忠誠の証・遥拝勤行

「忠誠の証・遥拝勤行」特集号が出来しました

 顕正新聞令和4年4月5日号が出来しました。その名も「忠誠の証・遥拝勤行」特集号

 正系門家が日蓮大聖人の御遺命に背き奉るという未曽有の大悪・師敵対の中、ただ一人御遺命を守護された浅井先生率いる顕正会が実践している遥拝勤行。この遥拝勤行こそ「忠誠の証」であり、「広布前夜の時に適った信行」であることを改めて教えて頂き、大感動と広宣流布への燃える思いが湧いてきます。

 それでは、さっそく内容を見ていきましょう!

広宣流布の大教令

 冒頭、浅井先生は、日蓮大聖人が門下一同に下された大教令、そして二祖日興上人が遺された御遺誡をお示し下さいました。

 「法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に、日蓮さきがけしたり。和党ども二陣三陣つづきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にも超えよかし」(下種本仏成道御書)

 「未だ広宣流布せざる間は、身命を捨てて随力弘通を致すべき事」(遺誡置文二十六箇条)

 その上で先生は、次のように指導下さいました。

 しかるに、広布前夜の今になって、なんと正系門家が御遺命に背くという師敵対に陥ってしまった。

 この濁乱の中、大聖人様の仏勅のまま、日興上人の御遺誡のままに、一筋に広宣流布に戦っているのは、理不尽なる解散処分をも乗り越え、いま三百万の仏弟子の大集団にならんとしている顕正会だけであります。

 もし顕正会の前進が遅れたら、何とも大聖人様に申しわけないと、いつも私は思っております。

「忠誠の証・遥拝勤行」特集号

 いかがでしょうか。日蓮大聖人を忘れ、広宣流布など眼中に置かずに遊戯雑談にふける師敵対の学会・宗門(日蓮正宗)を尻目に、大聖人を一念も忘れ奉らず、広布の全責任を担われて御遺命成就に戦われる浅井先生の崇高な御心を拝しては、身が正される思いとなります。

 また、先月発行された「創価学会必ず崩壊」特集号がいま爆発的に配布されていますが、先生より「私は、まじめな学会員が不憫なのです」「早く正義にめざめて、共に御遺命成就に戦う同志になってほしいと、願うばかりであります」との御心を伺っては、私も一人でも多くの学会員を正義にめざめさせてあげたいと思うばかりです。

「良き臨終」聞くたびに有難さこみ上げる

 次いで浅井先生は、「我ら三毒深き凡夫が、わずかな信心で成仏させて頂けること、ただ大聖人様の大慈大悲による」として、上野殿御返事と弥源太殿御返事を引いて次のように指導下さいました。

 いいですか。上野殿御返事には

 「御臨終のきざみ、生死の中間に、日蓮かならずむかいにまいり候べし

 と仰せられ、いま弥源太殿御返事には

 「此の事少しもそら事あるべからず

 と仰せられているのです。

 仏様の御言葉には嘘・偽りは断じてない。ゆえに自我偈には「仏語実不虚」(仏語は実にして虚しからず)とある。

 大聖人様は、必ず臨終のとき、お迎えに来て下さるのです。なんと有難いことか。

 だから、三毒強盛の我ら凡夫が、臨終に成仏の相を現ずることが叶うのです。

 仰せのままの信心をすれば、必ず仰せのままの御守護が頂けるのであります。

「忠誠の証・遥拝勤行」特集号

 いかがでしょうか。なんとも有難いですね。

 いま総幹部会をはじめ顕正会の集会では、同志の色白く、軽く、柔らかい「成仏の相」の登壇が多くありますが、これらの現証と大慈大悲の御金言を拝するとき、大聖人様が必ずお迎えに来てくださる無上の喜びが込み上げ、「だから、何があっても大丈夫なんだ」との確信と有難さが湧いてきます。

広布前夜、正系門家 師敵対に陥る

 次いで浅井先生は、「なぜ広布前夜の今になって、正系門家が学会・宗門ともに国立戒壇建立の御遺命に背いてしまったのか」について、「これこそ第六天の魔王の働きによる」と、仏法の上からその本質を示されました。

 太陽のごとき大聖人の御金言、そして異口同音の歴代先師上人の御指南を拝するとき、御遺命の戒壇とは、広宣流布の暁に、「勅宣・御教書」すなわち国家意志の公式表明を手続として、富士山天生原に建立される国立戒壇であることは、誰の目にも明らかです。

 御遺命を曲げた宗門の細井日達すら「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命である」(大白蓮華・昭和35年1月号)と言い、池田大作すら「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華・昭和31年4月号)と言っていたのですから、彼ら自身、御遺命の戒壇が国立戒壇であることは百も承知だったのです。

 ところが、この七百年来唯一の宿願・御遺命が、正系門家から俄かに消滅してしまったのですから、ただ事ではありません。まさに仏法を壊乱せんとする第六天の魔王の働きという以外にありません。

 この大それた謀りをなすにあたって、池田大作は卑劣にも身を隠し、宗門(日蓮正宗)にこれをやらせました。

 宗門は、昭和45年4月27日、「日蓮正宗・責任役員会」を開き、「本宗教義の本質より鑑み、国立戒壇の名称は不適当につき、今後一切右名称は使用しないこととする」と議決しました。

 また宗門は、昭和47年4月27日、やはり「日蓮正宗・責任役員会」を開き、「正本堂の意義を闡明にするため」として、正本堂は御遺命の戒壇に当たる旨の虚言を述べた訓諭の公布を議決しました。

