顕正新聞には毎回、学会や宗門(日蓮正宗)から正義にめざめて顕正会に入会し、功徳にあふれている方々の登壇がたくさん掲載されています。今回は顕正新聞令和4年5月25日号からいくつか紹介したいと思います。
学会・宗門で地獄の人生、夫は常に包丁を 遥拝勤行で大功徳、今がいちばん幸せ!
令和3年6月に顕正会に入会したNさんは、昭和40年ころ、病気になった母親が知人に勧められたことで、家族で学会に入信しました。
親子で真剣にお題目を唱えたものの、母親は痛みと苦しみの中に臨終を迎え、学会員からは「信心が足りない」と心ない言葉をいわれ、学会版経本の観念文に池田大作への祈願が加えられたことに呆れ、不信感が募り、兄とともに宗門へ移りました。
しかし御遺命違背の宗門に籍を置いて身の保つはずもなく、従兄妹と経営していた飲食店が倒産し、夫は働かずに借金を作り、家には毎日のように借金の取り立てが来て、生きた心地がしませんでした。さらに夫は覚せい剤に手を出し、就寝中、布団の下にいつも包丁を隠し持っており、Nさんは自分と息子が殺される前に夫を殺して死のうと思うほどだったそうです。また、Nさんは心臓弁膜症で2回の大手術を受けて死にかけ、右乳がんを患って全摘出になる等、次々と病苦に苛まれました。毎日お題目を唱え続けるも功徳は一つもなく、地獄界そのものの人生だったそうです。
そのようなとき、自宅を訪問してくれた顕正会女子部の班長から顕正新聞を受け取ったのです。後日、総班長と班長が来て、総幹部会のネット配信で浅井先生のご指導を拝すと、理屈抜きに「顕正会は正しい」と命で感じ、顕正会に入会したのでした。
富士大石寺に向い遥拝勤行を実践すると、心がスッキリとして有難さが充満し、生命力が湧くのを実感したNさんは、折伏にも立ち上がりました。顧客であったAさんを訪問すると学会員であることがわかり、総幹部会のネット配信を視聴させると最後まで涙を流しながら視聴し、その後も訪問しては視聴を重ねていくとついに決定し、大分会館で入会が叶い、有難さでいっぱいになったそうです。
Nさんは過去に心臓の手術を受けてから声があまり出なくなり、息が上がって歩くのもやっとでしたが、気づけば元気に御奉公できるようになっており、主治医やヘルパーも「元気になった!」と大変驚いているそうです。
Nさんは「これまで苦労続きの人生でしたが、いま大聖人様に直接通ずるお題目を唱えることが叶い、大功徳まで頂けていることに、『今が本当にいちばん幸せ…』と、強く噛みしめております」と溌剌と語り、正しき師匠・浅井先生への御報恩の思いを胸に御奉公に励んでいます。
池田大作の傲慢・名利・臆病を知り憤激 「先生がおられれば広布は必ず成る」を確信
令和3年11月15日に顕正会に入会したTさんは、昭和29年、戸田会長のときに創価学会に入信し、幼い頃は母とともに登山し、丑寅の勤行を楽しみにしていたそうです。昭和44年、19歳のときに東京の専門学校に入学すると、学会の「学生部」に所属して活動に励み、創価班・本山警備もしていました。
その後、学会は次第に選挙活動一色になり、「折伏よりも選挙だ」と学会幹部から罵声を浴びせられたTさんは、誠実・正義が微塵もない学会組織に嫌気が差し、平成20年に脱会しました。しかし「大聖人様は絶対」との思いが強かったTさんは、勤行を続け、聖教新聞に小さく掲載される御金言を唯一の楽しみにしていたそうです。
そのようなとき、顕正会女子部の総班長が訪ねてきて、学会の御遺命違背を教えてくれたのですが、67年間も学会で活動してきたTさんは、学会は間違っていると思いつつも入会を断ってしまいました。
