続々と正義にめざめる学会員・法華講員たち
いま日蓮大聖人の仏法を正しく実践している団体は、冨士大石寺顕正会以外にはありません(詳しくはこちら)。
かつては正しく信心していた創価学会と日蓮正宗(宗門)は、ともに大聖人一期の御遺命に背き奉ったのみならず、学会は大聖人出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」を捨て奉り、宗門は対学会闘争のため謗法の身延派とも連携し、営利のために不敬の御開扉を強行するという極限の大謗法・師敵対に陥っています。
大聖人は四条抄に「吾が一門の人々の中にも、信心もうすく、日蓮が申す事を背き給わば、蘇我が如くなるべし」と。また顕立正意抄には「我が弟子等の中にも信心薄淡き者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし」と。
この御金言のごとく、いま学会・宗門ともに衰亡の一途を辿り、現世には罰を受け、後生には入阿鼻獄となっているのです。
そんな学会・宗門で罰を受けてきた学会員・法華講員たちが、いま御遺命の正義にめざめ、顕正会に続々と入会してきていることは、ほんとうに喜ばしいことです。そこで、このブログでは、顕正新聞に掲載された「正義にめざめて」等の登壇から、私が特に「有難いな」と感じたものをいくつか紹介していきたいと思います(ブログでは、名前はイニシャルで表記します)。
それでは、さっそく見ていきましょう!
〝時の貫首が御遺命違背に協力〟に衝撃 御遺誡のまま一人立たれた先生に畏敬 正師の下 広宣流布の御奉公叶う喜び
昨年(令和3年)12月1日、学会・宗門を経て顕正会に入会されたKさんの登壇には胸打たれました(顕正新聞令和4年3月5日号)。
Kさんは、両親と姉の勧めで20歳のときに創価学会に入信したものの、平成2年に学会・宗門の抗争が始まったとき、大聖人よりも偉そうな池田大作の傲慢な態度に不信感が募り、愛知県刈谷市の宗門末寺・教明寺へ移り、以来30余年活動してきました。
昨年8月、近所に住む顕正会の婦人部総班長が広告文配布で自宅を訪ねてきたときには、「顕正会は猊下に背く謗法団体」と聞いていたため、「折伏しなければ」と思ったものの、総班長より「国立戒壇こそが、日蓮正宗のめざすところではないですか」と核心を突かれ、何の反論もできず、広告文と特集号を受け取ったそうです。
後日、総幹部会のDVDを借りて視聴すると、顕正会にあふれる広宣流布への大情熱と功徳の感激に胸を打たれ、顕正新聞に掲載された宗門では聞いたことのない良き臨終・成仏の現証に大感動し、「最後に申すべき事」を拝読しては、強大な学会と絶対権威の「時の貫首」を相手に、浅井先生お一人が御遺命を守られ、解散処分を受けても遥拝勤行で広宣流布への道を切り開かれたことを知り、その大忠誠心に驚嘆し、「忠誠の証」たる遥拝勤行を自ら実践し始めたそうです。
その後、オンラインの総部集会に未入会で参加し、瞬時に伝わる広宣流布の情熱を肌身に感じ、「私も顕正会員としてご奉公させて頂きたい」とのやみ難い思いがあふれ、教明寺の地区長に「宗門は間違っているからやめる。私は顕正会で信心していく」と言い切り、翌日、名古屋会館で入会したのでした。
名古屋会館の清々しい空気、顕正会員になれた安堵感に包まれ、「今日から広宣流布・国立戒壇建立のお手伝いをさせて頂こう」との決意が湧き、一方、本尊返納のため教明寺に赴いた際、寺の机に並べられた供養袋を見ては、大聖人を忘れ、供養だけを貪る「食法餓鬼」の実態を見た思いとなったそうです。いま広宣流布のお役に立てる日が来た喜びに涙しつつ、御奉公に励んでいます。
功徳なき学会で自身も仲間も不幸に…顕正会に入会 地涌の菩薩の使命に立つ
平成27年に創価学会から顕正会に入会したNさんの登壇も感動的でした(顕正新聞令和4年3月5日号)。
Nさんは、父が学会本部長、母が副本部長を務める学会一家に生まれ、幼い頃から「少年少女部」、高校卒業と同時に「ヤング男子部」に所属し、公明党に投票させることを目的とする学会活動に強い違和感を覚えつつも、威圧的な両親に従い活動してきました。
