顕正新聞令和4年3月25日号が出来しました。今回も学会・宗門から正義にめざめて顕正会に入会した方々の素晴らしい登壇がたくさんあり、大感激でした。いくつかを取り上げて紹介したいと思います!
「国立戒壇」の故に〝時の貫首〟から解散処分 先生の大忠誠心に胸しめつけられる 「遥拝勤行こそ忠誠の証」命に沁み入る
平成31年3月に学会・法華講を経て顕正会に入会したTさんの登壇は、正しい師匠に値い得た有難さと功徳の歓喜にあふれています。
Tさんは昭和35年、18歳のときに創価学会に入信し、学会活動に情熱を傾けていました。正本堂建立の際には「御遺命の戒壇」と教えられ、学会員たちは何の疑いもなく鍋や釜を売ってまで供養したそうです。
しかし、奇怪・脆弱な正本堂の姿に違和感を覚え、その後、学会に対する不信感が頂点に達し、50歳のときに学会を脱会して法華講に移ったのでした。ところがその矢先、宗門での登山の折、「いま身延僧が大石寺に来てるよ」と幹部から聞いて耳を疑ったそうです。
そのようなとき、顕正会女子部の区長・支区長補が広告文配布で訪問し、Tさんが授戒を受けた妙相寺住職の悪臨終と、細井日達の悪臨終を証言した登壇発表を聞き、さらに顕正会は御遺命を守り奉ったゆえに解散処分を受けたと聞いて大衝撃を受け、宗門とは全く違う空気を感じ、その日のうちに顕正会に入会したのでした。
基礎教学書を学ぶ中に、浅井先生の大聖人への大忠誠心に強く心が揺さぶられ、「忠誠の証」たる遥拝勤行の素晴らしさが命に沁み入り、折伏にも奮い立ち、恋慕渇仰の思いで遥拝勤行を実践すると運転免許更新の際に大功徳を頂いたそうです。
Tさんは、「御遺命を曲げた団体に籍を置き、大罰を味わってきた自身が、今ようやく正しき師匠に値い得た有難さは筆舌に尽くせず、なれば多くの学会員・法華講員を救い、残りの人生、御遺命成就のその日まで、竜の口の地より精いっぱい浅井先生にお応えしてまいる決意」と熱く語っています。
二大現証に「大聖人様は生きて在(ましま)す」実感 末寺住職〝大扉開かず〟の大現証に絶句
宮崎県延岡市の正信会・久住寺、宗門末寺・妙善院に所属していたYさんも正義にめざめ、いま顕正会の婦人部組長として広宣流布・国立戒壇建立を見つめて熱烈にご奉公に励んでいます。
先般出来した「正本堂崩壊、大扉開かず」特集号に大感激したYさんは、居ても立ってもいられず、総班長とともに久住寺と妙善院へ赴いたそうです。
久住寺の住職は「自分達には絶対に広宣流布は見られないんだから、近いとかウソを言うんじゃない」などと言い放つ無道心ぶりでしたが、浅井先生に対しては畏敬の念を示し、「昔、浅井先生と甚兵衞講頭先生に会ったことがある。非常に勉強されていることを知っている」と言っていたそうです。
一方、妙善院では、「大扉開かず」の大現証を語るも聞く耳を持たなかったため、すかさず特集号を読み聞かせ、正本堂が大聖人の御力で崩壊したことと、「大扉開かず」の大現証に阿部日顕が畏れ慄き自ら退座したことを伝え、これが大聖人の御裁断であると突きつけたそうです。
すると絶句し、「そんなの現証でもなんでもないよ。広宣流布した暁には大石寺の奉安堂が国立戒壇というような建物になるかもしれないし、違う建物になるかもしれないし」と支離滅裂なことを言ってくる有様で、Yさんが「大事がわからないのなら、もう還俗したほうがいいですよ」と思わず言うと、「もう勝手にしなさい」と言って奥に引っ込んでしまったそうです。
Yさんは、大聖人を忘れた無道心極まる2人の姿に、まさに「法師の皮を著たる畜生」なのだと憤りが込み上げ、国を憂え、ただお一人仏勅のまま戦われる浅井先生に対し畏敬の念が込み上げたと熱く語っています。
学会時代、争い絶えぬ波乱万丈の人生 ネット配信と特集号で入会を決意! 先生の激闘に大感動、学会員を救いたい
令和3年12月、街頭配布の縁で創価学会から顕正会に入会したOさんは学会三世でした。