しかし、総班長は特集号が発刊されるたびに訪ねてくれました。Tさんは約4年間、浅井先生のご指導に触れていく中、先生の「大聖人様絶対」の大確信に接して動執生疑が起き、未入会のままオンライン集会に参加すると「遥拝勤行をやってみたい」との思いが自然と湧き、さっそく顕正会版のお経本とお数珠を借りて遥拝勤行を実践すると、大聖人様の大慈大悲が胸の奥底に広がり、有難さが充満しました。すると、長年の腰痛が緩和する功徳を頂き、大感激したそうです。
かくて令和3年11月15日、日目上人が御遷化された大事な日に、入会勤行を行い、晴れて顕正会に入会したのでした。
入会後、基礎教学書を拝読すると、戒壇の大御本尊様を恋慕渇仰し、大聖人様に忠誠を貫かれる浅井先生のお姿に命が震え、「浅井先生のお姿こそ本当の仏弟子、もっと先生のご指導を拝聴したい」と大感激し、かたや先生との対決に一度も姿を現わさず、時の貫首をも巻き込んで御遺命破壊の大悪を犯した池田大作の傲慢・私利私欲・臆病を知っては憤りが込み上げたそうです。
いまTさんは「浅井先生がおられれば広宣流布は必ず成る」と大確信し、「『入阿鼻獄』から救って頂けたことも、偏に先生の『八百万学会員を救いたい』とのご一念によると思うほどに、先生への報恩感謝の念はどこまでも尽きません」と熱く語り、命尽くまでの御奉公を決意しています。
勤行で池田大作の報恩、罰ですべて失う 先生のご慈愛知り大感動、涙の中 入会
令和4年3月に顕正会に入会したMさんは、小学校6年生のとき、学会員の母親に連れられて宗門末寺で学会に入信し、勤行をまじめに実践していました。大学生のころには「牙城会」に所属し、学会活動に精力的に励むと、当時の学会はまだ御遺命を曲げていなかったため、大聖人様の御守護を実感していたそうです。
ところが池田大作が会長に就任すると学会は次第におかしくなり、学会と宗門の抗争が勃発して不信感が頂点に達したMさんは学会活動を離れましたが、勤行だけは続けていたそうです。
しかし御遺命に背く団体に籍を置いて身の保つはずもなく、友人の悩みを解決してあげたいと学会の会館に詣でて必死に題目を唱えるも、かえってMさん自身が追い詰められてうつ病を発症したり、人工動脈の手術を2回もしたことで「死」に直面し、妻や子供に迷惑をかけられないと思い詰め離婚になったりと、罰が顕著に現れ、Mさんはすべてを失ってしまいました。
そのようなとき、顕正会女子部の副長と支区長補が訪問配布に来てくれたのです。Mさんは、日蓮大聖人への恋慕渇仰の信心の感激を語ってくれる2人の姿に感動をおぼえ、さらに「創価学会必ず崩壊」特集号により正本堂が「国立戒壇否定」のための偽戒壇であったことを知っては大衝撃を受け、「知らずとはいえ、自分は学会版経本で毎日、池田に報恩していたのか。これまでの不幸の原因はこれだったのか」と憤りが込み上げ、しばらく放心状態になり、「これまで池田大作に騙されてきたのか」と悔しさでいっぱいになったそうです。
同時に、「この悪師に付いて阿鼻獄に入る学会員を思えば、まことに不憫。学会の人たちは本当にまじめ。何としても全学会員を救いたいと強く念願している」との浅井先生のお心に強く胸を打たれたMさんは、「これほど学会員を思って下さるお方は浅井先生以外にはおられない。浅井先生に付いて行けば大丈夫」と大感動で涙があふれ、神奈川会館で素直に入会したのでした。
大聖人様を恋慕渇仰する丁寧な入会勤行は終始安堵感に包まれ、顕正会の本部会館に詣でた際、古傷の痛みで歩くのも困難だった足でスタスタと歩けたことには功徳を実感し、さらに本部会館の美しい庭園や澄んだ空気、使命に燃える顕正会員の姿を見ては顕正会の正しさを確信したそうです。
いまMさんは浅井先生への御報恩の思いを胸に学会員の知人を折伏しており、「『入阿鼻獄』から救って頂いた自身こそ、友人や疎遠になった家族はもちろん、多くの学会員を救う戦いを進め、必ずや深き師恩に報いてまいる決意」と熱く語っています。
正義にめざめる学会員・法華講員が続々と
