皇室の一大使命

「皇室の一大使命」特集号が出来しました!

 顕正新聞令和3年12月5日号が特集号として出来しました。その名も「皇室の一大使命」特集号!

 いま皇室が眞子さんの結婚問題で大いに揺れていますが、この時にあたり、浅井先生が仏法上の御見識から、皇室の一大使命と日蓮大聖人の究極の大願を教えて下さった本特集号は目からうろこの連続で、拝読するたびに感激が込み上げます。

 今回はその一部を紹介したいと思います(ご講演の全文は、顕正会公式サイトでご覧いただけます)。

皇族は天皇家を守護する「藩屏」

 最近、眞子さんと小室圭氏との結婚問題が取り沙汰されていますね。世間では賛否両論で、「皇族なのにとんでもない!」という意見もあれば、「若い2人がどうしようと個人の自由でしょ!」という意見もあります。さて、この問題についてどう考えるべきでしょうか。

 浅井先生は皇族の義務・使命という観点から、次のように指導下さいました。

 彼女は次の天皇と定められている秋篠宮皇嗣の長女であり、その次の天皇になられる悠仁親王殿下の姉である。私的な「我」を通すことなど、許されない立場なのです。

 何よりも将来、悠仁親王が即位されて立派な天皇におなりになったとき、その義兄が虚偽に塗れた佞人では、皇室の尊厳と信頼が損なわれるではないか。私はこれを心配する。

 ここに思うことは、眞子さんが個人の自由を求めて「私」を優先するのも、天皇の嫡系である内親王としての自覚がないからです。このことは秋篠宮にも大きな責任があるように思える。

 皇族は天皇家を守護する藩屏(はんぺい)なのです。天皇を守ることが皇族の第一の義務なのであります。それが眞子さんにはわかっていない。

「皇室の一大使命」特集号

 いかがでしょうか。いま皇族の方々さえ自覚が薄れつつある「天皇家を守護する藩屏」「天皇を守る」という皇族の義務・使命をズバリと指摘された先生の御見識には、目からうろこが落ちる思いとなりました。

皇室の一大使命は「仏法守護」

 次いで先生は、「いや、この義務さえ、まだ世法上のレベルのことであって、もっともっと重大な使命が皇室にはある」として、仏法上の御見識から次のように指導下さいました。

 それは何か。すなわち仏法を守護するという一大使命であります

 いいですか。

 日本の皇室は、二千数百年にわたって永続している。このような王室は世界のどこにもない。世界の王室は続々と潰れているのです。その中で、日本の皇室だけは二千数百年も永続してきた。

 そうでしょう。後鳥羽上皇以下三上皇が島流しになった「承久の乱」があっても、南北両朝並立という異常事態が発生しても、さらに織田信長等が政権を掌握した戦国時代でも、さらに占領軍の最高司令官マッカーサーですら、皇室を潰せなかった。

 なぜこのように永続しているのか。

 それは「仏法守護」という一大使命が、日本の皇室にはあるからです。

 この日本は、久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人が御出現あそばす国である。ゆえに前もって、日蓮大聖人と三大秘法を守護し奉る王法が存在している。それが天照太神以来の万世一系の皇室なのです。

「皇室の一大使命」特集号

 いかがでしょうか。世界に類例を見ない皇室の不思議な永続。その理由こそ、久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人が御出現あそばす国の「王法」ゆえに、「仏法守護」の一大使命を持っているからなんですね。なんと凄いことでしょうか!

広布時には日興上人の後身「本化国主」が出現して「勅宣」を

 そのうえで浅井先生は、この仏法守護の一大使命を持つ皇室に広宣流布の時ご出現になる「国主」について、重大指導を下さいました。

 大聖人は弘安元年の「法華初心成仏抄」に、広宣流布の時の国主について、「今の国主も又是くの如し。現世安穏・後生善処なるべき此の大白法を信じて国土に弘め給わば、万国に其の身を仰がれ、後代に賢人の名を留め給うべし。知らず、又無辺行菩薩の化身にてやましますらん」と。

 この御意は、〝もし日本国の国主が、人々を現当二世に救うこの三大秘法を信じて一国に弘めるならば、その国主は万国にその身を仰がれ、後代に賢人の名を留めるであろう。人々は知らずとも、その国主こそまさに無辺行菩薩の化身である〟ということです。

 この「無辺行菩薩」とは、上行菩薩の御化導を一体不二の御立場で扶けまいらせる大菩薩、すなわち日興上人の御事です。

 そして御相伝によれば、広宣流布の時には「無辺行菩薩」が皇室にご誕生され、万世一系の皇統を嗣がれる旨が示されているのです。これが「本化国主」です。

 ですから、日興上人は「富士一跡門徒存知事」に、次のような重大な仰せを遺されています。

 「是れ偏に広宣流布の時、本化国主御尋ね有らん期(とき)まで、深く敬重し奉るべし」と。

 浅井先生は、次のように指導下さいました。

 この仰せを拝すれば、「本化国主」は広宣流布の時、必ず前生受持の「本門戒壇の大御本尊」を尋ねて、これを国立戒壇に安置し奉るべく「勅宣」を下されるのです。

 これには前例がある。

 観音菩薩の垂迹である中国の南岳大師、その後身たる聖徳太子は、前生所持の法華経を求めるために、小野妹子を遣隋使として中国に派遣し、南岳大師が所持していた法華経を取り寄せているのです。