 この2つの「日蓮正宗・責任役員会」によって、日蓮大聖人の御遺命たる国立戒壇は否定され、偽戒壇・正本堂が御遺命の戒壇とスリ替えられたのです。

 浅井先生はこの大悪につき、「これは個人の見解ではない、宗門の機関決定、公式決定であるから重大なのです。ここに大聖人様の唯一の御遺命は、正系門家から消滅してしまったのである」と仰せられています。

御遺命守護に立つ

 この正系門家の重大な師敵対に対し、浅井先生ただお一人、「この御遺命破壊の大悪を黙過したら、これこそ大聖人様に対し奉る最大の不忠になる。大聖人様に申しわけない」との一念で御遺命守護に立ち上がられました。

 途上、池田の手先となっていた宗務院より「国立戒壇を捨てなければ登山させない、解散処分もある」との脅しを受けるも、先生は「国立戒壇を捨てて参詣して、大聖人様はお喜び下さるか。かえってお叱りを受けるに違いない」と、妙信講(顕正会の前身)の安穏よりも大聖人への忠誠を選ばれ、諫暁を貫かれました。

 そして昭和49年8月12日、覚悟のごとく解散処分が下りました。その宣告書には「日蓮正宗管長・細井日達」の名で、「国立戒壇の名称を使用しない旨の宗門の公式決定に違反し、更にまた昭和四十七年四月二十八日付の『訓諭』に対し異議を唱えたゆえに」との処分理由が記されていました。

 まさに顕正会は、国立戒壇の御遺命のゆえに、信徒団体として死罪に等しい解散処分を受けたのです。先生はこの宣告書を手にされたとき、「大事な御遺命が破壊されんとしているとき、妙信講が安穏であってはいかにも大聖人様に申しわけない。これで一分でも申しわけが立つ。御遺命を守るに『懈怠の弟子、ゆるき行者』とのお叱りだけは免れる」と。なんと崇高な御心でしょうか。ただひれ伏すほかありません。

 同時に先生は、「だが、広宣流布はどうなるのか」との大道念から「遥拝勤行で広宣流布の御奉公に立とう」と決意されました。そして、解散処分を機に、熱原の法華講衆のごとき恋慕渇仰・不惜身命の純粋・熱烈なる御在世の信心が、澎湃として顕正会に湧き上がった来たのです。

遥拝勤行こそ忠誠の証

 浅井先生は、この遥拝勤行について、次のように指導下さいました。

 いいですか。

 信心に距離は全く関係ないのです。

 どれほど遠く離れていようとも「日蓮大聖人 眼前にまします」の思いで恋慕渇仰して南無妙法蓮華経と唱え奉れば、直ちに日蓮大聖人の御当体たる戒壇の大御本尊に通じて、現世には生活が守られ、臨終には成仏の相を現じ、死後の生命も大安楽を得させて頂ける。これが現当二世の大利益であります。

 重ねて申します。信心に距離は全く関係がないのです。

 もし信心がなければ、眼前に大御本尊ましますとも通ずることはなく、もし有難い お慕わしいの恋慕渇仰の信心があれば、千万里を隔てるとも直ちに大御本尊に通ずるのであります。

 ゆえに大聖人様は、身延から千里も離れた佐渡に住する千日尼御前に対し

 「御身は佐渡の国にをはせども、心は此の国に来たれり。乃至、御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ」と。

 ―御面を見るとか見ないではない、心こそ大切なのである――と仰せ下されている

 これこそ遥拝勤行の大精神であります。

 いま宗門では収入を図るため、末寺単位で登山人数を割り当て「付け願いでもいいから」などと言って法華講員を登山に駆り立てている。

 このようなことをすれば、寿量品の経文にあるように、かえって人々は「憍恣」の心「厭怠」の思いを懐く。何とも恐れ多い限りであります。

 いま顕正会員は、御遺命のゆえに解散処分を受け登山を妨害されるとも、戒壇の大御本尊に対し奉る恋慕渇仰はいよいよ深く、澄み切っている。

 そしてひたすら遥拝勤行に励み、広宣流布を進めている。

 遥拝勤行こそ、まさしく「忠誠の証」であります。

 そしてこの遥拝勤行こそ、広布前夜の今、まさしく時に適った信行なのであります

 解散処分のとき、顕正会はわずか一万二千であった。だが今、三百万になんなんとしている。濁悪の日本国の中に、三百万の清らかなる仏弟子の大集団が出現することは、何という不思議なことか。

 これ、大聖人様が御守護下された以外には絶対にない。

 今後「前代未聞の大闘諍」起こるとき、「他国侵逼」迫るとき、この恋慕渇仰の遥拝勤行は、必ず日本国中に満ちる。そして全国民の熱烈なる信心が凝集して「勅宣・御教書」が申し下されるとき、ついに御遺命の「本門の戒壇」すなわち国立戒壇が富士山天生原に建立され、いよいよ戒壇の大御本尊様が御出ましあそばすのであります。

「忠誠の証・遥拝勤行」特集号

 いかがでしょうか。学会・宗門が御遺命に背き奉る中、浅井先生が大聖人に対し奉り一筋の忠誠を貫かれたゆえに自然と確立されたこの遥拝勤行こそ、まさに「忠誠の証」、熱原のごとき御在世の信行であると同時に、やがて大聖人御予言の前代未聞の大闘諍・他国来難により「日本国一時に信ずる」時、日本一同が「各々声をつるべて『南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経』と唱え」奉る姿、まさに「広布最終段階の信行」であるとは、なんと不思議なことでしょうか。この不思議、ただ伏して拝するばかりです。

 この有難い遥拝勤行を朝暮に実践し、日々功徳を頂きながら大歓喜で御遺命成就の御奉公が叶う私たち顕正会員の立場は、なんと有難いことでしょうか。いよいよ大確信に立って、広宣流布のお手伝いに励んでいきたいと思います!