いかがでしょうか。いま御遺命違背の学会・宗門(日蓮正宗)で罰を受けてきたまじめな学会員・法華講員たちが続々と正義にめざめ、正しい顕正会に求めて入会して功徳を頂いている姿は枚挙にいとまがありません。その感激の声を聞くたびに有難さでいっぱいとなります。
今回の顕正新聞にもたくさんの登壇があり、とても全部は紹介できないので、あと少しだけ簡単に紹介したいと思います。
東京都瑞穂町に住む学会歴69年のOさんは、広告文配布の縁で顕正会員と知り合い、その内容に興味を示しました。ところが顕正会員が後日に約束を取って訪問すると、学会幹部が現れ、「Oさんは怖がって出てこられない。迷惑だ!帰れ!警察を呼ぶぞ!」などと喚いて折伏を妨害してきました。
しかし先日、「創価学会必ず崩壊」特集号を携えてOさん宅を再度訪問すると、Oさん本人が出てきたため折伏となりました。
まず謗法を容認する「創価学会 社会憲章」を読み上げると、Oさんは大衝撃を受けた様子で、「昔の幹部からは『謗法は絶対ダメだ』ときつく言われてきた。何かの間違いでは・・・」と口にし、さらに「弘安2年の御本尊は受持の対象にはしない」と戒壇の大御本尊を捨て奉った極限の大謗法を伝えると、「そんなことが・・・」と絶句していたそうです。
そこで「顕正会で大聖人様に通じる正しいお題目を唱えましょう」と入会を促すと、「ぜひ、お願いします!」と即座に決定し、身支度を整え、多摩会館で素直な入会が叶ったのでした。
Oさんは、顕正会の遥拝勤行の大精神に大感激し、「学会では何時間もお題目を唱えるので辛かった。心こそ大切なんですね!」「教えてくれて本当にありがとうございました!」と深々と頭を下げていたそうです。
鹿児島県在住のある壮年は、10年前に学会に入信後、難病を発症したそうで、広告文配布で知り合った顕正会婦人部の副長に対し、「信心しても何もいいことはない」と語ってきました。
そこで副長が「一緒に遥拝勤行をしましょう」と促し、「大聖人様 眼前にまします」との思いで共に遥拝勤行を申し上げると、壮年は心がスッキリした様子で、「学会の勤行は早くて、私が1ページ誦んでいると、みんな5ページ先を誦んでいて付いていけなかった」と語り、そのまま鹿児島会館で素直な入会が叶いました。
種子島に住む学会員のKさんは、約10年前、同居していた三男の肝臓の難病を機に創価学会に入信しました。Kさんがまじめに勤行を実践する姿に、三男も「俺も変わりたい、母さんと一緒にやってみる」と学会に入信したそうです。
しかし、その三男が数年前に亡くなり、またこの数年間に長男・孫、さらには30年前に家を出たままだった夫も亡くなり、Kさん自身も難病で身体が不自由となる等、不幸の連続だったそうです。
そのようなKさんに対し、広告文配布で出会った顕正会婦人部の総班長が、「息子さんの供養のために、一緒に遥拝勤行を実践しましょう」と言うと、Kさんは頷き、顕正会のお経本でともに遥拝勤行をしたのでした。
すると終了後、Kさんは「心がスッキリした」と涙を浮かべ、理屈抜きに顕正会の正しさを感じ、そのまま求めて顕正会に入会したのでした。
Kさんは入会勤行の間も涙ぐんでおり、終了後、スッと立ち上がれた現証にKさん自身が驚き、すぐさま頂く大功徳にみなが沸き立ったそうです。
4月度総幹部会で浅井先生は、「何より大事なことは『遥拝勤行』の徹底である。遥拝勤行こそ仏道修行の基本である。どうか、新しく入信・入会した同志にしっかりと、『戒壇の大御本尊様を直接遥拝し奉る遥拝勤行こそ忠誠の証であり、時に適った信行であり、大功徳が頂けるのだ』ということを、しっかりと教えてほしい」と仰せられましたが、いま学会・宗門(法華講員)で罰を受けてきたまじめな学会員・法華講員たちが正義にめざめ、遥拝勤行を実践して大功徳を頂く姿をみるほどに、ほんとうに有難さでいっぱいとなります。
私も広告文と特集号を手に、まじめな学会員・法華講員を正義にめざめさせるお手伝いに励んでいきたいと思います!