父は元ヤクザで酒乱、母からは虐待を受け、高校にも行かせてもらえず、職業訓練校に通うも喫煙が見つかり1週間で退学、牙城会で学会活動に励むも仕事が続かず友人宅を転々とし、離婚、自己破産、うつ病を患うなど、御遺命に背く学会に籍を置く罰の生活そのものでした。
そのようなとき、街頭配布をしていた顕正会の女子部総班長に声をかけられ、話してみると、学会の先輩から聞いていた内容とは全く違い、大聖人の大恩徳を生き生きと語る姿に引き込まれたそうです。その後、駅前で会うたびに総幹部会ネット配信を視聴し、特集号を受け取る中、学会に対する動執生疑が強くなり、昨年(令和3年)12月、ついに「やってみなければわからない」と肚を決め、自ら総班長に連絡し、本部会館で入会勤行を行ったのでした。
入会勤行後はとてもすっきりして気持ちがよく、気づけば「生涯、顕正会でやっていこう」と心に誓っており、心の奥で待っていたのだと実感したそうです。
すると、学会では続かなかった勤行が楽しく、朝夕欠かさず続けており、浅井先生の御指導を拝しては命に響き、繰り返し拝聴しているそうです。街頭配布に参加し、登用試験を受験し、学会時代に世話になった学会員を折伏するなど、いま顕正会員としてご奉公に励んでおり、二月度総幹部会における浅井先生の「学会の人たちは本当にまじめである」とのお言葉に「八百万学会員を救いたい」との先生の御慈愛を強く感じては、「正義にめざめさせて頂いた自身こそ、多くの学会員を救っていく決意」と熱く語っています。
正本堂は〝偽戒壇〟だったから崩壊した 学会・宗門の御遺命違背を知り雲晴れる 正師の下で遥拝勤行、直ちに功徳頂く
令和2年7月に顕正会に入会したYさんは、職場の先輩に誘われて学会に入信したものの勤行はせず、たまに会合に参加する程度だったそうです。
御遺命違背の学会に籍を置いて身の保つはずもなく、15年間働いていた左官の仕事が不況に陥り退職し、その後も転職するたびに会社が倒産することでやる気を失い、仕事をせずにいたそうです。その後、叔父の計らいで解体業の仕事を始めると、従業員の男子部組長から折伏を受け、そのときは断ってしまったものの、20年前に学会の会館前で顕正会員から「学会員は騙されている」と言われた記憶がよみがえったそうです。
次第に学会への不信感が湧き、「学会組織は血が通ってない」と思うようになっていたとき、顕正会婦人部の支区部長と組長から再度折伏を受け、以前に受け取った広告文の「人生の目的を知らずに生きているのは、行先不明のバスに乗っているのと同じ」との言葉に衝撃を受けていたため、〝自分も成仏したい〟との思いで顕正会に入会したのでした。
総幹部会ネット配信を視聴すると浅井先生のご指導に心が熱くなり、「誑惑の正本堂崩壊す」のDVDに強い衝撃を受け、それまでの疑問が雲晴れる思いとなり、学会の支部長に学会版本尊を返納し、感激のまま登用試験を受験しました。
試験を終えて帰宅すると、学会幹部3名が来て「学会をやめることを考え直してほしい」と言ってきましたが、Yさんが「顕正会で信心するから学会には戻らない。なぜ正本堂は壊れたのか?」と言い切ると、学会幹部は「脱会届」にサインを求めてあっけなく帰って行ったそうです。
Yさんは、学会時代は勤行をする気になれず、まして折伏など考えられなかったそうですが、正しき師匠・浅井先生の下で信心を始めたとたんに生命力を頂き、近隣の現場から大口の契約が入る大功徳も頂き、弟夫婦を折伏して入信を叶えるなど、いま「無間地獄から救って頂いた自身こそお役に立たせて頂きたい」との思いで御奉公に励んでいます。
真面目な一学会員「社会憲章」に憤激 感激の入会叶う 学会内部分裂も明かす
本年2月6日、福島県の男子部隊長宅を訪問した害虫駆除業者の営業マン・Hさんは、玄関先に張ってある広告文と「学会員を救う特集号7」抜粋カラーコピーを見て、「あなたも日蓮大聖人様を信仰されているのですか?」と聞いてきたそうです。
