけない」との思いで次々と折伏しているそうです。

 Sさんは「学会に籍を置いたゆえ、人生に希望を失っていた自身が、今では『広宣流布』と『一生成仏』の大目的をみつめ、勤行と折伏に励む歓喜の日々に一変させて頂けたのも、先生の『八百万学会員を救いたい』『「日蓮大聖人の弟子」として、一体になって御奉公をするのは当然ではないか』とのお心ゆえと思えば感謝の思いは尽きず、その先生の下、大聖人様の御遺命成就のお手伝いが叶う有難さでいっぱい」と明るく語っています。

正義にめざめる学会員・法華講員が続々と

 いかがでしょうか。これまで御遺命に背く学会・宗門(日蓮正宗)で罰を受けてきた人たちが正義にめざめ、正しい顕正会に入会して遥拝勤行で大功徳を頂く登壇は、枚挙にいとまがありません。これら功徳と歓喜にあふれる姿を見ては、同じ顕正会員としてほんとうに有難く思います。

 まだまだたくさんありますが、膨大になってしまうので、あと少しだけ簡単に紹介したいと思います。

 宗門末寺「本蓮寺」に所属するSさんは、道端で顕正会の婦人部班長から広告文を手渡されました。Sさんは、それまで成仏の相や竜の口の大現証について何も知らなかったため、班長が広告文を読み上げると「何も知らなかった」と熱心に聞き入り、「いいことが書いてある」と感激したSさんは、素直に顕正会に入会しました。

 学会二世のYさんは、22歳のときに自宅でガス爆発が起き、全身にやけどを負って身体中に傷跡が残り、夏場は毛穴がふさがっているため汗が身体にこもって息苦しく、太陽に当たると皮膚ガンになる可能性があると言われる等、47年間ずっと不安を抱えて苦しむ人生を送っていましたが、それが御遺命に背く学会に籍を置く罰とは知る由もありませんでした。

 そのようなとき、顕正会婦人部から浅井先生の「学会員を救いたい」とのお心を聞き、学会に対する嫌悪感はあるもののやめる勇気がなかったYさんは、まずはお題目を唱えることを勧められ、素直に唱えたのでした。

 すると、唱えるたびに涙が出て、何かに覆ってもらっているような安堵感を感じたYさんは、3日後に婦人部の方と一緒に遥拝勤行をし、翌日、再度折伏を受けたときには、「夫に相談してから」と思いつつも、「遥拝勤行をすると涙が出てくるのはどうしてですか」と思わず遥拝勤行の感激を語っていたそうで、ついに肚を決めたYさんは「じゃあ行ってみます」と顕正会に入会したのでした。

 入会後、Yさんは「勤行が楽しみでワクワクする。この遥拝勤行ができることが一番の功徳」と明るく語っています。

 令和3年10月、学会から顕正会に入会したNさんは、入会後、「とにかく遥拝勤行が有難い。顕正会の勤行はすっきりして気持ちがいい。特に御観念文が有難い」と讃嘆し、遥拝勤行に励んでいるそうです。

 Nさんは、「この遥拝勤行の有難さを学会の友だちにも味わってほしい」と強く思い、学会員に顕正会版のお経本を渡しているそうです。

 するとあるとき、婦人部の総班長が同僚の学会員を折伏した際、その学会員から「Nさんが知り合いの学会員に顕正会に入会したことを話し、『顕正会の遥拝勤行は凄い』と絶賛している」と言ってきたそうで、Nさんの遥拝勤行の感激が学会組織内に波動していることに驚いたそうです。

 昭和43年に職場の同僚であった妻の縁で学会に入信したTさんは、選挙活動一色の学会に疑問を懐きつつも、正本堂建設の際には多額の供養をしたそうです。

 しかし、今から3年前、Tさんが前立腺の手術をして病院から帰宅すると、妻が心臓発作を起こしており、病院に救急搬送されるも帰らぬ人となり、そのときの妻の臨終の相はドス黒く、それまで見た中で一番恐ろしい形相だったそうで、それ以来、勤行もできなくなってしまったそうです。

 そのようなとき、Tさんは顕正会の女子部副長から折伏を受け、手渡された広告文の「臨終の相に、その人が死後の未来に受けるべき果報が現われる」との一節を読み、「臨終の善悪」を初めて知って衝撃を受け、さらに学会の御遺命違背を聞いてはそれまでの不幸の原因が胸に収まり、雲晴れる思いになったそうです。

 Tさんは、浅井先生の激闘を知り、「たったお一人で、本当に凄いお方ですね」と驚嘆し、自ら遥拝勤行について尋ね、副長から御遺命を守り抜かれた先生の「忠誠の証」であることを聞いては衝撃を受け、「まずは遥拝勤行を実践してみる」と言い、機関紙の年間購読も自ら申し込んだのでした。

 その後、ついに肚を決めて学会から顕正会に入会したTさんは、戒壇の大御本尊様に通ずるお題目を唱えられる有難さにむせび、「残りの人生を広宣流布にかけ切り、浅井先生に御供申し上げん」と、学会員の知人等への折伏に勇み立っています。

 5月度総幹部会で浅井先生は、「すでに広宣流布は最終段階であります。このときに召し出されて御奉公が叶うとは、顕正会はなんと有難い宿縁か」「三百万が一結して、やがて他国侵逼に慄く全日本人に『日蓮によりて日本国の有無はあるべし』との重大聖語を徹底して教えるとき、日本は必ず動く」と仰せられましたが、今後、学会・宗門から雪崩を打って顕正会に入会してきた人々が遥拝勤行で広宣流布に立ち上がり、みなで日蓮大聖人の大恩徳を一国に叫んでいく光景を想像しては、胸が熱くなります。

 私も広告文を片手に、一人でも多くのまじめな学会員・法華講員たちを正義にめざめさせ、入阿鼻獄から救っていきたいと思います!