しかし、組織で一緒に活動していた仲間たちの生活はどんどん狂い始め、市議会議員の息子で創価大学卒業の者は威張り散らしたあげく家庭崩壊、別の先輩も幼子がいながら公然と不倫を繰り返して八方塞がりとなり蒸発、さらに病を発症する者や仕事に行き詰る者等、年々活動者がいなくなり、30人ほどいたグループは5人も集まらない状況になってしまったそうです。
Nさん自身、年に1度は必ず廃車になるほどの事故を起こし、借金まみれの生活となり、母はアルコールに依存するようになる等、家庭も狂っていったそうで、「『功徳を頂いて幸せになれる』との言葉を信じて活動した結果がこの悲惨な結末でした」との一言には胸が詰まりました。
しかし、今から6年半前に女子部の縁で顕正会に入会し、その後は男子部副長に励まされ、本気で変わりたいと真面目に勤行を実践するようになると、それまでの金銭苦が解消され、学会では一度も味わったことのなかった功徳を初めて実感したのでした。そして、不思議と「あの人も救っていきたい」との思いが湧き、基礎教学書を学び、池田大作の御遺命破壊と戒壇の大御本尊をも捨て奉った「極限の大謗法」を知っては、学会時代の生活が罰の連続であった原因がはっきりとわかり、いま「入阿鼻獄」から救って頂いた御報恩の思いを胸に広宣流布のお手伝いに励んでいます。
学会歴65年の元大幹部ついに入会 遥拝勤行に励み脳梗塞の影も消滅
元学会員の息子さんが、学会歴65年で大幹部を務めた母親の入会を叶えた登壇も大感激でした(顕正新聞令和4年3月15日号)。
元学会員のHさんは、平成29年、広告文配布の縁で顕正会に入会し、基礎教学書等を拝読して学会の御遺命違背を知ると、たちまち国立戒壇の正義にめざめ、学会員を救わんと次々と友人を折伏し、同居する母親にも折伏を重ねました。
しかし、Hさんの母親は、学会草創期のメンバーであった両親の下、昭和32年に学会に入信して以来、身も財もなげうって学会活動に飛び回り、「いわき圏婦人部長」まで務めた方で、自宅には池田大作と撮影した写真や、池田から送られた短歌を飾り、細井日達書写の特別御形木本尊を下附され、広布功労賞の表彰を受けるほど学会に入れ込んでいたそうです。そのため、母親は「学会は絶対」と聞く耳を持たず、ポストに「顕正新聞お断り」と貼り紙をするほどで、先輩が折伏応援についても門前払いされていました。
そんな母親も、昨年(令和3年)夏頃から体力が衰え始め、Hさんがネット配信の感激を語っていくと、一緒に御大会式のご講演を視聴することができました。すると母親の態度が変わり始め、ネット配信を視聴し、オンラインでの総部集会や読み合わせにも参加するようになり、「学会は選挙でおかしくなった」「いま若い人たちが一生懸命に頑張っているのは顕正会」と言うまでになりました。
そして昨年12月、母親は呂律が回らなくなり、夜間救急外来を受診すると「軽度の脳梗塞」と診断されました。Hさんは「今こそ」と決意し、「一緒に顕正会でお題目を唱えよう」と励ますと、母親はついに「そうね」と深く頷き、入会が叶ったのでした。
入会勤行の際、母親は4年間の反発がウソのようにイソイソとお数珠を手にかけ、御本尊様を見つけて懸命にお題目を唱えており、以来、恋慕渇仰の信心口唱に励んでいくと、なんと1月の検査では脳梗塞の影が消える大功徳を頂いたそうで、いま正しき師匠の下、戒壇の大御本尊に通ずるお題目を唱え、直ちに功徳を頂ける有難さに母子ともども歓喜しており、Hさんはさらなる御報恩の決意を堅めています。
今後も正義にめざめる学会員・法華講員が続々と
いかがだったでしょうか。学会・宗門で罰を受けてきた学会員・法華講員が、正しき師匠・浅井先生にお値いできた感激のまま、広宣流布・国立戒壇建立を見つめて御報恩の思いで御奉公に励む姿を見るとき、同志として有難さでいっぱいとなります。
所詮、御本仏大聖人の御遺命に背き奉って身の持つ個人も団体もあり得ません。今後も御遺命の正義にめざめ、学会・宗門から続々と正しい顕正会に入会してくることでしょう。
最後に、以前にこのブログで紹介した記事のリンクも貼っておきます。今後も新しい登壇があるたびにどんどん紹介していきますので、お楽しみに!