聞けば、Hさん一家は祖母の代から学会員とのことで、隊長が広告文と抜粋カラーコピーを手に御遺命の大事や正系門家の御遺命違背、学会が極限の大謗法を犯したこと等を語っていくと、真剣に聞き入り、後日会う約束をして別れました。
Hさんはそのことを黙っていられず、会津若松市の実家に戻り、学会員の家族に抜粋カラーコピーの内容を確認すると、なんと父親が「お前も顕正会の話を聞いたのか。残念ながらこの内容は本当だ」と言ってきたそうです。
さらにHさんの父親は、いま学会は積極的に活動する者が少なくなり、会員は学会や公明党に強い不信感を持ち、各所で現体制に対する肯定派と否定派ができ、分裂して大変なことになっていること、最近では遠山清彦の貸金業法違反をはじめ昨年から続く公明党議員のスキャンダルにより、みな選挙活動に消極的であることを打ち明け、「俺たちも何が正しいのかわからなくなっている。今後、創価学会はどこに向かって行くんだろうか」と吐露していたそうです。
そして2月20日、隊長がHさんに学会が制定した社会憲章を示すと、第3項と第4項にある謗法与同の内容に「これは馬鹿げてる!」と憤り、「祖母からは戒壇の大御本尊以外の信仰は絶対に駄目だと教えられた。学会はいつから謗法を認める団体になったのか。こんなデタラメが許されるはずがない!」と不信感を露わにしました。そこで隊長がHさんに対し、立正安国論謹講と「正義にめざめて」の登壇内容を見せ、大聖人の御心に叶う団体は浅井先生ご統率の顕正会以外にないことを言い切ると、Hさんはついに断疑生信し、たいへん素直な入会が叶ったのでした。
入会勤行終了後、Hさんは「顕正会の勤行は大へん素晴らしい!」と大感激しており、現在、Hさんの家族の中でも動執生疑が起きているそうで、今後、大勢の学会員が続々と断疑生信し、国立戒壇の正義を叫ばれる浅井先生の御許に挙って集う日の近きことを確信するばかりです。
まじめな学会員・法華講員が続々と
いかがだったでしょうか。いま学会員や法華講員が御遺命の正義にめざめ、正しい顕正会に続々と入会してきており、顕正新聞に掲載されたごく一部の登壇だけでもとても紹介しきれないほどです。
あまりに膨大になってしまうので(笑)、あと2人だけ簡略に紹介します。
学会に約50年間在籍し、顕正会に素直に入会したTさんは、いま顕正会の男子部組長としてご奉公に励んでいます。
Tさんは、学会員の大家を折伏すると怨嫉で部屋を追い出されてしまいましたが、功徳ですぐに好条件のアパートが見つかりました。しかし、こちらの大家も学会員で、再び追い出される不安もありましたが、Tさんが肚を決め折伏すると、大家は選挙一辺倒になってしまった学会に不信感を懐いており、素直な入会が叶ったそうです。
学会婦人部で78歳のSさんは、配布の縁で知り合った顕正会女子部から折伏を受けるも初めは頑なな態度でしたが、何度も通ううちに徐々に心を開いてきました。
その後、「正本堂崩壊、大扉開かず」特集号に大感激した元学会員のY組長とKさんが、「入阿鼻獄から救って頂いた自分たちこそ、この特集号で多くの学会員を救わん」との使命に奮い立ち、Sさん宅を訪問、渾身の思いで特集号の浅井先生のご講演全文を読み聞かせると、Sさんはじっと聞き入り、偽戒壇・正本堂が打ち砕かれた写真を見ては「池田先生は悪い人だったんだ…」と動執生疑を起こし始め、「悪師に付く学会員は無間地獄に堕ちてしまう」と伝えると、ついにSさんは「地獄には行きたくない、成仏したい」と道念を起こして決定し、群馬会館で入会が叶ったそうです。
いやはや、何とも有難いですね!
私も広告文と抜粋カラーコピーを手に、一人でも多くのまじめな学会員・法華講員を御遺命の正義にめざめさせ、入阿鼻獄から救うお手伝いに励んでいきたいと思います!