 いま末法において、無辺行菩薩・日興上人の後身たる「本化国主」が、前生受持の「日興が身に宛て給わる所の弘安二年の大御本尊」を深く敬重し奉り、身命を賭して護持し給うこと、何の不思議もない。

 これこそ三大秘法抄の

 「王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時

 との仰せの具体的な姿であります。

「皇室の一大使命」特集号

 いかがでしょうか。広宣流布の時には、無辺行菩薩・日興上人の後身である「本化国主」が皇室に御出現して「本門戒壇の大御本尊」をお尋ねになることが、御相伝と日興上人の御指南によって定められているのです。

 この「本化国主」が守護付嘱に応え、前生に受持した「本門戒壇の大御本尊」を深く敬重し、身命を賭して護持し給う―これこそ、三大秘法抄に御定めの「王仏冥合」「王臣受持」「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」の具体的な姿なのです。なんと凄いことでしょうか!

 そしてこの「時」に、日興上人の後身である「本化国主」は、大聖人から承け給うた御遺命のままに、国立戒壇建立のための「勅宣」を下されるのです。

日蓮大聖人の究極の御本願

 さらに浅井先生は、大聖人の究極の御本願について、きわめて大事な指導を下さいました。

 日興上人は「富士一跡門徒存知事」に、広宣流布の暁の「国立戒壇」と王城(皇居)との位置関係について、次のように御指南下されています。

一、王城の事。

 右、王城においては殊に勝地を選ぶべきなり。就中、仏法と王法とは本源躰一なり、居処随って相離るべからざるか。乃至、然れば駿河国富士山は広漠の地なり。一には扶桑国なり、二には四神相応の勝地なり。尤も本門寺(国立戒壇)と王城と一所なるべき由、且つは往古の佳例なり、且つは日蓮大聖人の本願の所なり」と。

 この御文について、浅井先生は次のように指導下さいました。

 まさに戒壇の大御本尊まします国立戒壇と王城が一つの所に建てられるべきが、ここに明確にお示し下されている。

 すなわち、日本国の国主たる天皇が、国家・国民を代表して戒壇の大御本尊を守護し奉る。その大精神が「国立戒壇のすぐそばに王城を建てる」ということなのです

 これこそ、三大秘法抄に定められた「王仏冥合」「王臣受持」そして「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」の事相であり、これこそ大聖人様の究極の御本願・大願であられるのであります。

「皇室の一大使命」特集号

 いかがでしょうか。日蓮大聖人の究極の「御本願」、広宣流布の暁の「王仏冥合」の具体的姿相が瞼に浮かぶようで、大感動が込み上げます。

顕正会は一念も大聖人を忘れ奉らず

 今回のご指導を拝して、発足より今日に至るまで六十有余年、日蓮大聖人の御心のままに広宣流布・国立戒壇建立を見つめて一筋のご奉公を貫いているのは、浅井先生率いる顕正会以外にないことを、改めてよくよくわからせて頂きました。

 創価学会は選挙のため、宗門(日蓮正宗)はおカネのために学会に諂い、国立戒壇を否定したうえで偽戒壇・正本堂を建て、これを御遺命の戒壇と偽りました。

 昭和47年当時、未だ広宣流布が達成していないことは勿論、「王仏冥合」「王臣受持」「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を…」の条件が全く整わない中で、あろうことか池田大作を「有徳王」などと讃嘆し、はしゃいでいたのです。なんという不見識、無道心の輩でしょうか。

 一例として阿部日顕(登座前は「信雄」)の発言を引用します。

・「大聖人様は広宣流布の条件として、三大秘法抄に『有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時乃至時を待つ可きのみ』と予言されました。この御文は広宣流布の時、在家の中より身命がけで仏法を守る指導者が必ずお出になる事を示されたものと拝されます。その広宣流布の時とは、まさに今日、創価学会の出現により、又その大指導者たる会長池田先生が身をもって示される、法主上人猊下と宗門に対する不惜身命の御守護をもって、いよいよ、その時が到来した事をだんじてはばからぬものでございます」(昭和41年5月3日・学会本部総会)

・「不世出の大指導者たる総講頭池田先生……世界広布の中心者である総講頭池田大作先生……我々日蓮正宗の僧俗は、先生の推進されておる偉大な妙法の革命的意義を心からたたえ、又ほこりに思うものでございます」(昭和49年・虫払会講演会)

 いかがでしょうか。浅井先生より大聖人の究極の御本願を教えて頂いたうえで見ると、なんと卑しく、大聖人の御意を蹂躙する諛言であるかがよくわかります。

 先生は、極限の師敵対・大謗法を犯す学会・宗門につき、「このような無道心の輩に、大聖人様の深秘の御本願・究極の御遺命が、わかるはずもない」と喝破されました。所詮、彼らは大聖人の御遺命の背く師敵対の逆徒、魔の眷属にすぎないのです。

 そこに広布最終段階の今、浅井先生のもと、大聖人の深秘の御本願、究極の御遺命成就のお手伝いをさせて頂ける私たち顕正会員の立場は、なんと有難いことでしょうか。

  来年は広布の決戦場20年代の第3年。私も広告文と特集号を手に、佐渡雪中で大聖人が仰せられた「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」との大師子吼を全日本人に教えていきたいと思います!